初めての依頼
とある貴族の御夫人は、大変有名な愛猫家。
御子息が一人前になられてからは特にその猫愛は留まるところを知らず。
まるで実の子にするかのように、健やかであるよう食事に気を使い、贅肉が気になれば運動をさせるため侍女と護衛を連れて共に散策へ繰り出し、猫が気に入るよう寝床含めた居場所を暖かく居心地よく整えておりました。
夫人は猫を心から愛すると同時に、深く理解してもおられましたので。
猫が気まぐれに脱走するのも、猫だから仕方ない事。
猫が守衛を搔い潜ってしまうのも、猫だから仕方ない事。
無事に戻って来てくれればそれで良い、として使用人を罰するような事はしない大らかな方でありました。
猫に出し抜かれる守衛は密かに対抗心を燃やしているらしいのですが、それはそれとして。
そんな心の広い御夫人ではありましたが、やはり脱走されると心配は心配なようで。
特に夜。
夜は他の猫も活発に出歩く時間。
うっかり他の猫と喧嘩になって怪我をしたりしたらどうしましょう。
市井の雌猫に引っかかって子猫が認知を迫ってきたりしたらどうしましょう。
そんな不安が胸をよぎります。
しかし何と言っても夜目の利く猫が守衛の目を搔い潜るのは夜の方が多いもの。
昼は逃げてもすぐ捕まえられるのですが、夜はそうはいきません。
夜目の利く獣人の守衛もおりますが、猫は体が小さいので狭い所を通られては追いかけられません。守衛もぐぬぬと悔しがるしかないのです。
と、いうわけで、御夫人は自分のバッグとお揃いの首輪を注文した『ベーギィ&ボーギィ』に相談を持ち掛けました。
──お昼寝の邪魔にならないよう昼間は光らず、闇の中でだけ光る首輪を作る事はできないかしら? と。
* * *
「『魔道具でも考えましたが、魔力切れを考慮すると頻繁なメンテナンスが必要になるので現実的ではなく。懇意にしている染料屋からは色良い返事は頂けず。ビー玉を糸にするという珍しい技術をお持ちのハルカ工房ならば、何か妙案はございませんでしょうか?』……だって」
「お手紙は普通なのです」
性癖が綴られていたらどうしてくれようかと思っていましたが、杞憂でよろしゅうございました。
チトセ様は手紙を片手に、ふむ、と宙を眺めながら思案されております。
「蓄光素材か……こっちにはまだ無いんだね」
「チッコー素材、ですか?」
「昼間に太陽の光を当てておくと、その光を貯めておいて、夜になったらぼんやり光る素材の事。魔力もいらないから、かなり長持すると思うよ」
「初めて聞いたのです!」
ナノさんの声を聴いて、チトセ様は挑戦的に微笑みました。
「だったら是非とも糸でやってみたいな。需要はどのくらいかわからないけど、実績にはなるだろうから」
チトセ様がお望みならば、私に否はございません。
問題は素材です。
チトセ様は様々な物を糸にすることができますが、それはつまり求める糸の為にはそれに合った素材が必要になるということなのです。
「商人ギルドで聞いてみようかな……そういう性質の花とかキノコとかありませんかって」
「それなら冒険者ギルドの方が良いと思うのです! 商人ギルドは需要のある物しか集まらないのです」
「そうですね。ナノさんの言う通り、冒険者ギルドの方が普段売り物にならない植物や動物の部位に詳しいかと」
「なるほど。じゃあ冒険者ギルドに行ってみよう」
ナノさんに工房の留守を任せて、チトセ様と私は冒険者ギルドへと出かけました。
冒険者ギルドは商人ギルドと同じく石造りの大きな建物ですが、大きな違いは主に三つ。
街の門にとても近い事。
魔物が丸ごと持ち込まれた時に対応するための解体場がある事。
そして解体場と反対側の隣に怪我や毒の治療を専門にする病院が併設されている事です。
治癒魔法で治しきれなかった重傷の冒険者が担ぎ込まれた時は門に近い方が助かる可能性が上がりますし、治療に必要な道具や素材が足りない時は冒険者ギルドならば素材が買い取られて保管されている可能性がある。そのため併設されている方が便利なのです。
ギルドも冒険者を減らしたくはないので、病院へせっせと資金提供をいたしますので医療器具が充実する。お互い助け合う関係です。
街の人々や兵士もそれをわかっているので、大怪我をすれば誰しもが冒険者ギルドへと駆け込みます。
周囲に薬屋が多いのも商人ギルドとは違った特徴でしょうか。
魔法薬もそうでない薬も問わず、材料の薬草屋も含めて、冒険者ギルドの周りには装備の店と同じくらいたくさんの店があります。冒険者の方々にとって薬は必需品ですので、自分にあったお店を選んで利用しているようです。
冒険者ギルドの中へ入ると、正面には大きな掲示板が。
ギルドに入った依頼が貼り出されている場所で、冒険者達は早いもの勝ちで貼り紙を取り、カウンターで受注手続きを行います。
中央都市フリシェンラスは人も物もたくさんいますので、その分掲示板も大きく、依頼も多種多様な物が並んでいます。
チトセ様も私も冒険者ではございませんので、掲示板に用事はありません。
カウンターの中の一つ『依頼受付』と書かれた場所へまいります。
「いらっしゃいませぇ~」
肉感的で美しい、しかし隙の無い女性が挨拶をしました。
「依頼ですぅ?」
「あ、はい、そうなんですけど……まず希望に合った素材が存在するのかどうか相談したくて」
「あ~ハイハイ。職人さんにちょいちょいあるやつですねぇ~、こちらどうぞぉ~」
チトセ様と私は別室へ案内されました。
依頼人のプライバシーを守るために、個室で依頼を受けているのだとか。慣れれば手紙での依頼も可能だそうです。
受付のメルナタリーさんはチトセ様にソファを勧め、書棚から図鑑をいくつか引っ張り出してテーブルに置きました。
「こんなもんかなぁ。じゃ、具体的な欲しい物の特徴くださぁい。ギルドが買い取ってまだ買い手が決まってない在庫があったら、即日持ち帰りもできますんでぇ」
「えっと……明るいところにあって、昼間は普通なんですけど、夜になるとぼんやり光る物が欲しいんです」
チトセ様の言葉を聞いて、メルナタリーさんは「ん?」と呆けた顔で言いました。
「マヨワヌタケじゃん」
「あ、キノコなんですね」
「え、待って、マジで知らないで希望したのぉ? ピンポイントすぎてウケるんだけどぉ!」
ウヒャヒャとひとしきり笑ってから、メルナタリーさんは教えてくださいました。
「マヨワヌタケって言うのはねぇ~、森にちょくちょく生えてるキノコ。潰れても暗くなったら光るからさぁ、めったに人が入らない深い所で目印にするのに便利なんだよねぇ」
冒険者はよく使うんだぁ、とメルナタリーさんは笑います。
「なるほど、だからマヨワヌタケなんですね」
「そぉいうことぉ~。でもあれって食べても美味しくないしぃ、魔力も無いしぃ、毒にも薬にもなんなくない?」
「魔法を使わず暗いところで光る物が欲しいんです」
「へぇ~」
変わってんね、と呟きながら彼女は書類をパラパラとめくりました。
「珍しいキノコじゃないし近場で採れるんだけどぉ、使い道無いから在庫は無いわ。採取依頼になりまぁす。どのくらい必要ぉ?」
「そうですね……とりあえず普通の手提げ籠一杯くらい。できるだけ変色していないものをお願いしたいです」
「近場の簡単なキノコを籠に一杯とくればぁ~、高品質希望とはいえ、どう高く見積もってもEランク依頼でぇす。最低報酬金はこのくらいかな」
「最低報酬金?」
「そぉ~、依頼するのに最低限必要な値段。これに色を付けてもらえると色の量に応じて冒険者は喜んでガンバリマァス。採取だとぉ、できるだけ早く行ってきてくれるようになりまぁす」
「なるほど。心配してたほど高くないし……依頼でお願いします」
「駆け出し初心者向けの採取クエストありがとうございまぁす。ちなみにぃ~、駆け出しはお財布がカツカツだからぁ。依頼者様の懐に余裕があるようなら応援って形で値段上げてもらえるとぉ、良い装備が早めに買えて死ぬ危険が減りまぁす」
「わぁ、現実的」
「命張ってる現場なんでぇ。目をかけてもらったら冒険者も嬉しくて名前覚えるしぃ、その方の依頼ってなったら張り切っちゃうしぃ。お貴族様なんかは目をかけた相手が高ランクになったら鼻も高いし依頼通りやすくて便利だから、ちょくちょくやってくれる人いまぁす」
「あ、色は現物支給でも大歓迎ですよぉ~」とメルナタリーさんが仰ると、チトセ様は少し考えた顔をした後、私に水の糸を出すよう指示されました。
「これとかどうでしょう。色っていうか、糸ですけど。釣り糸としては実績持ちです」
テーブルの上に置いた糸巻きを見ると、メルナタリーさんの目が見開かれました。
「ちょっ……っと、待って待って待って? これアレじゃん! こないだ『ホワイトベリー』がカワウツボ釣った時のヤバい釣り糸じゃん!!」
「私が紡ぎました」
「うっそでしょ製作者ぁ!?」
ひとしきり頭を抱えて身もだえしていたメルナタリーさんは、発作が収まったかのように神妙に座り直し、深々と頭を下げました。
「差し支えなければ、お名前と所属など教えてイタダケマセンカ?」
「ハルカ工房のチトセと申します。職人が多いあたりの長鉢荘で工房を始めました」
「あぁ~ウィリアムの護符屋のあたりだぁ~、ありがとうございまぁす……ええっとですねぇ……あの釣り糸すっごい良くてぇ、冒険者ギルドでまとまった数発注しようぜって話になってたんですよぉ」
「わぁ、ありがとうございます」
「今日来てくれてよかったぁ~……出所聞く前に『ホワイトベリー』……モールスのいるパーティね、が『今が稼ぎ時だ!』って例の釣り糸と荷車持って近所の釣りクエストをハシゴしに行っちゃってぇ、帰ってきたら締め上げて聞くつもりだったんですよぉ」
「わぁ」
メルナタリーさんは世間話のように言いながら、依頼書と注文書を持ってきて書き始めました。
「じゃあ依頼の方はぁ……この内容で出しておきますねぇ。報酬はギルドでの預かりになりまぁす…………はい、まいどありがとうございまぁす。で、こっちは釣り糸の注文書ですぅ」
チトセ様が書類を確認し終えると、メルナタリーさんはじっとチトセ様の顔を伺いながら言葉を続けました。
「ところでぇ……この糸って水を紡いで作ったって聞いたんですけどぉ、ほんとですかぁ?」
「本当ですよ」
「……もしかして、水以外も紡げたりしますぅ?」
「色々できます。でも、職人がまだ私しかいないので、あんまり一気に種類を増やすのはちょっと」
「今はお貴族様向けの綺麗な糸を優先してます」と言えば、メルナタリーさんは納得されたようでした。
「あ~なるほどぉ、そちらも駆け出しで地盤固めてるとこなんですねぇ、わかりましたぁ。上にもそのように伝えておきますぅ。釣り糸も急ぎではありませんのでぇ」
「助かります」
「でも、もし何か緊急性の高い案件で相談したいことあったら行ってもいいですかぁ?」
「それはもちろん。こちらも素材の事でまたお世話になると思いますので」
「あ、そっか、マヨワヌタケももしかして糸になる? うわぁウケるぅ」
ウヒャヒャと笑う受付に見送られ、私とチトセ様は冒険者ギルドを後にしました。
その帰り道、魚をたくさん乗せた荷車を引いたモールスさんとそのパーティメンバーの方々にお会いしました。
クエスト用の魚以外にも大漁だったので、その日の孤児院はお腹がいっぱいになるまで魚料理を満喫したそうです。




