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水の糸



 朝、水を汲みに外へ出た私がモーニングコールをなさるドゥさんと鉢合わせるのはいつもの事なのですが……今日は外に出た時には既に、その鳥胸は

大きく膨らんでおりました。



「クルォケコッッッコォォオオオオオオオオオオ!!!!」



 ……危ない所でした。咄嗟に耳を塞がなければまた余韻に苛まれるところでした。

 今日も今日とていつも通りの咆哮。

 そしていつも通りに荒々しく開く魔道具店の窓。


「うるせぇっつってんだろドゥ!!」

「おはようございますウィリアム殿! 大変申し訳ございませんが、本日多忙につきお構いすることができませぬ! お許しくだされ!!」


 いつもと違う反応を残し、ドゥさんはあっというまにご自分の工房へと戻っていかれました。恐らくですが、エスティ王女の社交界デビュー関係で、比翼の抱擁からなにかしらのお話が行ったのではないでしょうか。


 残されたウィリアムさんは呆気に取られた顔でしばし固まった後、溜息を吐きながら頭を抱えておられました。


「……そんな忙しいならわざわざ鳴かなきゃいいだろ」


 その呟きに返事をされたのは、遅れて開いた隣の香水屋の窓。クスクスと笑っているマーガレッタさん。


「もう日課なんでしょ、やらなきゃ調子が出ない~みたいな? ……っていうかドゥさん、言い方的にウィルと遊んであげてるつもりだったっぽくない?」

「あの野郎……!」


 今日も長鉢荘は平和です。



 * * *



「飽きたー!」


 決めていた本日分の最後の一巻きを完成させてから、チトセ様はそう叫ばれました。


「さすがに同じ物ばっかり紡いでたら、飽きる……」

「心中お察しいたします」


 ここ数日、チトセ様はずっと仕入れてきたビー玉を紡ぎ続けていらっしゃいました。流行が来た時に慌てて作るよりも、必要とされることがわかっているのならば、コツコツ作りためておこうという算段のようです。

 とはいえ、社交界デビューの日取りはもう少し先。まだ靴屋と鞄屋もお見えになっていませんので、瓶詰になる必要はございません。

 既に工房には布をいくらか織れそうな程の、蜜珠糸と呼ばれることになったビー玉の糸が積み上がっているのです。


「気分転換にお出かけでもなさいますか?」


 紅茶を差し出しながら、お尋ねします。

 そういえば、糸の卸先が複数できて安定した収入が見込めそうだということで、お給金とお家の事のための予算がチトセ様から下りるようになりました。ありがたいことでございます。

 この紅茶は、その予算で買い求めました。

 砂糖をスプーン一杯、ちゃぷんと落としてくるくるかき混ぜながら、チトセ様は頷かれます。


「そうしよっかな。とにかく収入を得なきゃ~って思ってばっかりで、全然出歩いてなかったし」


 そうと決まれば。

 準備をしてさっそく街へと繰り出します。


 チトセ様は、職人の工房や商店が集まる商人ギルド付近は少々歩きましたが、それ以外はほとんど赴かれたことはございませんでした。

 なので本日は、庶民向けの宿や冒険者ギルドが近い住宅地の方へと足を運ぶことにいたします。

 貴族の邸ではなく、一般の家が立ち並ぶ場所なので、白灰色の石材は土台のみの木製住宅が多い街並みです。


「この辺りは冒険者ギルドが近い事もあり、この街を拠点にしている冒険者の方やそのご家族が多く暮らす地区になります」

「へぇ~、小さな酒場……居酒屋かな? も、ちらほらあるね」

「引退された冒険者が自宅に作って現役時代の仲間と飲む場所だそうですよ」

「なるほど」

「これより裏の路地になりますと治安が悪くなりますので、決して一人では立ち入らないようご注意くださいませ」

「あ。あっちの方ね。うん、わかった」


 チトセ様がおひとりで出歩かれることは少ないでしょうが、それでも念を入れておくに越したことはございません。

 しばしそぞろ歩いておりますと広場へ出ました。井戸がある、広めの土地。幼い子供たちが井戸の周囲ではしゃいでいます。


「アリア、あれは教会?」


 チトセ様が指したのは広場の隣に建っている大き目の建物でした。


「教会ですが、孤児院の方が主体ですね」

「孤児院かぁ……」


 孤児院は周囲の家よりも一回り大きな木製の建築です。

 教会の役目をする部分には小さいですが屋根の上に塔がついていて、氷の神の印が掲げられていますので、それで教会とお判りになられたのでしょう。

 庭は井戸のある広場に繋がっていますので、子供たちが出入りして遊んでいます。

 一部の子供は、糸車を使ってシスターと一緒に羊毛を紡いでいるようでした。編み物をしている少女もいます。

 チトセ様はそっと敷地を囲んでいる柵に手を添え、子供たちを眺めます。

 すると


「あれ? あんた……」

「え?」


 通りがかったのは、一人の青年。


「あ、馬車で一緒だった人」

「おう、久しぶり」


 フリシェンラスへの馬車に同乗していた、魔法士の青年だったのです。



 * * *



「じゃあチトセはなんだかんだ糸紡ぎの職人でやっていけそうなんだな、よかったじゃん」

「うん、ありがとう」


 モールスと名乗った青年とチトセ様は、孤児院の庭のベンチをお借りしてしばしの御歓談。

 私はせっかくですので、お二人が見える位置で孤児院の洗濯物干しのお手伝いをしております。


「モールスは冒険者だっけ?」

「おう。とは言っても、今日は惨敗してきたとこ」


 モールスさんは空のバケツと釣り竿を持ちあげて肩をすくめました。


「ちょっと上流の滝壺に魚型の魔物が住み着いたらしくて、懸賞金が出たから行ってみたんだけどさ……矢も魔法も届かない深さを根城にしてるらしくて」

「それで釣り?」

「そ。でもかなり知能が高い奴だな。糸に気付いて切られちまう」


 釣り竿についているのは街で手に入る物の中ではかなり強度が高めの物。

 魔物とやらはそれなりに大型なのでしょう。

 しかし、強度が高い釣り糸は太く目立つため魚に警戒されやすいというデメリットがございます。


「モールスお魚つれなかったの?」

「モールス、ボーズボーズ!」

「うるせー」


 周囲の孤児達がキャッキャと笑ってモールスさんを囃し立てます。

 モールスさんは、こちらのホワイトベリー孤児院の御出身とのこと。

 ついでに他の魚が釣れたら孤児院の夕食にでも……と、思っていらしたそうですが、残念ながら釣果はゼロ。

 だから作戦の立て直しだ、と彼は苦笑いしています。

 チトセ様はそんな彼の持つ釣り竿を見て、何か思案されていました。


「……ねぇモールス、明日もその魔物釣りに行く?」

「ん、まぁ行くつもりだけど?」

「じゃあ、明日の朝、ちょっとうちに寄ってもらえないかな?」



 * * *



 ハルカ工房へ戻ったチトセ様は、いそいそと糸車の準備を始めました。

 チトセ様が異世界から持っていらした糸車は三つ。

 木製の物

 金属製の物

 そして三つ目の、ガラスのように半透明の、しかしガラスよりもずっと軽い不思議な材質の糸車です。

 チトセ様はタブンプラスチックだと思うと仰っておられました。タブンプラスチックが何なのか私にはわかりませんでしたが。


「水をね、紡ごうと思って」


 汲んで渡した井戸水を台に置いて、チトセ様が仰います。


「水、でございますか?」

「そう、故郷では釣り糸と言えば水の糸だったんだ。だって、水で出来てるんだもん、水の中に入れたら見分けがつかないでしょ?」


 糸車の前に腰掛けたチトセ様が、器の中の水面をついとなぞります。

 指先の魔法。

 引っかかりのない水を梳かすかのように、幾度かさらさらと表面に円を描き……くいっと指先を擦り合わせると水が捩じり上げられ、透明な細い糸となりました。


「これも美しい糸ですね」

「そうだね、疑似噴水として織った布をかけておく装飾とか人気だったよ」


 チトセ様は糸先を糸車へセットして、回します。

 紡がれた水は糸車へくるくると巻き付き、まるで色の無いスライムが糸巻に巻き付いているようです。


「水属性の魔法の通りが良いし、魔力をドンと込めると水がバッて溢れたりもするから、火災現場とかでも使われてたかな」


 そう説明しながらも、糸を紡ぐ速度は決して遅くはありません。むしろビー玉よりもはるかに速く糸が巻かれて行きます。


「水はよく紡いだから慣れてるんだ。用途の多い糸だからね」


 しかし、魔物を釣るのにどの程度の長さの釣り糸が必要なのか、私もチトセ様も釣りの経験が無いため見当がつかず。

 念のため10個程糸巻を用意して、私達は翌朝を待つことといたしました。



 * * *



「え、なんだこれ!?」

「水の糸だよ」


 翌日、ハルカ工房を訪れてくださったモールスさんは、手渡された糸巻を見て目を丸くなさいました。


「水の、糸……?」

「水を魔法で紡いで糸にしたの。魚にバレにくいし、魔力を注いでる間はまず切れないから、使ってみて」

「そんな魔法聞いた事ねーけど?」

「私の特技なの」


 チトセ様のお顔と手の上の糸を何度も見比べていたモールスさんでしたが、にこやかなチトセ様の笑顔に背を押されたように糸を受け取られました。


「えっと、代金は?」

「今回はお試しだからいいよ。魔物を釣るための釣り糸としての使い勝手がどうだったか、後で教えてほしいな」


 討伐のパーティメンバーが待っているとのことで、慌てて出発するモールスさんをチトセ様と私はお見送りいたしました。



 * * *



 そして夕刻。


「チトセー! あの糸すごかったぞ!!」


 荒々しくハルカ工房の扉を開いたモールスさんの腕には、一抱えもある切り落とされた魚の頭部が収まっていたのでした。



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