仕立て屋
本日のチトセ様は、午前の内にお出かけです。もちろん私もお供いたします。
お出かけの目的は、先日商人ギルドにて見繕っていただいた取引先候補への訪問。ようするに営業です。
「う~、緊張するなぁ……講師ならともかく、営業なんてしたことないよ」
「大丈夫ですチトセ様。商人ギルドの方々の反応を考えれば、むしろ相手方の方から買い上げたいと仰っていただける可能性が高いかと」
「そうなるといいけど……」
チトセ様は不安そうな顔でちらりと目の前の建物を見上げます。
それは大通りに面した高級店舗。
大きな店舗は、住み込みの弟子や助手が何名かいらっしゃることを思わせます。
看板には堂々と一対の翼がモチーフの職人紋が描かれ、すぐ下に『比翼の抱擁』と店名が美しい字体で彫られています。
そして何より、店の地位を顕にしているのは、扉に固定され魔法で保護された表札。
線の細い円の中へ狼の手形が金の箔押しで彫りこまれたそれは、『王室御用達』を示す王家からの証人札。
訪れた仕立て屋『比翼の抱擁』は、王族のドレスも仕立てている、王侯貴族の貴婦人がお召しになるドレスの専門店なのです。
「最初っからこれは難易度高いなぁ~……」
商人ギルドでケリィさんは言いました。
『チトセ様のこの糸は貴族どころか王族が着るドレスにも通用すると思いますので、それでしたら王族に真っ先に献上するくらいの気持ちで最初に王室御用達の店へ売り込んだ方が後々面倒が無くていいと思いますよ』と。
ケリィさんの後ろで職員の方々がにこやかにうんうんと頷いていらっしゃったのが印象的でした。糸への反応を楽しんでいたチトセ様への意趣返しも多分に含まれていそうな笑顔でございました。
チトセ様は何か反論したさそうでしたが『身分の高い方を蔑ろにすると碌な事が無い』という点においては思うところがあったようで。悔しそうな表情をして笑顔のケリィさんから紹介状を受けとられたのです。
「ええい、女は度胸! 行くよアリア!」
「承知しました。しかし、これから前線へ赴く騎士のようなお顔はおやめになられた方がよろしいかと」
「騎士じゃなくて武士だもん!」
「ブシ、とは?」
店の扉を開けば──カランカラン、と乾いた金属の音が鳴りました。
ドアベルでこちらに気付いた従業員が対応に参ります。
「いらっしゃいませ。本日はどのような御用件でしょうか?」
「私、ハルカ工房の千歳と申します。糸を紡ぐ職人なのですが、新しく作った糸の販売先を商人ギルドに相談したところ、こちらをご紹介いただきました。こちら紹介状です」
素晴らしいです、チトセ様。いざ本番となればまったく違和感の無い堂々とした振る舞いと笑顔。私、新たなチトセ様の美徳を発見いたしました。
「お預かりいたします。確認してまいりますので、こちらにおかけになって少々お待ちください」
店の一角にあるソファとテーブルは、貴族の館にあってもおかしくないほど高級な物でした。基本はお屋敷や城へ出向いて仕事をするのでしょうが、来店がゼロというわけでは無いでしょうから、店もそれ相応に整えなければならないのでしょう。
ややあって、奥から店の主人達がやってまいりました。
「あらあらあら、商人ギルドがドラゴンでも見つけたような書き方してるから、どんな冒険者がお宝抱えてきたのかと思ったら。可愛らしいお嬢さんじゃないの! ねぇプリア?」
「ほんとだわねラナン。ここらじゃ見ない顔つきしてる娘さん……一着仕立ててみたくなるじゃないのさ!」
比翼の抱擁の店主は二人の女性です。
「初めまして、ラナン・マーサルよ」
ひとりは人間のラナン・マーサル様。通称、マーサル夫人。
金髪を結いあげた背の高い女性で、貴族に出入りされる仕立て屋らしい、作業のしやすそうなドレス姿をされていらっしゃいます。
「アタシはプリア・ポポ。よろしくねお嬢ちゃん」
もうひとりはリリパットのプリア・ポポ様。通称、ポポ夫人。
リリパットは大人でも身長が20センテ程の、ドワーフより小柄な種族。
灰色の髪を編み込んで、マーサル夫人よりは作業向きの服装です。
「ハルカ工房の千歳と申します。本日はお忙しい中お時間頂きありがとうございます」
「あらやだ、私たちよりしっかりしたお嬢さんじゃない? 娘に見習わせたいわ」
「アンタの所のはまだ遊び盛りでしょうが」
立ち上がって挨拶をしたチトセ様に「どうぞ座って座って」と言いながら二人の夫人も腰を下ろし、従業員に紅茶を注文されました。
「じゃ、長い前置きは好きじゃないからね。早速本題に入ろうか」
「とっても綺麗な糸、だったわね? 貴女の作品、見せてもらえる?」
一転して職人の顔になった御夫人方。
その目線を受け、チトセ様はぐっと背筋が伸びました。
しかし、振り向いて私を促すそのお顔は、店に入る前の不安げなものではなく、どこか悪戯めいた自信のある表情。
それを嬉しく思いながら、私は荷物からビー玉の糸巻きを取り出しました……
* * *
「キャアアアアアアアアアア!! なにこれえええええ!?」
「こ、こんな……ええええええ!?」
糸巻きをご覧になり、たっぷり硬直された後に放たれたのは歓喜の悲鳴でございました。
それを聞きつけた従業員がすわ何事かと駆けつけては、ポポ夫人が掲げるように持った糸巻きを目にして驚愕し、他の従業員を呼びに走ってはまた驚愕しの繰り返し。
店中が上を下への大騒ぎとなり、全ての従業員がソファ周りに集まったところで、ようやくマーサル夫人が正気に返られました。
「ご、ごめんなさいね……想像よりずーっっっっと綺麗だったものだから……これ、何で出来てるの?」
「ビー玉です」
「ビー玉!? あれって糸にできるの!? ……いえ、今のは私が馬鹿だったわ。それができる技術を持った職人が、貴女なのよね」
マーサル夫人は、自分を落ち着かせるように紅茶をひとくち。
チトセ様はこの間、ずっと良い笑顔をされていらっしゃいました。
お気持ちはよくわかります。チトセ様の糸で驚かれる方々は、私も見ていて楽しいです。
すると、糸巻きを持ったまま固まっていらしたポポ夫人が口を開きました。
「……ラナン。エスティ様のドレス、納期いつだっけ?」
「えっ……待ってちょうだいプリア。まさかアナタ……」
顔を引き攣らせるマーサル夫人を意にも介さず、ポポ夫人は力強く立ち上がりました。
「金の部分、刺繍これでやる! レースもこれでやる!! 全部やりなおし!!」
「イヤァアアアア!! どうしてそんなこと言っちゃうのプリア!? 口に出したらそうしたくなるに決まってるでしょぉおおお!?」
「だってこっちのほうが絶対綺麗だものさ! 金糸みたいに綺麗で透明感と柔らかみがあるんだわよ!? 女性のドレスは今後絶対にこれ!! 間違いなく流行る!! 王女様の社交界デビューをスルーして、直後に他の貴族でこれ使ってごらん!? 王妃様達にお叱りを受けるに決まってるじゃないのさ!!」
マーサル夫人を打ち負かしたポポ夫人は、ぐるりとチトセ様に血走った眼を向けられました。
「アンタ!! この糸の在庫はまだあるのかい!?」
「アッハイ、工房にはそれなりに」
「全部売っとくれ!!!」
その言葉を待っていたかのように、従業員の方から契約書と小さなペンと魔法印が差し出されます。
「占有取引させてもらうことは可能かい?」
「あ、それはちょっと……帽子屋の『ドゥドゥ閣下』さんともう取引していますので」
「あの鶏紳士かい……いやでもそうだね。ドレスにこれ使うなら靴も帽子もバッグも一揃い必要になるさね。……わかった、靴屋と鞄屋はうちと懇意の所を紹介させとくれ」
「ありがとうございます」
あれよあれよと言う間に、今後の取引に関する書類が書き上げられていきます。リリパットのポポ夫人が書いているので、小さめの書類です。マーサル夫人はその隣で、靴屋と鞄屋に向けてでしょう、紹介状を書き始めました。
「ギルドの紹介状にあったんだけど、チトセちゃんのところはまだチトセちゃん一人なのよね? ってことはそんなに大量生産はまだ無理よね……ドゥ君のところと、うちと、あと靴屋と鞄屋……このビー玉糸はしばらくはこのグループだけで使わせてもらいたいわ。ギルドからは他所の紹介状は出てるのかしら?」
「いえ、色々候補はあったようなのですが、それこそ作れる量の事もあるので、まずはこちらに、と」
「最っ高。後でギルドにお布施しましょ」
そして、勢いよくペンを走らせていたポポ夫人が顔を上げます。
「こっちの都合で悪いんだけど、急ぎの案件に使いたいから今すぐ在庫の糸ありったけ持ってきてもらえないかね?」
「私がまいります」
ここは私のお仕事です。
一歩前へ出て申し上げれば、ポポ夫人は私に目を向け力強く仰いました。
「頼んだよ! 今すぐ! 一分以内!!」
「承知しました」
一礼し、失礼の無いよう店を出ながら、全身に身体強化の魔法。
扉が閉じると同時に、長鉢荘へ向けて全力で走ります。
1分いただきましたが、今すぐと仰っていたので出来るだけ早い時間を御所望のはず。
ならば通るべきは最短ルート、直線距離でまいりましょう。
通りを横断し、塀を渡り、バルコニーを駆けます。
後方で「うわー!?」とか「キャー!?」とか聞こえた気がしますが、姿が視認できない速さを出しているので問題はありません。
ハルカ工房へ到着。
チトセ様はひとつ完成すると、都度職人紋を押印なさいますので、このまま販売が可能です。
在庫の入った袋をそのまま掴んで、来た時と同じルートを戻ります。
「ただいま戻りました」
「えっ、早っ。本当に1分以内で来たわよこの子」
「優秀でいいじゃないのさ」
中身をご確認いただき、その場で全てお買い上げとなりました。
靴屋と鞄屋は同じ案件を抱えているため、納期以内にドレスと揃えるため比翼の抱
擁から糸を渡し話を通しておいてくださるとの事。
「ひと段落したら、そっちの工房に挨拶に行かせるように言っておくわ。これからもよろしくね、チトセちゃん」
「今日来てもらって助かったよ」
すぐに案件の作り直しにかかるそうなので、チトセ様と私はおいとまし……そして私達が外へ出るなり比翼の抱擁は臨時休業となりました。
「……この流れ、すごい既視感」
「私もです」
しかし、営業は大成功と言えましょう。
嬉しそうな顔のチトセ様と共に、大通りへと出てまいりました。
「そういえば、エスティ様?って王女様なの?」
「はい、現王家の末の王女様です。今年で14歳の社交界デビューとなりますので、手掛けていらっしゃったのはそのためのドレスかと」
「へぇ~、さっすが王室御用達だぁ」
他人事のようにおっしゃられるチトセ様。
どうやら、あまり事の次第を把握されておられないご様子。
「チトセ様。末とはいえ王女の社交界デビューということは、国中の貴族が御機嫌伺いにやってまいります」
「へぇ~、王女様だもんね」
「ご友人や結婚相手を見繕う意味も含めて、年の近い方々も大勢いらっしゃるのでかなり大規模な舞踏会となるでしょう」
「へぇ~、御伽噺みたい」
「その主役である王女様のドレスに、チトセ様の糸が使われます」
「……うん?」
「王室御用達の仕立て屋が悲鳴を上げるほどには美しい糸が大勢の貴族の方々の前でお披露目されます。さぞ注目を集めることでしょう。なお、今後の流行となることは、その仕立て屋によって保障されているものとします」
「…………」
チトセ様は一瞬無表情になった後、フッと微笑んで仰られました。
「……アリア、スイートビーの蜂蜜業者さんの所に行こうか。今後もビー玉仕入れさせてもらえるように」
「お供いたします」
なお、ただただ廃棄に手間がかかるばかりだったビー玉がお金になる事となり、蜂蜜業者の方には大変お喜びいただいたのでした。




