決戦1
「えぇ? 集団食中毒かと本気で心配したのにあれはレナートの仕業だったの?」
事件は昨日に起きた。十名ほどのナルエフ兵が腹痛を訴えひどく苦しみだしたのだ。食事に問題があったのかとオディーリアやクロエは相当心配していたのだが……。
「自身の兵士に下剤を飲ますなんて、一体どうして」
唇をとがらせて、珍しく怒りをあらわにしているオディーリアにレナートはけろりと言葉を返す。
「あいつらはロンバル兵だ。我が国の兵じゃない」
オディーリアは言葉を失った。彼らがスパイだったから、レナートは薬をもってその動きを封じたということなのだろうか。
「でも、そんなこと可能なの? あれだけの人数のスパイがまぎれこむなんて」
レナートは複雑そうな表情でうなずいた。
「ありえない話じゃない。ナルエフ側に手引きをした者がいればな……」
「こちらにも裏切り者がいるの? それって、もしかして……」
オディーリアの頭に浮かんだ人物はひとりだけだ。あのパーティーの夜、レナートにはっきりとした敵意を向けていた彼。
「クリストフ殿下?」
「だろうな。でも残念ながら、裏切り者はクリストフひとりじゃない」
「え?」
レナートはオディーリアに、ふっと悲しげな笑顔を向けた。
「えっと、もしかして私を疑ってたりは……」
オディーリアがそう言うと、レナートはポンとオディーリアの頭をはたいた。
「アホか。そんな疑いは1ミリも抱いていない。お前が元婚約者を気にかけるのは心底不愉快だが……」
レナートはオディーリアと腰を引き寄せ、その距離をぐいとつめると耳元でささやく。
「お前が誰を思っているかは、俺が一番よく知っている」
甘く艶のある声にオディーリアの背中はぞくりと震えた。こんなときだというのに、胸がドキドキとうるさく騒ぎだしちっとも静まらない。
「あの男を気にするのは、なにか理由があるんだろう。それはこの戦が終わってからじっくりと聞かせてもらう」
「でも、それなら他に誰が?」
オディーリアにはさっぱり見当がつかなかった。クリストフ以外となると、悲しいことに疑わしい人間は自分くらいしか思いつかない。
「俺がどうしてあいつらをスパイだと見抜けたか、わかるか」
オディーリアは素直に首を横に振った。
「剣の構え方だ。国や地方によって、微妙に違うんだ。辺境地の兵ならともかく俺の軍に編成される人間はそれなりのエリートたちだ。ロンバル式の構えをしているのは不自然だ」
「なるほど。あっ、だからイリムは面白いと言ったのね?」
少し前にレナートが言ったセリフの真意にオディーリアは気がついた。レナートはにやりと笑う。
「そう。あいつは総大将のくせに、戦場もそこで戦う兵のことも見ていない。自身の兵がどう剣を振るうかも知らないのだろう」
イリムをかばう言葉は思いつかなかった。まさにレナートの言う通りなのだろう。イリムは兵になど興味はない。自分の持ち駒だとしか思っていないはずだ。
「クリストフはそこまで馬鹿じゃない。今回のスパイを手引きしたのがクリストフならナルエフ式の構えをきちんと教えたはずだ。イリムと同じくらい戦場を知らない人間……バハル兄上だ」
「そんな!」
穏やかで優しそうな人物に見えたのに。オディーリアにはとても信じられなかった。
「俺も信じたくはないが、バハル兄上は幼い頃から身体が弱く戦はもちろん剣の稽古すらしたことはない。構え方の違いは知らないはずだ」
イリムとバハル。このふたりが組んでいたからこそ、レナートはスパイを見抜くことができたのだと言う。
「クリストフにそそのかされたのか、バハル兄上自身の意思かはわからないがな」
レナートは裏にクリストフがいることは確信しているようだった。
「でも、スパイの存在に気がつけてよかった」
そのままにしていたら、今頃レナートはどうなっていただろうか。考えるだけで指先が震える。もう彼なしに生きていくことなど、オディーリアには考えられなかった。レナートは厳しい顔つきのまま、遠くを見つめた。
「そうだな。もし気がつかずにいたら…俺はイリムに殺されていただろうな。それに」
「それに?」
レナートはじっとオディーリアを見据えた。
「クリストフは二重に罠を仕掛けた。イリムが俺を始末してくれれば万々歳。もし失敗しても、スパイを手引きした罪をおそらくオディーリアになすりつけるつもりだったんだろう」
思いがけず自分の名前が出たことにオディーリア驚き、目を見開いた。




