85.初めての召喚術
「それにしてもブロッド君が三人目かあ……よく引き受けたわねえ、あの子」
エリクシア祭まであと一週間。総司がウトガルドから買ってきてくれたスルメを食べながら、ヘリオドールは意外そうに呟いた。ティターニアと総司が言う三人目がブロッドであることは何となく気付いていたのだが、彼はオーガらしくなく気弱で大人しい性格だ。ただの競争ならともかく危険だらけのレースに参加するとは思っていなかった。
最初は総司に言いくるめられたかと思いきや、どうやらそうでもないらしい。というのも、あのあと役所に総司たちと共にやって来たブロッドはずっとアーデルハイトに熱い視線を送っていたのだ。レースに参加するのは本当かと聞いてみれば、何故か顔も赤くしていた。
あーあ。ヘリオドールはオボロと目を合わせて同時に溜め息をついた。恋の力は恐ろしいものだと。
大丈夫かしら、と心配し過ぎて頭が痛くなってきたヘリオドールに、総司はスルメの足をちびちび食べながら瞬きを数回した。
「レースはそんなに危険なものでもないみたいだから大丈夫ですよ」
「私が言ってんのはレースの内容じゃなくてブロッド君がアーデルハイト様を好きになったことよ」
「あら、そうなんですか」
「そうなんですかって……アンタ気付いてなかったの!?」
ティターニアも「応援しますわ、ブロッド様!」とどこか悪戯っ子のような笑顔を見せて言っていたというのに。変な所で鋭くて、重要なことには全く鈍い。
こういう年頃は色恋沙汰に多感な時期なのに、とヘリオドールは呆れたように息を吐いた。
「私たちですら話聞かなくても何があったか分かったのに……」
「だって、ブロッド君がアーデルハイト様にお会いしたのは、こないだが初めてですよ。好きになる暇なんてないでしょう」
「一目惚れしたって可能性があるじゃない」
「……一目惚れ」
ううむ、と総司が少し考える素振りを見せる。そういえば前にオボロが話してくれたが、この少年は一目惚れ否定派らしい。誰にでも温厚な性格だが、そういったドライな面も持ち合わせているらしい。
ヘリオドールはスルメを食べやすい大きさに裂きつつ、ブロッドを哀れに思った。
ところが、総司はここで意外なことを言い出した。
「まあ、それもあるかもしれませんね」
「え……えっ?」
ヘリオドールは驚いてスルメを握り締めた。一目惚れ否定派に一体何が起こったのだろう。
しかし、総司の心に変化を与えたのは、『彼女』だったらしい。
「ティアさんは初めて出会ったライネルさんをずっと想い続けて、ちゃんと結ばれました」
「なーるほど……」
流石の否定派も実際に一目惚れから始まって見事ゴールインしたカップルを見て、考えを改めたようである。愛の力はすごいと考えていたヘリオドールはふと、ある好奇心が沸き上がり尋ねてみることにした。頬はうっすら赤らんでいる。
「総司君は私と初めて出会った時、私を見てどう思った?」
「綺麗な人だと思いました」
「ほう、ほほう!」
照れる様子もなくストレートに答えてくれたヘリオドールは、にやけそうになる顔を必死で抑えていた。頑張れ筋肉。
そんな幸せな時間は唐突に終わりを迎えてしまった。休憩室に話題の中心人物となっていたオーガとハイエルフの少女がやって来たのだ。
「あっ、お父様いましたわ!」
「ソウジ君、オラも休憩時間に入っただよ~」
「分かりました。では、行きましょうか」
席から立ち上がった総司に、ヘリオドールは不思議そうに聞いた。
「どこ行くの?」
「魔物召喚の儀式をしに行きます」
すごいことを言い出した。凍り付くヘリオドールに、ブロッドがハッとした様子で口を開く。
「レースには三人一組で出場するけど、最大三匹まで魔物を連れていくことも可能だ」
「ふーん……でも、あんたたちって誰も召喚術使えないでしょ? 姫様だって……」
「魔物と言っても普通に捕まえてきたものや、自分で勝手に召喚したものは駄目らしいです。違反になってしまうようなので」
総司がティターニアへ何かを指示するように視線を送る。すると、ティターニアは手にしていた黒い書物を得意気な表情でヘリオドールに見せ付けた。タイトルが書かれていないようだが、分厚いそれからは強い魔力を感じる。
「連れていく魔物は、この魔導書を使って召喚したものに限定されていますわ。これは魔力をほとんど持たない人でも簡単に魔物を呼び出すことが出来るのですわ!」
「へえ、便利……」
「ただし、呼び出せる魔物がどんな物なのかはランダムみたいですわ。それも一つの楽しみですけれど」
つまり、魔力が高く高名な魔術師であっても、いざ召喚してみれば、とんだポンコツ召喚獣が出てくる可能性は十分あるということだ。その逆も然り。ただ、自分の運を信じて呼び出さなければならないらしい。
更に、一人一体という制限もあるようだ。と、そこまで説明を聞いたヘリオドールは怪訝そうに総司を見た。
「ちょ……総司君大丈夫なの? この子はこっちの世界の人間じゃないのよ?」
「安心してください、ヘリオドール様。これまでも実はエルフに変装してこっそりレースに参加していたウトガルドの人間は何人がいます。その全員がちゃんと召喚に成功していますわ」
ティターニアが胸を張って言う。そういうことなら今度は、総司がどんな召喚獣を呼ぶのか気になってくる。
ヘリオドールはそわそわした様子で口を開いた。
「ね、ねえ、私もその召喚に立ち会っちゃ駄目?」
「すみません。規定で召喚した魔物はレース直前までチーム内の人しか見てはいけない決まりになっています。きっとかっこいい魔物を召喚してみせますから楽しみにしててください」
「総司君……」
総司はいつもよりも活き活きしているように見えた。総司は魔力がなく、魔法が使えない。だが、フレイヤの魔導書を使えば一度きりではあるが、召喚術が使えるのだ。
平静を装ってはいるものの、実は嬉しくて仕方ないのだろう。そう考えると、総司が途端に可愛らしく感じられてヘリオドールはにやけが止まらなくなってしまった。
「はいはい。じゃあ、楽しみにしてるから行ってらっしゃい」
「? 分かりました」
ヘリオドールのご機嫌の理由が分からず、首を傾げつつ総司は二人のチームメイトと共に休憩室を出た。無人になった室内で魔女は一人じたばたしていた。
三人が向かったのは、使用していない会議室だった。誰かが潜んでいないかを確認してから扉を閉めて施錠もする。
準備も済んだところでティターニアが魔導書をブロッドに渡した。
「では、最初はブロッド様ですわ!」
「オ、オラかあ。とっても緊張するだよ」
「気合いと根性で猛者を呼び起こすのですわ!」
姫の口から出るとは思えない荒々しい言葉である。「本当に変わったなあ」とブロッドは少し怯えながらも、本を手に取った。
総司が何かに気付いたように、挙手したのはその時だった。
「召喚するのはいいんですけど、ものすごいでかいのを出してしまったら役所が一瞬で崩壊するような気がします」
「流石はお父様ですわ! いい所に気付きましたわね。でも大丈夫ですわ」
レースのために使用される魔導書で召喚出来る魔物は全てランダムだが、規格外の強さや大きさを持つタイプは含まれていない。同行出来る召喚獣はあくまでも補佐役だ。召喚獣の強弱そのものがレースの結果に影響を及ぼさないようにするためである。
なので、この建物を破壊してしまうような巨大な魔物を呼び出すことはないのだ。
「さあ、行っちゃってくださいませ、ブロッド様!」
「分かっただ……!」
ブロッドは本の表紙に掌を置くと瞼を閉じた。この魔導書での召喚術に詠唱は必要ない。ただ、念じるだけでいいのだ。
現れてくれ、と。
「あっ、魔法陣が出ましたわ!」
本の表紙とブロッドの前方に青白い魔法陣が現れた。あとは前方の魔法陣からブロッドが呼び出した召喚獣が現れるのを待つのみである。
強そうなのが出ますように、と祈りながらブロッドは念を送り続けた。すると、ティターニアが「ああっ!」と叫び声を上げた。
そんなにすごいものが出たのだろうか。興奮した様子でブロッドは瞼を開いて自らが召喚した魔物を確認した。
「キャンキャン!」
甲高い鳴き声。そこにいたのはゴツい魔物でもグロテスクな魔物でもない、小さな犬の魔物だった。ふわふわとした茶色い毛並みとぶんぶんと振られている尻尾。
召喚主であるブロッドの足元で鳴いている犬に、ティターニアが蕩けた笑顔を浮かべた。
「可愛いですわ~~~~~~~~~~~!!」
「僕の世界にいるポメラニアンとよく似ていますね。大成功ですよ、ブロッド君」
二人からは賛美の声が上がったものの、ブロッドは複雑な気持ちだった。
「いいだ? こんなんでいいだ!?」
「いいんですわ! さて、次は私ですわ」
次にティターニアが魔導書に念を送る。ぼう……っと現れた魔法陣。
王女が呼び出す召喚獣。総司とブロッドは目を逸らすことなく、魔法陣を見詰めていた。
「キャンキャン!」
ティターニアが呼んだのは、ブロッドが呼んだ小型犬の黒いバージョンだった。こちらも元気よく鳴いている。
「二匹目ですわ~~~~~~~~!!」
ティターニア、ヘブン状態。黒いポメラニアンを抱き上げてはしゃぎ回っている。
二匹ともちっさいポメラニアン。この緊急事態にブロッドは慌てふためく。
「この魔導書不良品だ!?」
「そんなことありません。最後はお父様ですわ。三匹目をお願いしますわ!」
「三匹目はちゃんとした魔物を出すだ、ソウジ君」
「僕はどうすればいいんでしょうか」
相反する二人の願いを聞き入れながら総司が魔導書に掌を乗せる。妖しげな光を帯びた魔法陣が姿を見せる。
ポメラニアンか。まともな魔物か。本日一番の大勝負。
「出てきましたわ……」
魔法陣の中から魔物の部位らしきものが抜け出てくる。あれは一体なんだろう。ティターニアとブロッドは目を凝らしてその物体を注視する。
徐々に明らかになっていく魔物の姿。だが、それが何なのかは全く分からなかった。
アメーバのような透明な半固体状の体をしており、ぐちゃぐちゃと粘着質な音を立てている。
「テケリ・リ! テケリ・リ!」
何あの鳴き声……。
魔物が発する謎の声にブロッドは恐れおののいた。だが、人懐っこい性格なのはポメラニアンたちと同じらしく、召喚してくれた総司にぴったり寄り添ってうごうごと蠢いている。
犬どころか、名称も分からない魔物に、ティターニアはショックを受けているのでは。ブロッドが恐る恐る様子を見てみれば、姫君は謎の物体に触りまくっていた。
「きゃー、柔らかくてひんやりしてて気持ちいいですわ」
「癒されますね」
「召喚大成功ですわね!」
「これで優勝目指して頑張りましょう」
自分が何とかしなければ、このチームは大変なことになる。ブロッドはそんな予感にごくり……と生唾を飲み込んだ。




