白い声2
イリムに会えれば、白い声を取り戻せるかもしれない。できれば二度と会いたくはない相手だが……レナートのそばにいるために必要なのだから仕方がない。背に腹はかえられない。
オディーリアはふかふかのベッドにお尻を沈めながら、う~んとうなった。レナートはまだ執務から戻ってきていないのでひとりきりだ。
「問題はどうやったらイリムに会えるか、よね」
ここは、故国ロンバルからはあまりにも遠い。気軽にひとりでロンバルに帰ることはとてもできない。レナートに言えば、きっと反対されるだろう。かといって、マイトとクロエにこれ以上世話になるわけにもいかない。
「なぜ浮かない顔をしている?愛する夫が帰ってきたというのに」
集中して考えこんでいたせいで、レナートが部屋の扉を開けた音にオディーリアは気がつかなかった。彼は背中からオディーリアを抱きしめると、うなじにそっとキスを落とした。
「あっ」
レナートは思わず甘い声を漏らしたオディーリアの顎を持ち上げると、正面から口づけをした。角度も変えてキスは何度も繰り返される。性急で、少し強引だった。
「なにかあったんですね」
オディーリアはレナートの身体を押し返しながら言う。このまま甘い愛撫が続けば、きっと彼に抗えなくなってしまう。そう思ったからだ。
レナートは驚いたように目を見張ったかと思うと、苦虫をかみつぶしたような顔でぼやく。
「お前は、嫌なところで勘が鋭いな」
「いつも見てるから。レナートの様子がおかしいことくらいわかります」
「かなわないな」
レナートはあきらめたように小さく息を吐いた。
「あんまり嬉しくない知らせがある」
オディーリアはなにも言わず彼の言葉の続きを待った。レナートは端的に答えた。
「また戦だ。相手は……ロンバルだ」
苦しげな顔で言うレナートを気遣うように、オディーリアは薄く微笑んだ。
「前にも言ったように私は故国になんの思い入れもない薄情者です。だからレナートが気に病む必要はありません」
もちろん生まれた国を嫌っているわけではない。ロンバルは気候に恵まれた美しい国だ。あの美しい国土が荒れ果ててしまうところを見たいわけではない。それに、またレナートが傷を負うかもしれない。それがたまらなく怖くもある。
(でもレナートは将軍だもの。それを恐れていたら、彼のそばにはいられない)
レナートの話によると、舞台となるのはロンバルでもナルエフでもなく二国間の国境付近
にある小国ティラだという。
「小国ながらずっと独立を保っていた国なんだが」
「えぇ、ティラは知ってます。小さいけど歴史のある国だったのに」
とうとうどちらかの傘下にくだらなくてはならないときがきてしまったのだろう。ティラの運命に思いを馳せながらも、オディーリアの頭には別の思惑が浮かんでいた。
(今度の戦争にイリムは出てくるだろうか)
彼はプライドが高い。前回ナルエフに敗れたことは汚点と思っているはずだ。雪辱を果たすために
この戦にも出てくるかも知れない。そうであれば、オディーリアにはまたとない好機だ。
(イリムに会えるかもしれない!)
オディーリアは早速レナートに頼みこんだ。
「私もティラに行かせてください。戦いの女神が従軍すれば、兵士の士気も高まると思います」
「いや……お前が来てくれるのはありがたいんだが……妙にやる気だな。なにか裏があるのか」
「そ、そんなことは!」
勘のいい彼にすべて見透かされてしまうような気がして、オディーリアは慌てて顔をそむけた。できればレナートには内密にことを進めたい。彼は自分のことには無頓着なくせに、オディーリアに対しては過保護なのだ。
(きっと心配して、反対する)
それに、あんなやつとはいえ一応イリムは元婚約者なのだ。レナートからすれば、いい気持ちではないかもしれない。
レナートには秘密でロンバル軍の情報を探ろう。オディーリアはそう決意した。従軍さえできれば、兵士たちから話を聞くのはそう難しいことではない。
「なにを考えている?」
レナートはオディーリアの細い腰を引き寄せると、背中からすっぽりと包みこむように抱きしめた。
「俺といるときは俺だけを見てろ。他のことに気を取られているなんて許せないな」
冗談とも本気ともつかない口調で言って、彼はオディーリアのうなじにキスを落とす。そのまま背中に舌を這わされ、オディーリアの身体はびくりと小さく跳ねた。
「レナートがこんなに嫉妬深いなんて、意外でした」
オディーリアはくすりと笑いながら、彼を振り返った。彼の嫉妬心や独占欲はくすぐったいが、オディーリアはひそかに嬉しく思っていた。これまで、親兄弟からさえも愛されたことなどなかったから。レナートに出会って初めて、愛される喜びを知った。誰かが自分を必要としてくれる。それがこんなにも、心と身体を満たしてくれるなんて。
イリムに会いたいのは、レナートのそばにいたいがためだ。オディーリアだってレナートのことしか考えていないのだが……彼はそこには気がついていないようで、いまオディーリアの頭を占めているなにかに激しく嫉妬している。
むくれた顔で彼は言った。
「俺だって、意外だったさ。お前は特別だ。みっともないほどに執着して、片時だって手放したくない」
レナートの指先がオディーリアの耳元をくすぐる。耳が弱いオディーリアは小さく声をもらした。
「もっと聞きたい。お前の声は病みつきになる」
しわがれて醜くなったこの声さえも、彼は愛してくれる。幸せで、なんだか怖いくらいだった。
「レナート」
潤んだ瞳に湿った唇。蕩けきった表情で彼の名を呼ぶと、レナートは満足気にうなずいた。
「あんなに初心だったのに、すっかり大人になったな」
「だ、誰のせいだと……」
羞恥で顔をゆがめたオディーリアの唇をレナートは強引に奪う。息もつけないほど、何度も何度も貪るように求めらる。
「初心だった頃もよかったが、今はなおいい。俺の教えた通りに反応し、俺の好むように鳴く。かわいくて、愛おしくて、たまらない。愛してる、オディーリア。永遠に」
彼のあたたかい胸のなかで、優しい夢を見た。自慢の美しい声でオディーリアは歌う。かたわらでは、レナートが目を閉じそれに聞き入っていた。
(絶対にイリムに会うんだ。レナートのそばにいるためにも、白い声を取り戻さないと)




