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側室3

「これ……です」


 オディーリアは握りしめていた手をそっと開き、中のものをレナートに見せた。


「なんだこれは? 笛か?」


 彼女の手の中にあるのは、透明なガラスで出来た小さな笛だった。かわいらしい品物だが、高級品というよりは子供向けのちょっとした土産物のように見える。


「はい。私の故郷の町でたくさん作られていた名産品です。1デルでお釣がくる安物ですけど……」

「それを、くれるのか?」

「いえ……その……私が吹いて聞かせようかと……」


 オディーリアは恥ずかしそうにうつむいた。

 妻というより、幼い娘がたまにしか会えない父のために一生懸命考えたもてなしのようではあるが……彼女は色恋に関しては、まさしく幼い娘のように初心なのだろう。

 それに、人形のように無気力だったオディーリアが自分のためになにかをしようと考えてくれたのだ。その気持ちが、レナートは素直に嬉しかった。


「それはいいな。聞かせてくれ。俺は音楽が結構好きだぞ」


 そう言うと、オディーリアはぱっと顔を輝かせ嬉しそうに微笑んだ。


(この顔は……夜這いより価値があるかもな)


 レナートは目を細める。

 オディーリアを連れて来たことはなりゆきというか……別に深い考えがあってのことではなかった。ただ、婚約者に裏切られたというのに眉ひとつ動かさなかった彼女に、ほん少し興味がわいただけだった。

 だが、連れ帰ってきたことに後悔はない。今の笑顔を見られただけで、300デルの価値はあっただろう。


「なにかお好きな曲はありますか?」

「そうだな……お前の一番好きな曲を」


 ふたりきりの静かな部屋に、笛の音が響く。素朴で、郷愁を誘うような優しい音だ。オディーリアの腕前はかなりのものなのだろう。おもちゃのような笛ひとつで、目の前に彼女の郷里の風景が広がっていくようだった。

 きっと、小さな麦畑のかたわらには清らかな小川が流れているのだろう。夜になれば、優しい月の光に照らされて、小川はキラキラと輝くだろう。


「故郷も……帰りたい場所ではないのか?」


 レナートが聞くと、オディーリアは少し考える素振りをした。


「そうですね……懐かしい気もしますが、故郷のほうは私を懐かしんではくれないでしょう」


 レナートはそれ以上は追求しなかった。触れられたくない過去は、誰にでもある。レナート自身にも覚えがある。


「オディーリア。仕事が欲しいと言ったな」

「はい、することがなさすぎて困っています」

「では、毎晩ここでその笛を吹いてくれ」


 オディーリアは困った顔で、首をかしげた。


「俺は寝付きが悪いんだ。お前のその笛の音色は安眠によさそうな気がする。俺が眠るまで、ここで笛を吹いてくれ。--ダメか?」


 オディーリアはぶんぶんと勢いよく首を横に振った。あどけない少女のような笑顔で、レナートを見つめる。


「では、曲のレパートリーを増やしておきます」

「あぁ、楽しみにしてる」

「はい!」

「オディーリア」


 レナートは彼女の名を呼び、その口元から笛を奪い取った。


「えっ……」

「礼だ」


 短く言って、今度こそ彼女の唇を奪った。

 目をぱちくりさせている彼女を見て、にやりと笑う。


「油断するな。時々味見はすると言っただろう」


 こうして、夜になるとオディーリアはレナートの部屋をおとずれるようになった。数ヶ月後には、そのまま一緒のベッドで眠るようになり、オディーリアの私室は単なる衣装部屋になった。


 レナートは時折は彼女の唇を味わうが、それ以上の味見をすることはない。

 お互いに、お互いの気持ちをはかりかねていた。

 恋と呼ぶには不確かな感情の揺れに、オディーリアは戸惑っていたし、レナートはレナートで彼女のような女の扱い方はわからないとぼやいていた。


 それでも、お互いに、その曖昧な関係が不快ではなかった。それどころか……なくてはならないものに変わりつつあった。

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