83.エリクシア祭
「……遅い!」
住民課で出生届を整理しながら、そう叫んだのはヘリオドールだった。さっきからそわそわしてはいたが、ついに我慢出来ずに声に出したかと肩を竦めたのはオボロだ。
「何でティターニア姫様を所長室に連れていくだけで、こんなに時間かかってんのよ! ねえ!?」
「ねえって……ソウジもアーデルハイト様の話に関わってんじゃないの?」
「関わってるって……ま、まさか総司君をフレイヤに連れていくとか!?」
ヘリオドールの過保護モードにスイッチが入った。半泣きで詰め寄る魔女に、オボロはげんなりしつつ「その可能性もあるな」と考えていた。総司はティターニアが恋人であるライネルの次に信用している人物である。国を動かす一人であるアーデルハイトまでやって来た以上、その可能性は十分あった。
それにアーデルハイトはフレイヤとノルン、二つの国に関わることだと語っていた。ならば、ウルドではなく国の中枢部のユグドラシルに向かうはずだ。こちらにやって来るメリットがない。
あるとしたら、この都市にはティターニアが慈しむものがたくさんあることぐらいか。
「でも、あの国ももうすぐで建国五百年を迎えるっていうのに、ようやく他の国と仲良くする気になったんだなー」
二人の会話に割り込んできたのはエルフである住民課の職員だ。彼もかつてはフレイヤに住んでいたが、その閉鎖的な国の在り方に疑問を抱いてノルンにやって来たらしい。
「五百年……そういえば今年がそうなんだっけ。確かティターニア姫様も『今年はフレイヤにとって重要な年です』って言ってたわね」
「だから今年のエリクシア祭も例年より力入れるから里帰りしろって母ちゃんから手紙も届いちゃってさあ」
「エリクシア……?」
祭の名前に反応を示したのはオボロだった。気だるげに仕事をこなしていた青年の表情が変わったのを見て、エルフの職員はどこか楽しそうに話を続けた。
「オボロってエリクシア様のこと知ってんのな。流石情報通!」
「え、ま、まあね……」
「そのエリクシア祭ってどんな祭なのよ?」
「フレイヤじゃエルフの中で一番偉い存在であって、妖精霊の町パラケルススに住むエリクシア様を年に一度讃える祭典が開かれる。それがエリクシア祭なんだ。何をするかって言われると屋台がたくさん出て、皆でその日だけは仕事を忘れてパーって飲み食いする感じなんだけどさ」
他国との接触を一切絶っていたフレイヤの国でも、馬鹿みたいに羽目を外すことはあるようだ。厳格なイメージがあったのだが、楽しいことは思い切り楽しむのはどこの国でも共通らしい。
だが、少し前まではそうでもなかったようで、かつてのエリクシア祭はその日はずっとエリクシアへ祈りを捧げ続ける静かな内容だったとエルフの職員は言った。これが苦痛で国を出ていったとも付け加えて。
「それが今から十何年かぐらい前に変わったんだよ。エリクシア様からこんなしけた祭典やるくらいならやめろ。やるならもっと明るく騒げみたいなお告げがあったってことで」
「……随分人間味のある人ね」
「今のこの世界があるのは、人の思いの力によるもの。何もしてやれなかった私を感謝するぐらいなら、自分たちが楽しめる内容に変えろって言ってたみたいだぜ。……何のことかはさーっぱりだったけど、言う通りにして今のどんちゃん騒ぎになったわけだ」
フレイヤの国はどんどん変わりつつあった。それを進化という者もいれば、退化だと吐き捨てる者もいる。エリクシアのお告げを王族が作り上げた虚構と否定し、他種族を忌み嫌う者も少なくない。
変化がもたらすのは何も吉兆ばかりではない。いまだにフレイヤでは一部のエルフによるエリクシア祭の初期化を求める声も上がっていた。
結局、国民全員が幸せになれるような国など存在しないのだ。エルフの職員のように昔のフレイヤに嫌気が差して出ていった者も、他の国と積極的に関わろうとする今のフレイヤに不安を抱く者もいる。
中々上手くいかないのね、とヘリオドールは嘆いた。そんなヘリオドールに、明るい話題をとエルフの職員は思い出したように言った。
「で、でも、今年はティターニア姫様もレースに参加するんだよ。きっと楽しくなるって!」
「レース?」
「エリクシア祭の一番の見所だよ。三人一組でゴールを目指して色んな障害物を越えて走るんだ。一位になったチームには、エリクシア様から加護を授かるって言われてる」
「色んな障害物ってどんなのよ?」
「魔物倒したり罠を通り抜けたり……」
そんなものに王族を参加させて果たしていいのだろうか。というよりも、以前のエリクシア祭の面影が全く見られない。それでいいのかフレイヤ国。
ヘリオドールとオボロは凶悪な罠を回避しながら、魑魅魍魎が蔓延る道を突っ走るティターニアを想像した。実に楽しそうである。
「つか、そんなのに姫様出していいの? 本人は参加する気満々だろうけど、何かあったらどうすんのさ」
「うん、それはフレイヤでも騒ぎになって同じチームになるって言う兵士が大量に現れたって」
「そりゃそうよね」
「でも、姫様は最適な人がいるって言って全部断ったって」
ティターニアが選ぶ最適な人。非常に心当たりがある。
もしかしてウルドにわざわざ来た理由というのは。どんどん顔色が悪くなっていくヘリオドールに、エルフの職員が何事かと心配する。オボロも何となく事の流れを察して苦笑いを浮かべている。
「で、でもさ、どんなに強い奴なんだろうな。ティターニア姫様がチームに入れたいって相手は」
「こんな感じですわ!」
三人の背後から聞こえた明るい少女の声。一斉に振り向けば、ティターニアが総司と手を繋いで満面の笑みを浮かべていた。
やっぱりか。予想が当たったことに溜め息をつく魔女と狐。エルフの職員も最初は困惑していたが、すぐに「なるほど」と納得した。
「ソウジは強いからなあ……」
「それで納得するってどうなのよ。……そんでもって、ティターニア姫様! 総司君はうちの職員です。いくら姫様でも職員をそんなレースに連れ出すだなんて……」
建前半分、本音半分だなとオボロはヘリオドールの発言を解析していた。ティターニアにはライネルというれっきとした恋人がいる。それでも、総司への信頼の厚さに心を悩ませているようだ。
「ヘリオドールさん、別に僕はレースに参加するためだけにフレイヤに行くわけでは……」
「え、どういうこと?」
「こやつには祭の準備を手伝ってもらおうと思っての」
ヘリオドールの疑問に答えたのは、いつの間にかティターニアの背後に立っていたアーデルハイトだった。
「ウルドだけではない。他の二つの役所からも数名、城の連中も何名か連れていくことになっておる」
「今年のエリクシア祭は新たな一歩を踏み出したフレイヤを讃えるという意味もありますわ。そこで他種族の方々も祭の開催に携わってもらうことになりました!」
「僕はそのついでにレースに参加することになりました」
「そうですわ。お祭りの準備のついでにお父様とレースに参加して優勝をもぎ取ってやりますわー!」
ガッツポーズを決めるティターニアは、ドレスを着ているのにも関わらず雄々しい。それを見ていたアーデルハイトは総司とティターニアの手をほどくと、総司だけを連れて皆から離れた。それから総司にしか聞こえないような小声で謝罪をした。
「済まない。うちの姪の娯楽に巻き込む形になってしまった」
「お祭りは好きなので、むしろありがとうございますって感じですけど」
見た目はどう見ても祭などの騒がしいイベントが嫌いで、自室に閉じ籠っていそうな総司だが、実はむしろ大好きな方らしい。逆に礼をされてアーデルハイトは若干申し訳なさそうに眉を下げる。
「妾もあやつが明るくなったことは喜ばしいがの、流石にここまで言い出すとは思わなかった。この礼はいつか……」
「アーデルハイト様、お父様! 二人で内緒話なんてずるいですわ!」
頬を膨らませたティターニアが割り込んでくる。それに律儀に「すみません」と謝る少年にアーデルハイトは頭が痛くなる思いだった。
「時にティターニア、一つ聞きたいことがあったのだが、いいかの?」
「?」
「レースには三人一組。とすると、そちはもう一人を選ばなければならぬ。決めておるのか?」
アーデルハイトの素朴な疑問。すると、総司とティターニアは互いの顔を見合わせて頷いた。
「えーと、実はですね」
「三人目はもう決まっているのですわ」
「あとで彼のところに行こうと思っていたんです」
「お父様の話だと今日はライネルの店にいるそうなのです。とっても優しい方ですわ!」
まだ本人の了承を得ていないくせに、引き込む気だけは満々である。アーデルハイトはまた謝らなければならない人物が増えた、と溜め息をついた。




