一癖も二癖も
「クルゥォッケコッッッコォォオオオオオオオ!!!」
「うるせえええええええええ!!」
夏が終わり、秋へと入ったこの頃。
サンドラさんのパン屋の品揃えも、秋らしい物へと変わりつつありました。
「ドライフルーツが市に増えてきたからね、今日のオススメはそれを練りこんだパンだよ。あとは、チトセちゃんに教えてもらったジャムのたっぷり入ったパン! カボプキンとかトゲコロンが出てきたらそれも入れてみるから、楽しみにしとくれ!」
「へぇ、チトセさんの」
「サンドラさん、チトセのジャムパンふたつくださいな!」
「はいよ、マーガレッタちゃんはジャムパンふたつね」
「私は干しブドウのパンをいただきたく」
朝の長鉢荘はいつも焼き立てパンの即売会で賑わうのです。
* * *
新人従業員となったナノさんは、さっそく次の日からハルカ工房に通勤し働くようになりました。
何も置かれていなかったカウンターの上に小さな裁縫箱から道具を広げ、彼女と同じくらいの大きさのロウソクに火を灯して作業場となる一面を照らします。
ナノさんが最初に手掛けたのは貴婦人のハンカチ。
高価な純白のシルク生地を裁断し、蜜珠糸で縁をかがり、そのまま美しい蜂蜜色のレースを編み上げて。
まっさらな布地には金細工と見紛うばかりの美しい模様が刺繍されました。
その作業の早い事早い事。
リリパットは器用な種族です。小さな体と器用さ、さらには家事魔法や料理魔法を上手に使いこなすので、古くから様々な他種族と共存してきた歴史があります。
ナノさんも、まさにその名に恥じぬ腕前。
そしてリリパットというのは好奇心旺盛で気にいらない場所には留まらないので、リリパットを雇っているというのは一種のステータスとなっています。
若いとはいえリリパットに気に入られたチトセ様の糸。なんと誇らしいことでしょうか、さすがはチトセ様です。
そのチトセ様は人間しかいない世界からいらしたので、リリパットの仕事を始めてご覧になった様子。
キラキラとした目で完成したハンカチを見ておられました。
「すっごく細かくて綺麗! 刺繍もレースも、手作業でこんなに緻密なの初めて見た、すごいねナノちゃん!」
「えへへ、ボクもプリア・ポポの娘でリリパットですからです。でもでも、母はもっとすごいのです! ボクの目標は母なのです!」
ナノさんは余った蜜珠糸を撫でながら、ほぅと息を吐きました。
「ボクもこんなにツヤツヤして綺麗な糸は初めて触ったのです。布にしてもきっと喜ばれると思うのです!」
「そうだね、この国はシルクが少ないみたいだから、鳥の羽とか花弁の糸とか織って売ったら喜ばれるんじゃないかなって思うんだ」
「羽や花弁ですか?」
「うん、糸にして織るとね、羽とか花弁のなめらかな感触がある布になるんだよ。綺麗な色がそのまま糸になるし、白なら染める事もできるの」
「うわぁ! それはステキなのです! ぜひやりましょうです!」
「ただ、色ムラが出ないようにするには手間がかかるからね。花弁の色が違う所とか、羽の軸とか、ひとつひとつ丁寧に取らないといけなくて……だからもう少し先の話かな」
「なるほど、店長お一人だと布にするほど集めて下準備するのは確かに辛そうなのです」
お話を聞いていて、私も実現するための方法を考えました。
下準備なら私もお手伝いできるでしょうが、布にするほどとなればそれなりの量が必要でしょう。今はまだ蜜珠糸の需要がどれほど高くなるかもわかりませんのでそちらに手間を裂いてばかりもいられません。
……ああ、でもあれなら?
「……でしたら、魔物の素材を使った方が下準備は楽かもしれません。大きな花や鳥が多いですから」
私がそう言うと、ナノさんは意を得たりと跳び上がりました。
「それは名案なのです! 大きな魔物なら量もあっという間に集まるのです!」
「冒険者ギルドに依頼を出せば手に入れる事は可能でしょう。色や依頼料等調べておきます」
「ありがとう、でも急ぎじゃないから合間でいいからね」
「承知しました」
チトセ様の仰る通り、今優先すべきは昼食の支度です。
と、思ったのですが……不意に店の扉が開かれました。
「ごめんください」
「えっ」
入って来たのは、革でした。
いえ正確には、人がスッポリ収まるほど大きな革の袋を被った人物、です。
そんな不審者をチトセ様に近づけるわけにはまいりません!
身体強化発動。
即時接近。
足払いをかけて引き倒し、革袋の隙間から出ていた手首を捩じり上げて関節を極めます。
「アギャーーーーーーーーー!? イダダダダダダダ!!!」
「動きが鈍い、戦闘の心得は皆無と見ました。チトセ様、この不審者はいかがなさいますか? こちらで処分するか、憲兵に引き渡すか。どちらでも安全確実に遂行が可能です」
「ん~、さすがアリア。判断が早ぁい」
「待って、待ってくださいです」
ナノさんが頭を押さえながら革袋を見下ろします。
「その方、たぶん『ベーギィ&ボーギィ』のボーギィさんだと思うのです……」
* * *
『ベーギィ&ボーギィ』
中央都市フリシェンラスに工房を構える貴族向け靴屋&鞄屋。
兄弟が店主で、兄のベーギィが靴、弟のボーギィが鞄を手掛けている。
靴と鞄の制作に関してはフリシェンラスにおいて1,2を争う腕の持ち主であり、王室御用達の称号を得ていて、パトロンの貴族も多い、が……
「ベーギィさんは足好きが酷すぎて恋人100人に振られて、ボーギィさんは鞄が好きすぎてとうとう自分が鞄に入るようになって奥さんに逃げられたって母に聞きました」
「とんだド変態じゃん」
ナノさんから詳細を伺って、私はとりあえず拘束を……強めました。
「アリア、処分はダメだよ」
「承知しました。では憲兵にまいりましょうか」
「待ってください待ってください!」
「貴方をチトセ様に近づけるのは台所のネズミよりも利がございません」
「今日は仕事のお話で来たんです!」
「このお話は無かったことに……」
「まだ話もしていないのに!?」
ジタバタと暴れる暫定ボーギィ氏を抑えつけていると、開きっぱなしの扉の向こうから慌てたような複数の気配。
「こら愚弟! 何ひとりで突っ走ってんだコラァ!」
「迷惑になるから革脱いでから行きなって言っただろうが馬鹿者!」
「あ、ママ」
やって来たのは革袋の兄……つまりベーギィさんと、ナノさんのお母様、ポポ夫人でした。
* * *
「すまなかったね……仕事がひと段落したからこいつらにもチトセちゃんの所に挨拶に行かせようと思ったんだけど……」
「締め切りに追われる極限状態の中で気付いたのです。鞄に生涯を捧げ、鞄と共に生きると決めたこの身。ならば! 自らが鞄に入って鞄を満たさずにいて何が鞄職人かと!!」
「ちょっと黙ってな」
「ポポさん、何が悪いと言うのです!? 鞄を愛する者が鞄とひとつになる! それにどんな問題が!?」
「見た目かな」
「問題しかなかったから嫁に逃げられたんだわよ」
熱弁を振るうボーギィさんに突き刺さるポポ夫人とチトセ様の冷徹なお言葉。
落ち込んではいても反省はしていなさそうなその様子に、ポポ夫人は頭を抱えます。
「兄の言動が酷いからまだマシな弟をつけて挨拶させようと思ってたのに、いつのまにか弟の方まで馬鹿が突き抜けててこのザマさ。迷惑かけて悪かったね」
「おいおいポポさんよ、聞き捨てならねぇな。俺のどこがこの愚弟より酷いってんだ?」
不満げに異を唱えたのはベーギィさんです。
「俺は無機物に陶酔したりしねぇ。麗しい女性のおみ足や逞しい男の足を守り美しく飾りたいだけの職人だぞ! ここの工房のお嬢さんたちもスカートの裾から覗く踝でわかるが良い足してるぜまったく、さっき膝でのしかかられてた愚弟がうらやましい! むしろ替わって欲しかった! 俺が踏まれたかった! あわよくば足の甲に口付ける栄誉をいただきたかった!! 許されるならもっとすごいこともさせてもらいたくてたまらなかった!!!」
「ほらね、酷いだろ?」
「これは駄目ですね」
絶対零度の視線を向けるチトセ様は、ポポ夫人に訝し気な声で問いかけます。
「あの……もしかしてなんですけど、王女様の靴とかバッグ作ったのってこの二人なんです?」
「そうだよ、挨拶に来させるって言ったろ?」
「大丈夫だったんですか? 王女様にこんな言動したら首が飛びそうですけど」
「この二人はね、客の前ではこんなこたぁしないのさ。弟の方は店では革を脱ぐから気付くのが遅れたし、兄の方に至っては足の大きさを計るのに専門のスタッフを使って絶対に足に触らないようにする念の入れようだよ」
「それはつまり……」
チトセ様は眉間に皺を寄せ言い放ちます。
「隠そうとするってことは気持ち悪がられるかもしれないって分かってるってことじゃないですか!!」
兄弟はサッと目をそらしました。図星だったのでしょう。
チトセ様はにっこり笑って……出口を指しました。
「お引き取りください」
「いやいやいやいやいやいや!」
「我々なんとしてもあの糸を今後も卸していただきたく!」
「7歳の女の子にこんな歪んだ性癖の男性を近づけるわけにいきません! 今後の取引はお手紙でお願いします!」
「店長、ボク成人してるのです」
「大事にしてもらってんだからありがたく甘えときな。アンタたちも! 性癖で毛嫌いされて取引無くなるのと、手紙のやりとりで繋がっておくのと、どっちがいいかよく考えなぁ!」
「「ぐぅうう……!」」
口先でこてんぱんにされたご兄弟は、注文書の封筒を残し、握手だけしてすごすごと帰って行かれたのでした。
「いやほんとすまなかったね……王女様のお仕事はあの二人でもう制作に入ってたから、別の職人に変更ってわけにはいかなくてさ」
「いえいえ、これも人生経験です。心配して来てくださってありがとうございます」
職人には変なのが多いからねぇ、とポポ夫人は紅茶を一口。そろそろ淹れ直すといたしましょう。
ポポ夫人とチトセ様は近く開かれるエスティ王女の社交界デビュー後にやってくるであろう蜜珠糸ブームに向けて、納品する数等のお話し合いをされました。
十分な在庫の用意が済んでいるので、明日にでも『比翼の抱擁』の男性職員が運びに来てくださる事。『ベーギィ&ボーギィ』の分もその時ついでに運んでくださる事。髪飾りを担当した『ドゥドゥ閣下』の分はすぐ隣なので、ドゥが自分で取りに来るだろうという事。
「仕事の話はこんなもんかねぇ。で、これはアタシからチトセちゃんにプレゼント」
「えっ……あ、手袋?」
それは白い薄手の手袋です。魔道具らしく、小さな魔石がついています。
「『保護』の魔法を込めた魔道具だわよ。アンタの糸はこれからうんと必要になるからね、その手は大事な商売道具なんだから。守っておきな」
「わぁ……ありがとうございます!」
「いいってことさね。うちの娘をよろしく頼むよ」
「ふふ、もちろんです」
「ママ、恥ずかしいのです……」
穏やかなお茶会は、その後ナノさんの縫ったハンカチの観賞等を経てお開きとなりました。
チトセ様と私は、そのまま明日の引き取りの準備を行います。
『比翼の抱擁』の分をまとめ、『ベーギィ&ボーギィ』に必要な分を確認するべく封筒を開き……
「……猫?」
チトセ様は、注文書と一緒に入っていた手紙に、首を傾げたのです。




