番外 おかしな女
「油断した……」
レナート・ドゥーエ将軍率いる、ナルエフ軍の第一隊に所属するアスランは負傷した右脚の腱をおさえ、ちっと舌打ちした。
「申し訳ありません、マイト隊長」
アスランは自身の上官であるマイトに頭を下げた。
自分よりふたつも年下かつ、ぱっと見は軟弱そうな外見の彼を初めて見たときは「家柄だけで成り上がったのだろうな」と思った。
が、剣を合わせてみて、それが大きな勘違いであったことを知った。
彼ほどの剣の天才には、これまで会ったことがなかったし、これから先にもおそらくないだろうと思っている。
それ以降、アスランは彼の剣を存分に生かすことを自分の使命と心得ていた。
「三日で治してきてね、アスラン。君が盾になってくれないと、僕の攻撃力は半減しちゃうよ」
盾になれ。とは、ひどい言い草とも取れるが、アスランにとってはこれ以上に嬉しい言葉はなかった。
自分の助力で、この天才がその能力をフルに発揮できると言ってくれているのだから。
「はいっ。二日で戻って参ります」
アスランはいったん本陣に退き、怪我の治療に専念することにした。
が、治療にあたってくれた女が……大ハズレだった。
「えーっと、まず消毒よね。あ、これね、これ」
女は小瓶の蓋をあけ、手にしている綿布に中の液体をドボドボと垂らした。量が多すぎるし、なにより……
「それは消毒液じゃないです。そっちの緑の蓋の方です」
「えっ、マジ? あ、ほんとだ。書いてあるわ」
「……初めて見る顔ですね」
長期に渡る戦の場合、女の従軍はさほど珍しいわけではない。いわゆる夜の女達だ。あとは炊事や看護にも何人かの女が混じることはあるが……彼女のようなタイプは普通いない。
身なりや立ち居振る舞いから推測するに、彼女は貴族の娘だろう。なぜ、こんなところに紛れ込んだのだろうか。
「そう、初めてなのよ。だから、包帯うまく巻けないかもしれないけど許してね!」
初めてとか、うまくないとか、そういう次元ではなかった。
包帯を切るはずのところで肉を切られ、余分な傷がひとつ増えた。二日で完治させるつもりのアスランには、これは深刻な問題だ。
「もう自分でやるから、それ貸してください」
「え~でも怪我してるのに」
「怪我は脚です。手は無事ですから」
たとえ手を怪我していても、彼女よりはうまく巻けるだろう。そう思ったアスランは彼女から包帯を奪い取った。
「わっ、上手ねー」
くるくると器用に包帯を巻いていくアスランを眺めながら、彼女はぱちぱちと手を叩いている。
『戦場になにしに来てるんだ?』
そう文句のひとつも言いたかったが、明らかに自分より身分の高そうな女だ。アスランは心の声をぐっとのみこむ。こんなつまらぬ事で斬首にでもされたら、たまらない。
自分が死ぬときは隊長の盾としてだ。彼はそう心に決めていた。
アスランは目の前の女を改めて、眺めた。おかしな女だが、わりと美人だ。艷やかな黒髪が美しいし、賢そうな品のいい顔立ちをしている。喋るとちっとも賢そうじゃなくなるのは、まぁご愛嬌といったところだろうか。
ふと、戦場でまことしやかに囁かれていた噂を思い出す。
「まさか……あんたが?」
「え、なぁに?」
「レナート将軍の元に、天から戦いの女神が舞い降りたと、噂になってるんだ。彼女に微笑んでもらえたら、無敵になれると」
「やだっ! もしかして、口説かれてる? え~運命の出会いってやつかしら?」
「……絶対違うな」
アスランははっきりと確信した。このおかしな女はアテナではないし、この出会いは運命の出会いでもなんでもないと。
夜になり、本陣に戻ってきたマイトがアスランを見舞ってくれた。隣には、なぜかあのおかしな女がいた。やけに親しげだ。
「え~アスランの手当て、クロエがしたの? やめてよ、僕の大事な部下なんだから」
「アスランって名前なのね。名前もかっこいい! マイトの部下だなんて、やっぱり運命なんだわ」
「……クロエはそんなに元気なら、いっそ戦場に出たら?」
マイトはアスランの前にかがみこみ、彼の負傷した脚に触れた。
「怪我の具合はどう? 約束の三日でいけそう?」
「約束は二日です。もちろん守ります」
「頼もしいな、アスランは。君が復帰したら、僕はちょっとサボるから
よろしくね~」
それを聞いてアスランはほっと安堵した。マイトが手を抜くのは、勝ちを確信している相手にだけだ。
彼は剣も天才的だが、戦況を読む能力もずば抜けている。この戦に負けはないと読んだのだろう。
その時だった。ざわざわしていた場が、水を打ったようにしんと静まり返る。みなが一点に視線を向けている。
「あ、女神様のご登場だ」
マイトの言葉に、アスランも吸い寄せられるようにそちらに目を向けた。
今夜も凛々しく美丈夫なレナート将軍にエスコートされ、ひとりの女が姿を見せた。
アスランは思わずごくりと息を飲む。
とてもこの世のものとは思えない美貌だった。天から舞い降りてきたなんて嘘くさいと思っていたが、彼女ならきっとそうなのだろう。むしろ、人間の女から産まれたというほうが信じ難いくらいだ。
彼女がふわりと微笑むだけで、全身に力がみなぎるのを感じた。
「アテナ……だ」
アスランは恍惚の表情で、つぶやいた。そんな彼の頬を、マイトがぺしっと叩く。
「ダメだよ、アスラン。あの子は将軍の宝物だから。首が飛ぶよ。あ、代わりにクロエならどうかな?」
「えぇ、将軍のって……」
がっくりと肩を落としたアスランは、おかしな女ーークロエに目を向ける。そして、憮然とした顔で言い放つ。
「本物は……やっぱ違うな」
なぜ彼女をアテナかも……なんて思ったのか。勘違いにも程があるだろう。
「ちょっとー! 今のどういう意味よ?」
アテナとは似ても似つかないクロエの怒鳴り声を聞きながら、アスランは尊敬していたレナート将軍を、初めて妬ましく思ったのだった。




