恋心3
みなの前では、やはり気丈に振る舞っていたのだろう。ふたりきりになったら、途端にレナートの容態は悪化しはじめた。
どんどん熱があがり、呼吸は浅く速くなっていく。いくらぬぐっても、額から流れる汗が止まらない。
「頑張ってください。苦しいと思いますが、少しお水を」
オディーリアは布に含ませた水を彼の口元に垂らしてやった。
「あぁ、悪いな」
「喋らなくて、大丈夫ですから」
血の気のひいた顔色を見ていると、不安でたまらなくなる。
もしも、このまま……。考えたくもないことなのに、つい想像してしまう。
(ダメよ。看病する側が弱気になるなんて、絶対)
オディーリアは必死に自分を奮い立たせ、彼に笑顔を見せた。
「今夜ひと晩の辛抱です。明日にはきっと回復していますから」
「あぁ、そうだな。オディーリア……」
レナートが小声でなにかささやいた。オディーリアは慌てて、彼の枕元に耳を近づけた。
「笛を、お前の笛が聞きたい」
オディーリアはうなずき、懐にしまっていたガラス笛を取り出した。
少し迷ってから、オディーリアはある曲を奏ではじめた。
それは、初めての恋を歌った曲だ。オディーリアは自身の気持ちを笛の音色に乗せた。
レナートがこの曲を知っているかはわからないが、別にそれでも構わなかった。きっと伝わると、信じていた。
甘く、切ないメロディがふたりを優しく包みこむ。
曲を吹き終えた彼女に、レナートはひとことだけ言葉をかけた。
「ぴったりの選曲だな」
オディーリアは微笑んだ。
「はい、ぴったりです」
その夜、オディーリアは寝ずの看病を続けた。その甲斐あってか、翌朝のレナートの顔には生気が戻っていた。
「……だいぶ、楽になった」
「はい! 熱もかなり下がりましたし、頬にも赤みが戻ってます」
「お前も疲れたろう。俺はもう大丈夫だから少し休め」
オディーリアはぶんぶんと首を振った。
「疲れてなどいません。責任をもって看病すると約束しました。お邪魔じゃなければ……そばにいさせてください」
レナートは彼女の頬を撫でて、微笑んだ。
「では、そばにいろ」
レナートは軽い食事を摂り、身体を起こせるまでに回復した。
「傷の包帯を、取り替えてもいいですか?」
「あぁ、頼む」
彼の背の矢傷はまだ生々しく、見ているほうが痛みを覚えるほどだった。
「痛みますか?」
「痛くない。と言ったら、嘘になるな」
オディーリアは白く細い指先で、そっと彼の傷をなぞった。そして、優しく口づけをした。この痛みを自分が貰うことはできないだろうかと、願いながら。
そのまま彼の背に体重を預けた。
「……私、イリムを嫌いだと思ったことはなかったんです」
「王太子様の話か?」
「はい。全然好きでもありませんでしたが、別に嫌いとも憎いとも思っていませんでした」
「あんなにこっぴどく裏切られたのに?」
「裏切られてはいないんです。初めから、互いに信頼などしていませんでしたから」
「なるほど。たしかにそうだな」
レナートは苦笑している。
「で、王太子様がどうかしたか?」
「昨夜、初めてイリムを心底憎いと思いました。〈白い声〉を奪った彼を……」
治癒能力さえあれば、こんな傷はすぐに治してあげられるのに。それができない自分が、もどかしく腹立たしかった。
「もし、あなたが助からなかったら……どんな手段を使ってでもイリムを殺そうと、そう思いました。自分の中にこんなにも強い感情があるとは、知らなかった」
「……そうか。でも、この話はもう終わりにしよう」
殺すなどと言って、不快にさせただろうか。オディーリアが弾かれたように顔をあげると、背中ごしに振り返ったレナートに唇を塞がれた。
唇を割って、熱く柔らかなものが侵入してくる。息もできないほどに、深い口づけだった。
「お前の口から、他の男の名など聞きたくない」
彼女の唇を解放したレナートは、そう言ってふっと笑った。
「俺の名前だけを呼んでおけ」
「……レナート」
オディーリアは上目遣いに彼を見つめ、その名を呼んだ。名前を口にするだけで、痛いほどに胸が甘く疼いた。
「もっとだ」
「レナー……んっ……」
名前を呼べと言ったくせに、彼はまたオディーリアの唇を塞いでしまう。頭の芯が痺れて、蕩けていくようだった。
「……俺は今、矢を放ったカシュガル兵が心底憎いな」
「傷が、痛むのですか?」
「いや。この傷のせいで利き腕が痺れてて、使いものにならん。これじゃ、お前を抱けない」
「腕の問題以前に……そういうことはマイトに禁止されています」
「そうだったな。じゃあ、アーリエに戻ってからにするか」
からりと笑うレナートとは対照的に、オディーリアは真っ赤な顔でうつむいてしまった。
「……そんな日は来ないと思っていたのに」
「そうか? 俺は絶対に来ると思ってたぞ」
レナートは自信たっぷりにそう言った。オディーリアは少し呆れて、ふぅと息を吐いた。
「では、早く元気になってくださいね」




