新規従業員
チトセ様が糸を紡がれている間、私は様々な家の用事を済ませます。
今日は生鮮食品の買い出しに、露店通りへやってきました。
「こんにちは」
「はい、アリアちゃんこんにちは。今日は紫ベリーが良いの入ってるよ」
「では、それを一包みください」
「まいどどーも。そろそろ秋だから、ぼちぼちマリンゴも良いの入ってくるからねってチトセちゃんにも伝えとくれ」
「わかりました」
果物はチトセ様の御希望で、出来るだけ初めて来たときにマリンゴを御馳走になったお店で買うことにしています。品質も良いので、私も異はございません。
その後、野菜屋で菜を吟味していますと、見知った独特の刺繍の布まみれなお姿がやってきました。
「おや、アリアさん。奇遇ですね」
「ポカルさん、お買い物ですか?」
「はい、久しぶりに故郷の食材を見かけたので、つい買ってしまいました」
そう言って、ポカルさんが握っていた紐をこちらに向けました。
──紐の先に括られていたのは、人の頭ほどもあるカエルが一匹。
「立派なヌママゲッコーでしょう? こっちのカエルは小さいのばかりだったんで、久しぶりに香草焼きにでもしようかなって」
「……なるほど」
ヴァイリールフ王国にカエルを食べる習慣はありません。
ポカルさんは、かなり遠くの御出身のようです。
* * *
「ここで働かせてくださいです!」
思いがけない小さなお客様の申し出に目をぱちくりとさせるチトセ様。
こちらのお客様、身の丈が12センテ程の小さな少女はリリパットの子供で、仕立て屋『比翼の抱擁』からお使いでいらした方です。
なんとかドレスが完成し大変お喜びいただけたので、その報告と改めてのお礼をしたためた手紙、それから蜜珠糸の注文書を持ってきてくださいました。
チトセ様は手紙を読み終え、後ほど注文書通りに納品する旨を伝えつつ糸巻きを見せしました。
すると少女はキラキラしたお顔で糸を見つめ、しばしもじもじと躊躇った後、意を決した顔で冒頭の言葉を発したのです。
「ボク、ナノって言いますです! 『比翼の抱擁』のプリア・ポポの娘です! ここで働かせてくださいです!」
リリパッドの少女……ナノさんが力強く仰る度に、小さなポニーテールがぴょんぴょんと可愛らしく揺れます。
思いがけない言葉に固まっていたチトセ様はハッと我に返りました。
「えっと……ナノちゃん? 働くって……その、何歳?」
「今年、7になりましたです!」
「え、7歳!? 早すぎない!?」
「早くないです、リリパットは7歳で成人なのです! ボクは実家で修行してたから就職はむしろ遅いくらいなのです!」
あ、そうなの……とチトセ様は呆けたように呟きます。
リリパットは寿命が他種族よりも短めなので、成人が早いと耳にしたことがございます。
「えっと、ポポさんの許可はとってある?」
「あ、忘れてましたです。これ、母からの紹介状なのです!」
チトセ様が見せてくださった小さな手紙には、このように書かれてありました。
──チトセちゃんへ。
うちの次女が急にすまないね。
まぁきちんと話を聞いてみたけど、本気みたいだから、良ければ検討してみとくれ。
アタシと同じ、刺繍とレースがメインの針子が希望。売り物になるレベルなのは保証するよ。
家事の魔法も仕込んである。料理はちょっとイマイチだけどね。
とはいえ、そっちは糸屋で織り士もいないから針子は必要ないかもしれないし、そもそも駆け出しの工房でメイドもいるから雇う余裕はないかもしれないってこともちゃんと話はしておいた。
無理はしなくていいからね。
でもうちの子の独り立ちのきっかけになってもらえるなら、アタシも嬉しいよ。
比翼の抱擁 プリア・ポポ──
紹介状と呼ぶには親しみの強い、リリパットらしいお手紙でございました。
チトセ様は「ふむ」と何やら思案顔。
両手を握りしめたナノさんは、緊張からかぷるぷると震えていらっしゃいます。
「そうだねぇ……どうしてうちがいいの?」
「はい! 実家で蜜珠糸を見て感動したのです! ハルカ工房の糸を、ボクの刺繍で世の中に広めるお手伝いがしたいと思いましたです!」
「おお、なんて嬉しい志望動機」
にっこり微笑んだチトセ様は、ふと「あれ?」とナノさんのお姿とカウンターを見比べました。
「今更な疑問なんだけど……ナノちゃんってどうやってここまで来てカウンターに乗ったの?」
問われたナノさんは「あれっ、知らないんです?」と目をぱちぱちさせながら、自分の隣に白い小さなムク犬の使い魔を呼び出しました。
「使い魔のワフフなのです。リリパットは移動が大変なので、使い魔を扱えるようになって一人前なのです」
「ワン」
「へぇ~、なるほど……そっか、そうじゃないと買い物とかも困るよね」
「ですです」
「ワン」
誇らしげに微笑むナノさんの横で、ワフフさんが相槌を打って鳴くのがとても微笑ましいです。
チトセ様も優しい笑みを浮かべられて、お話を続けられました。
「なんとなく考えてた事があって……ここって立派な店舗スペースはあるけど、今のところは糸を卸すだけだから全然使ってないんだよね。でも今日みたいに糸の注文は来るだろうから閉めるわけにもいかないし、でも出来れば私は奥で糸紡ぎに集中したいし」
ふんふん、とナノさんが頷きます。
「だからね、店番やってくれる人がいたら嬉しいなって思ってたんだ。お客さんは少な目だから、来ない間はカウンター周りで刺繍でも何でも作業してもらって全然かまわない。ナノちゃん、店番はできる?」
「できます! ワフフもいますし、実家でよくやってたのです!」
「ワン」
「奥は糸だらけになっちゃうから、作業スペースはカウンター周りしかあげられないけど大丈夫かな?」
「リリパットには十分なのです!」
「ワン」
「代わりじゃないけど、店の棚は糸見本を置く他は好きにしてもらっていいから、ナノちゃんの刺繍をこの店で売ってもいい。もちろん、余所に売り込みに行くのもオッケー……どう?」
「お、お店スペースまでお借りできるのです!? 最っ高なのです!!」
「ワン」
仕事内容に納得されたチトセ様とナノさんは、諸々の雇用条件を詰め始めました。
お仕事の曜日とお休みの曜日の事、給与の事、住み込みではなく通いにする事。
糸については、従業員価格という形で原価でナノさんが買い、ナノさんの作品を売ったお金はそのままナノさんの物、という事で話がまとまりました。
「いつから来れる?」
「明日からでもお願いしたいのです!」
「うん、じゃあ明日からよろしくね、ナノちゃん!」
「よろしくおねがいしますです、店長!」
こうして、ハルカ工房に新たな従業員が増えたのでした。




