側室2
「くぁ~」
レナートは事務仕事の手を止め、大きなあくびとともにぐっと伸びをした。
すっかり夜も更け、普段から夜更し気味のレナートの瞼もさすがに重くなってきていた。
「寝るか」
わずかに残っている書類から目を背け、そうつぶやいた。きりのいいところまで……そう思っていると、いつまでたってもきりがつかない。仕事とはそんなものだ。
ガウンを脱ぎ捨て、広々としたベッドに身体を預けた。
静かな部屋にひとりでいると、いつも以上に感覚が研ぎ澄まされる。
部屋の前の廊下に、誰かがいる。その気配を察して、レナートは素早く身体を起こした。
その人物は、レナートの部屋の扉の前にじっととどまっている。
「誰だ?」
レナートは短く呼びかけた。城の警備は信頼のおける兵達に任せているから、おかしな者が紛れこむことはないだろう。だが、目的のわからぬ訪問者は不気味だ。
「えっ…あっ…」
細く、かすれた声だった。ノックもしないうちから声をかけられ、逆に驚いているのだろう。
「なんだ、オディーリアか」
レナートは安心して扉を開けた。
夜着姿の彼女が所在なさげに、そこに立っていた。
「寒いだろう、入れ」
ナルエフは冬が長い。短い夏が終わるとすぐに急激に冷え込むのだ。冬に向かう今の時期は、もう朝晩はかなり気温が下がる。
オディーリアを黒い革張りのソファに座らせると、レナートは彼女に言った。
「なにか飲むか?」
オディーリアはふるふると首を振った。彼女はいつも無表情だが……そのなかの微妙な変化を、レナートはだんだんと見分けられるようになっていた。
(……緊張か?)
だが、なぜ緊張しているのかまではわからない。
オディーリアはいらないと言ったが、レナートはふたり分の茶を用意して彼女の元へと戻った。
「どうした、寝惚けて自分の部屋がわからなくなったか?」
城は広いし、防衛の観点からもあえてわかりにくいよう設計されている。ここに来たばかりの彼女が迷っても不思議はない。
「いえ、レナートの部屋に来たくて来ました。迷ってはいないです」
彼女の声はかたい。緊張感がさきほどより増しているように見える。
(なんで緊張? わからん女だ)
オディーリアは老成していると言えるほどに大人びた面と、右も左もわからぬ童女のように幼い面とが混在している。今はどちらの彼女なのか……レナートも判断がつかなかった。
「なにか用か。言ってみろ」
オディーリアは散々に逡巡した末にようやく顔を上げた。その表情には並々ならぬ決意がみなぎっているように見えた。
こんな顔をするほどの話とはなんなのか……レナートは怪訝に思いながら、彼女の答えを待った。
「はい。側室としての責務を果たそうと参りました」
そう答えた彼女からは、まるで負け戦に向かう将軍のような悲壮感が漂っていた。
側室としての責務とは……。
「夜這いに来たか?」
それならば、彼女のこの妙な様子にも納得がいく。
レナートはぐいっとオディーリアの肩を引き寄せた。ふわりと鼻をくすぐる甘い匂いと、薄い夜着ごしに伝わる温もりが心地よい。レナートは自身の体温がぐっと上がったのを感じた。
衝動のままに彼女の薔薇色の唇を味わおうとしたが……。
「違います!」
白く柔らかな手のひらに、唇を押し返されてしまった。
キスを拒まれたことなんて、彼の人生で初めての経験だった。
「クロエもマイトもレナートも、どうしてすぐそういう発想になるんですか?」
オディーリアはほんの少し頬を染めて、唇を尖らせた。一度スイッチの入ったレナートには、そういう表情は男を煽っているようにしか見えないのだが……おそらく彼女は無自覚なのだろう。
レナートは彼女には聞こえないよう、こっそりと息を吐く。
「そういう発想もなにも、さっきのお前の発言はそうとしか取れないだろうが」
「そんなことはありません。側室……妻の責務は夫を喜ばせることでしょう?」
「だから、悦ばせてくれるんだろう」
レナートは彼女をからかうように、小さな耳朶を優しく食む。
「ひゃあ」
耳を責められることに慣れていないのか、彼女はかわいらしい声をあげた。首筋まで赤く染まっている。 オディーリアは嘆いていたが、レナートは彼女のかすれた声がとても好みだった。
くっくっと笑いながら彼女の顔をのぞきこむと、満天の星がきらめく美しい夜空のような瞳がレナートをきっと睨みつけている。
「わかった、わかった。夜這いじゃないんだな。じゃ、なにをしてくれるんだ?」
レナートは純粋に疑問だった。こんな夜更けにわざわざ訪ねてきて、なにをするつもりなのだろうか。
彼女の思考回路はレナートとはあまりにもかけ離れているので、予測不能で面白い。
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