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86.花々が咲き誇る国

 そして、やって来たエリクシア祭当日。生まれて初めて訪れたフレイヤの国に、ヘリオドールは開いた口が塞がらない状態だった。


「うわー……」


 住民のほとんどはエルフ、またはハイエルフで美しい容姿をした者ばかりが歩く町。至るところに花々が咲き誇り、建築物も皆木造である。常に甘い花の香りが漂っており、ノルンでは見かけないような幻想的な色彩の翅を持った蝶が飛び交っている。

 自然との共存とはこういうことを言うのだろうか。森で育ってきたヘリオドールには、とても素晴らしい場所に感じられた。空気も美味しい。


「すっごいわね……」

「ティアさんによると、フレイという国もこういう感じらしいですよ」


 ヘリオドールの横を歩いていた総司が周りを見回しながらそう語る。手に持っているクレープのような食べ物は先程、露店で買ったものだ。薄い生地の中には牛の乳で作ったクリームと、フレイヤでしか採れない果実がふんだんに包まれている。この果実は生のままだというのに、砂糖漬けしたかのような甘みを持っており、国内でも人気の食材らしい。

 はぐはぐと食べ進めていく総司にヘリオドールは「ゆっくり食べないと詰まらせるわよ」と注意した。彼女は総司と同じようにクレープを買って、あまりの美味しさに総司よりも早いペースで食べ終えていた。その途中で実際に詰まらせて死にかけているので、説得力があった。


「ふふ……」

「どうしたんですか、ヘリオドールさん」

「何でもないわよ。ふふふ……」


 何でもないと言いつつ、ヘリオドールは頬を赤らめて喜んでいるようだった。いや、実際彼女は喜んでいるのだ。


(お似合いかあ……やっぱりそう見えるのかしら)


 クレープ売りの露店に行った時のことだ。店主はクレープを二つ頼んだ総司に、ニヤニヤした表情でこう言ったのである。


 あんたら、お似合いだぜ。


 たとえ、お世辞だとしても嬉しいことには変わりはない。ウルドの中心部では姉弟のようだとはよく言われるが、恋仲に見えるとはあまり言われない。

 決して総司をそういう目で見たりはしていないものの、若い異性とお似合いと褒められて嬉しくないはずがない。……決して総司をそういう目で見たりはしていなくても。大事なことなので二回心の中で唱えながら悦に入る。

 いつまでも店主の一言を脳内再生させている上司。そんな彼女をずっと眺めていた総司が少し申し訳なさそうに言う。


「すみません、妙な勘違いをされてしまいましたね」

「え」

「あのクレープ屋さんに僕たちが恋人だと勘違いされてしまいました」


 直球である。クレープがはみ出た白いクリームを零れないように食べる総司に、ヘリオドールの顔色は赤くなったり青くなったりを繰り返した。


「な、何言ってるのよ! 別にあんたが私の彼氏って思われても実際は違うんだから、どうもしないわよ。変なことで悩むんじゃないの!」

「それなら良かったです」


 ぱく。話を終了させてクレープを一口かじる総司に、ヘリオドールは悟った。この子は先程の勘違いを真実に発展させるために話題を出したのではない。本当にヘリオドールを気遣っていただけなのだと。

 しかし、その優しさが今はとても気に食わない。ヘリオドールは自らの容姿が少なくとも中の上であると自覚していた。そんな異性とお似合いだと言われたのだ。ほんのちょっとでもいいから照れたりはしないのだろうか、この鉄仮面少年。


「あ、あんたこそどうなのよ。私みたいな年上の女が彼女なんて……」

「僕は……」

「お父様―!」


 遠くから聞こえたティターニアの声。彼女は民家の屋根を次々と飛び移りながら、二人の元に近付いていった。それだけでもヘリオドールには衝撃的だったのに、更にすごいことに気付いて思わず目を擦った。

 ティターニアはドレスを着ていなかった。上下共に身軽そうな黒い衣服に身を包んでいる。長い髪も後ろで一つに結い上げていた。

 それだけならまだいい。問題は両手に装着している赤い籠手である。アスガルドでは見られない文字が刻まれていた。

 ヘリオドールには見覚えがあった。これはウトガルド、それも総司が暮らす日本という国にある『漢字』である。


「総司君、ティターニア姫様の籠手の漢字って……」

「闘魂ですね。僕が教えました」

「ゴルァ!!」


 姫を辞めさせるつもりか。

 しかし、当の本人は厳つい文字が刻まれた籠手を幸せそうに見下ろしている。

 この日のためにライネルがわざわざ作ってくれたらしい。彼は一体どんな気持ちでこれを作っていたのだろう。

 ヘリオドールが生暖かい気持ちになっていると、人混みを掻き分けてブロッドがこちらへ駆け寄ってきた。


「ソウジくーん! 姫様ー! そろそろレースの準備が始まるから集まって欲しいそうだ!」

「はい。呼んでくれてありがとうございます、ブロッド君」

「どういたしましてだ! 今日は一生懸命頑張るだ!」

「アーデルハイト様のためにですか?」


 本日二度目の直球。総司からのシンプルかつ破壊力抜群の質問にブロッドは、ビョンとその場で跳び跳ねた。


「ソ、ソウジ君知ってただ……!?」

「先日、ヘリオドールさんに教えてもらいました」

「ど、どうして言っちゃうだ、ヘリオドールさん!」


 ブロッドから上がる非難の声に弁解も出来ず、ヘリオドールは素直に「ごめんなさい」と謝った。

 心を許している友人に恋心を知られていたという事実に悶絶するブロッドに、ティターニアが急かすように言った。


「告白はいつしますの?」

「こ、告白ぅ!?」

「だってアーデルハイト様は独身ですけど、狙っている男はたくさんいますわ。ここは先手必勝ですわ!」

「告白だなんてそんなの無理に決まってるだ!」


 ティターニアからの提案にブロッドは必死で首を横に振った。

 確かにアーデルハイトにこの想いを伝えたいという気持ちはある。しかし、どうせ実らない無駄な恋心を伝えたところでどうにもならないだろう。

 総司と違って揺るがない強さを持っているわけでもない。ライネルと違って美しい宝石細工を作れるわけでもない。こんなちっぽけなオーガが、この華やかな妖精国の大臣に好きだと告白したとしても。

 まだ告白もしていないのに、今からアーデルハイトに拒絶される場面を想像して落ち込むブロッドの肩を叩いた者。それは総司だった。


「ではブロッド君、こういうのはどうでしょう」

「?」

「僕らが優勝したらブロッド君がアーデルハイト様に告白するんです」

「えっ!?」


 思わぬ言葉に頭の中が真っ白になったブロッド。だが、女性陣は総司に賛成するように明るい笑みを見せていた。


「いいわね、それ!」

「お父様名案ですわ!」

「ま、待って欲しいだ! オラは……」

「優勝するとエリクシア様の加護が得られます」


 総司がブロッドの困惑の声を遮った。

 エリクシアの加護。ブロッドは呆けた表情で頷く。



「エリクシア様はとても優しい人です。きっとブロッド君を後押ししてくれるはずですよ」

「うん……うん!」


 ブロッドの目に輝きが戻りつつある。エリクシア様の加護云々よりも、総司に応援してもらっている。それだけで勇気が湧いてくるので不思議だ。

 まるで彼の強い心を分けてもらっているかのようである。


「オラ……やるだ。レースで優勝してアーデルハイト様に告白するだー!」

「その意気です、ブロッド君」

「一緒に頑張って欲しいだ、ソウジ君! 姫様!」


 完全にやる気モードのブロッドに、総司とティターニアはアイコンタクトした。


「当たり前ですわ!」

「君の友達として出来ることは何でもします」

「ありがとうだ!」


 人間とオーガとハイエルフ。種族も立場も違えど、友人を思いやる気持ちに変わりはない。


(頑張ってね、皆……!)


 暖かい三人の友情にヘリオドールは涙ぐんでいた。





 ヘリオドールが感動している頃、フレイヤ城には一人の獣人が招かれていた。町も緑に覆われていたが、城の内部にも様々な花が咲いていた。自然を愛するエルフの国なだけはある。

 ユグドラシル城とは大違いだ。オボロは周囲を絶えず見回していた。


「そんなに珍しいかの?」


 オボロの前を歩いていたアーデルハイトが苦笑気味に尋ねた。背中に目でも付いているのか。オボロは露骨に顔をしかめた。


「フレイヤに入れる日が来るなんて思ってなかったんだ。好きに観察させてくれてもいいんじゃないの?」

「見るなとは一言も言っていないが。そちは客人。青臭い国だが、ゆっくりしてくれると妾も気が楽になる」

「気が楽になる? 逆じゃなくて?」


 オボロの声色が変わる。冷気を孕んだ探るような眼差しがアーデルハイトの背中に突き刺さる。

 アーデルハイトが足を止めた。


「変だと思ったんだよ。本当は来る必要なんてなかった僕とヘリオドールに、急に昨日になって人手が足りないから来て欲しいって言うなんて」

「……気付いておったのか」

「三日前にアイオライトとジークフリートがユグドラシル城に行ったきり、戻らないのも引っ掛かったから少し調べてみたんだ。そしたら、こんな話が出てきたんだ」


 オボロは余裕を崩そうとしないアーデルハイトに溜め息をついてから言い放った。


「大臣は知ってる? 以前、ティターニア姫を誘拐しようとした『漆黒の魔手』の残党が蠢いているそうだよ」


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