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幕間:王女様と猫

 ヴァイリールフ王国の現王家には、王子と王女が7人いる。

 この国の王族は伝統に従い銀狼の獣人でなければならず、他種族とのハーフは王族と認められない。

 そのため王の妃も必ず銀狼の獣人であり、他種族と結婚する場合は王位継承権を剥奪されるため世継ぎ候補を多く作るのが習わしだ。

 今代もその例に漏れず、王妃は正妻と側室が二名。


 7番目の王女エスティは、第三夫人と王の間にできた娘である。


 エスティは良くも悪くも純粋に育っている王女であった。

 その理由の一端として、末子だという他に母が第三夫人だという点がある。

 第二夫人は後継者争いに熱心で、対する正妃は誇り高く秘密主義。

 だが第三夫人は狼の獣人には珍しくおっとりと物腰柔らか、いつもにこにこと微笑みを絶やさない。

 そんな第三夫人主導で育てられた王位継承権の低いエスティは、まさしく絵本に出てくる優しいお姫様そのものといった少女に育っていた。


 そんな末の王女もいよいよ社交界デビュー。

 エスティは当日、ウキウキと心を躍らせながら用意されたドレスに袖を通した。


 古の伝統に従い、王女の社交界デビューは雪ユリのように白い布地を使ったドレス。

 そこに金色の糸で美しい刺繍を施すのが慣例だが、今回のドレスは一味違った。


 この世界の金糸は本物の金を使っておらず、ヴァイリールフ王国からは遥か遠い南の火山帯に生息するゴールデンワームの体液を使用して染めた糸の事を指す。距離がある上に絹が生産できないこの国では質の良い物が滅多に手に入らず、身分のある者の所に売り込まれる糸でさえ、光沢は申し分ないのだが本物の金と比べると色が薄っぺらいのだ。


 ところが、新しく入ったという蜜珠糸の美しいことときたら!


「やっぱりステキだわ、このドレス」

「ええ、本当に」


 着替えを行う侍女たちも、着付けがいがあると気合の入り方がいつもと違う程。

 柔らかみを感じる奥深くて透明な金色。極上の絹に劣らぬ艶やかさ。

 スイートビーの巣から採れるビー玉という素材を使って作られたという糸を使った刺繍に、エスティは一瞬で虜になった。

 仕立屋の婦人二人が誇らしげに持ってきてくれた自信作。

 なんでも駆け出しの糸紡ぎの職人が売り出した、まったく新しい技術の糸だという話だ。

 エスティは嬉しかった。

 この糸を使ったドレスはこれが最初の作品らしい。可愛らしい白い靴も、結い上げた銀髪を飾るリボンと雪ユリの花飾りも同じ糸で刺繍をしてくれた。

 お父様でも、お母様達でもない。お兄様達でもお姉様達でもない。

 まさか一番下の自分が、最初にこの恩恵に与れるなんて!


 準備が終わり、舞踏会が始まる。

 大扉をくぐれば、高い天井に煌めくシャンデリア。

 満を持して会場入りしたエスティは会場全ての人々の視線を独り占めにした。


 可憐な肢体を包み飾る純白のドレス。

 そのドレスに施された刺繍の、深みのある金色のなんと美しい事!


 貴族の女性達が慌てたように言葉を交わしているのが見える。

 あんな蜂蜜のような糸は初めて見たわ。どこで手に入れたのかしら。確か今回の王女様の仕立て屋は……

 そんな囁き声が聞こえてくる。

 いつもならば、そんな噂の的になっているのはお母様やお姉様。

 でも今日は違うわ。

 私が主役!

 このステキな金色を纏っているのも私だけなの!


 始まる楽隊の演奏。

 決まっていた通り、4番目のラズオール王子と最初のダンスを踊る。

 本当ならもっと年の近い6番目のノーステラ王子と踊るべきなのだが、ノーステラ王子は病弱で生まれてからまったく公の場に姿を現してはいない。見舞いが許可されるのも一部のみで、エスティでさえ会った事が無いのだ。


「エスティ、ずいぶん見事な色の刺繍じゃないか」


 ダンスの最中、ラズオールがドレスを褒めてくれる。


「ありがとうございます。新作らしいですわ」

「へぇ、商人の間ではそんな話は……あ、いや、少し前に商人ギルドがざわついていたっけ。さてはそれかな」


 ラズオールは兄弟の中でも経済に造詣が深い。そんな兄でもこの糸の事を知らなかったのだ。

 エスティはますます嬉しくなった。

 部屋から出てこないノーステラを除けば、他の兄や姉はみな20を超えている。だからだろう、いつもエスティは子供扱いされてしまう。

 でも、初めて兄の知らないことをエスティが教えてあげられたのだ。

 大人の仲間入りとも言える社交界デビューのこの場で。

 自分の知識はまだまだ乏しい事をわかっているエスティだが、なんだか本当に大人の仲間入りができたかのようだ。


「でもダメですよお兄様。私、この糸の事とっても気に入ったんですの。ですから抜け駆けしないで、私に応援させてくださいな」


 母である第三夫人は特に職人や芸術家への支援を活発に行っている王妃だ。

 だから自分も、母にやり方を教わってこの糸を紡いだ人を応援しようと決めたのだ。

 抜け駆けしないでというお願いは、ちょっとくらい兄や姉に先んじてみたいという背伸びだけれど。

 そんな背伸びを見透かしたのだろう、ラズオールはクツクツと笑った。


「おや、可愛いエスティもついに一端のパトロンになるのかい。それなら僕から他の皆には言っておこう。でも、何か欲しい物ができた時に依頼をする事くらいは許しておくれよ?」

「もちろん、そこまで狭量ではありませんわ」


 兄の言う『他の皆』とは他の王族や貴族達だろう。身分の高い者は、こういう物を早い者勝ちで囲い込み独占しようとしてしまうから。

 だがエスティはそういうのが好きではなかった。

 ステキな物は、皆で分かち合いたいと思うのだ。たくさんの人がたくさんのステキな物に囲まれた方が、もっとステキになると思うのだ。

 だからこそラズオールは横槍を入れるでもなく、『7番目の王女エスティがこの糸の製作者の支援をする』と喧伝すると言ってくれたのだろう。兄の目には、新しい糸が流通する事でもたらされる経済効果が見えているに違いない。


 エスティは嬉しかった。

 今日から自分も大人の仲間入りをしたのだ。


 その後、貴族の子息と入れ替わり立ち代わり踊る間、ドレスに言及される度にエスティは幸せな気持ちで自慢をしていたのであった。



 * * *



 ダンスと挨拶回りがひと段落し、エスティは飲み物を片手に庭へと出ていた。

 王族の社交界デビューは中央都市ではなく王都、それも王宮で行われる。

 中央都市の離宮は実用一辺倒のため華やかさに欠ける。王都は町というより軍事基地に近く、人の出入りを完全に監視できるので警護も楽なのだ。こういった催し物で駆けつけなければならない貴族は大変そうだが。

 美しく整えられた庭で休憩していると、ふと視界に何か光る物がよぎった。


「……?」


 夜空の下、篝火が焚かれた庭の暗がりで、うすぼんやり光る緑色。あんな光り方をする物をエスティは初めて見た。

 と、そこへ庭の別方向から慌てたように走ってくる貴族の婦人。


「まぁまぁ、フィーちゃん! こんなところにいたのね……新しい首輪が早速役に立ったわ」


 婦人がひょいと緑色の光を周りの闇ごと抱きあげた。

 エスティはちらりと背後に目をやり、自分を見守っていた護衛が微動だにしていないのを確認してから──どうやら危ない物ではないらしい──婦人の方へ近づいた。


「ごきげんよう、レーヴ伯爵夫人」

「あら! これはこれはエスティ王女、御機嫌麗しゅう。本日はステキな舞踏会になりましたわね」


 人好きのする笑顔で挨拶をした伯爵夫人の腕の中には、革の首輪をつけた黒猫が収まっている。使い魔ではない愛玩動物の持ち込みは自由だ。珍しい動物を手に入れて、こういった場に伴い自慢する貴族は多い。

 だがエスティが気になったのはその首輪。

 革製の立派な物だが、その刺繍がほのかな緑色に光っている。


「不思議な首輪ですわ」

「ああこれ! ふふ、出入りの鞄屋に作ってもらいましたの。この子、すぐに夜のお散歩をしたがるものですから。これならわかりやすいでしょう?」

「魔道具? ではありませんわね……魔力も魔法も感じませんわ」

「ええ、この刺繍糸が特殊らしいですわ。ダメ元でお願いしてみたら、探して作ってくださいましたの!」


 特殊な糸。

 エスティはピンと来た。


「レーヴ伯爵夫人、もしかしてその鞄屋はフリシェンラスの『ベーギィ&ボーギィ』ではなくて?」

「あら! ご存じでしたの」


 やっぱり!

 それは今日のエスティの靴とハンドバッグを作ってくれた職人だ。

 ならばこの光る糸を紡いだのは、きっと今日の衣装の糸を作った職人と同じ方に違いない。

 それなら仕立屋と鞄屋を当たれば、間違いなくこの糸を紡いだ職人に辿り着けるはず。

 エスティはわくわくが止まらなかった。


 いきなりお母様に全ての教えを乞うのは良くないでしょう。

 調べものをするくらい、私にだってできるはず。

 どこの工房の、なんという方なのか。

 それを確認してから丁度良い支援の仕方をお母様に教わりましょう!


 王女エスティは内心そんな算段を立てながら、伯爵夫人の猫自慢をにこにこと聞いていたのであった。

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