幕間:滝つぼの激闘
その日、中央都市フリシェンラスの冒険者ギルドは殺気に満ち満ちていた。
「いいかお前ら! これは冒険者ギルドへの宣戦布告だ! アイツを釣り上げない限り! 酒のお供のフィッシュ&チップスは二度と食えないと思え!!」
──ウォオオオオオオオオオッ!!!
* * *
始まりは数日前。
川の上流に住まう木こりの男が、大慌てで駆け込んで来て告げた言葉。
『滝つぼに大きな魚の魔物が住み着いた!』
中央都市フリシェンラスが存在する平原には大きな川が流れており、フリシェンラスは井戸の他にその川からも生活用水や田畑の水を得ている。豊かな川は魚も豊富で、海が遠い中央都市にとって新鮮な川魚は貴重な魚介類なのであった。
滝つぼは、その川の上流であり、そこに異変が起こると下流のフリシェンラス付近にも影響が及ぶ。
毎朝滝つぼで朝食用の魚を釣るのが日課だという木こりのたも網が食い破られるという尊い犠牲でもって、幸いにも早期発見の一報がフリシェンラスに届いたのである。
とはいえ、木こりの目撃情報を照らし合わせると、どうやら滝つぼの魔物はそれほど強くはない『カワウツボ』。釣り糸にほいほい引っかかり、魚なので陸に上げてしまえば放っておいても死ぬ。その程度のもの。
ギルドに所属する冒険者にはランクがつけれており、下はEから上はS。伝説のSSもあるが今は関係ない。
カワウツボは釣り上げれば良いだけなので、駆け出しのEだって狩る事のできる野営のお供。冒険者にとっては『酒のツマミ』という認識が強い魔物であった。
なので川を管理している偉い人は、すぐさま冒険者ギルドへ正式な討伐依頼を出した。
兵を動かす程の事でもないが、下流へやってきて漁師の道具をガブガブされるのはいただけない。普通のカワウツボ討伐よりは少し報酬に色を付けて『早めに解決してね&駆け出し君頑張ってね』という、冒険者ギルドとにこやかに握手を交わすような趣旨の平和な依頼だったのである。
が。
ちょっと嬉しい報酬目当てに出発していった駆け出し冒険者たちは、揃いも揃って全員釣り道具を粉々にされて帰って来たのである。
どうやら件のカワウツボは、平均よりもかなり大きい個体であるようだ。
とはいえ所詮はカワウツボなのである。
おいおい最近の新人はだらしねぇなぁ、とDやCランクの冒険者が苦笑いしながらお手本を見せてやろうと出発していった。
が。
彼らもまた揃いも揃って全員釣り糸をブチブチに切られて帰って来たのである。
これはさすがにおかしいぞ、と水中の探索に覚えのある者が滝つぼを詳しく調べた。
すると、かなり深い滝つぼの底に、山の奥の地底湖へと続く水中トンネルが新たに開いている事が判明。こんな大きなカワウツボどこから来たのかと思っていたら、人の立ち入らない地底湖でスクスクと育った個体が何かのはずみで繋がった滝つぼへ上がってきていたらしかった。
さらに悪い事に、このカワウツボ、かなり貪食な個体であった。
冒険者の目をかいくぐって下流のフリシェンラス付近へやってきているらしく、川魚の漁獲量が明らかに減ったのである。
そのシワ寄せは当然上の者ではなく下の者へとやってくる。
そして川魚を最も食べる下の者というのは……冒険者の酒のツマミの事だったのだ。
冒険者ギルドは怒り狂った。
たかがカワウツボに玩ばれ、命懸けの冒険の間の楽しみまで奪われるなど、冒険者の矜持に関わる。ふざけるんじゃねぇコケコッコー!! とギルドマスターも激怒の咆哮を上げた。
カワウツボには懸賞金がついた。
『滝底の顎』、二つ名までついた。
冒険者たちは皆こぞって滝つぼへと向かい、そして惨敗していったのだ。
* * *
そんなわけで本日も、殺気を纏った冒険者一行の滝つぼ釣りツアーが開催されているのである。
どうやらこのカワウツボ、でかいだけでなく相当知能が高いようで、釣り糸に気付いており絶対に釣り針のついた餌を口にしない。針の無い、中間の糸を食い千切るという釣り人泣かせの所業を行うのである。
だからと言って、水に潜るとこちらを無視して地底湖へと行ってしまうし、水底に籠城されては魔法も矢も届かないため手が出せない。中央都市は内陸なので人魚の冒険者もいなかった。
なので冒険者がEからAまで揃い踏みで釣り糸を垂らしているのである。Sランクは自由人が多いので基本的に捕まらない……いたとしても恐らく来ないだろう。
今日もダメなんじゃないだろうか……そんな空気すら漂っていた、その時だった。
「き、きたぁああああああああ!!!」
青年の声にその場にいる全ての冒険者の視線がそちらへ向いた。
竿を食われたわけではない、その若い魔法士の男はヒットした釣竿を仲間と共に必死で引いているではないか!
あれは確か、孤児院出身の者達が集まっているCランクのパーティだ。
今まで誰も餌に食いつかせることすらできなかった相手を、彼らはついにひっかけたのだ!
「うおおおおおおおおおおおお!!」
「負けんなよ坊主!!」
「くっ……ああっ!?」
バギッ! と嫌な音を立ててしなりが限界を超えた竿が折れた。
だが、信じられない事に糸は切れていなかった。
青年が棹につけていた糸巻きを握る。
手練れの冒険者たちは、青年がその糸に魔力を注いでいるのを感じ取った。何かの魔道具か? 気にはなるが、今はそれどころではない!
「腕自慢、手伝え!」
「一緒に引っ張れぇえええ!!」
「引いたら糸掴め! 糸!」
オーエス! オーエス!
掛け声と共に、数多の筋肉自慢達が青年ごと糸を引く。
青年が魔力を注ぎ続ける糸は岩にガリガリと擦り付けられ、それでも決して千切れない。
「出たぞぉ!!」
カワウツボの頭部がついに水面に上がった。
子供くらいなら丸飲みにしてしまいそうな大きさのカワウツボ。
だが上がってしまえばこちらのものである。
特にAランク冒険者の判断は早かった。
水の魔法で波打つ水面。
荒ぶる海のようにざぶんと踊り、ウツボの巨体は身長より高く持ち上げられて──
「ウォラァアアアッ!!」
巨大な戦斧を振り回した冒険者がその首を一刀で断ち落とした。
ザブンと水面に落ちるカワウツボの巨体。
糸を引いていた面々は一斉に後ろに倒れたものの、ドシャリと陸に落ちたウツボの頭が間違いようのない勝利のトロフィーとしてそこにあった。
「……ぃ、いやったぁあああああああああ!!!!」
冒険者たちは一斉に雄叫びを上げた。
もうランクもなにも関係なかった。
やってやったのだ!
俺達は誇りを取り戻したのだ!!
歓喜の群れは勢いのまま冒険者ギルドにカワウツボを持ち帰り、そのままギルドは祝いの酒盛りとなった。
酒の肴は当然ウツボと、それを釣り上げた武勇伝。
だが最大の功労者である孤児院出身パーティは、報酬の一部であるウツボの体を子供たちに食べさせてやりたいと早々に帰宅し、釣竿を握っていた青年も釣り糸の提供者に報告すると言って飛び出した後。
ギルドに残っていたのはウツボ料理と、青年が忘れていった糸巻きが数個。
出所不明の透明で不思議な糸を見て、冒険者もギルド職員も皆一様に不思議がり正体を知りたがったのであった。




