63.宿屋探し
今、呼ばれたのは恐らく自分だろう。しかし、先程までいた酒場で聞いた声ではなかったなと思いながらロキは後ろを振り向いた。
深い夜の中に立っていたのは白い鎧を着込んだ黒髪の少女だった。腰には剣も差している所を見ると、冒険者か近隣の国の騎士だろう。外見的には身長的にも彼女の方が少しだけ上に感じる。
だが、その表情はロキよりもずっと幼く、黒髪の少年が自分の声に反応してくれた事にとても喜んでいる様子だった。動きが鈍そうな外見に反して、物凄いスピードでロキへと駆け寄る。鎧の重みなど全く気にしていない様子だ。ガシャン、ガシャンと音を立てて突っ込んでくる少女に、ロキは僅かに後退りをした。
「……僕に何か?」
「あ、あのですね! 宿屋を探しているんですけど、どこに行けばありますか!?」
「宿屋……」
少女の質問にロキは周囲を見渡してみた。すると宿屋があった。二人の真横に聳え立っていた。
「……ここだと思う」
「そうなんですか?」
少女は不思議そうな表情で三階建ての宿屋を見上げた。看板には店の名前の他にしっかりと『宿屋』と記載されている。
物珍しそうにその看板を眺めている少女に、ロキは眉間に皺を寄せた。何なのだろう。この違和感というか焦りは。堪らず少女に声を掛けた。
「……どうしてそんなに看板を見てる?」
「どうして宿屋さんなのに『米屋』って看板には書いてあるんでしょうね……うーん……」
「……………」
こちらが『うーん』である。ロキは内心で衝撃を受けて立ち尽くしていた。米屋とは何なのだろうか。
「お前……文字読めない?」
まさかとは思うが。ロキの指摘に少女は頬を赤く染めて俯いた。
「剣の練習ばっかりしてて、文字の書き読みはそんなにしてなかったんですよね……」
「……とりあえず、ここが宿屋」
「はい、ありがとうございます!」
満面の笑みを浮かべて少女は米屋もとい宿屋に突撃して行った。ロキはそれを無言で見送った後、立ち去る事なく隣の家の壁に凭れ掛かった。どうにも嫌な予感がして仕方ないのだ。
会ってからまだ数分程しか経っていない人間の、字の読み書きもろくに出来ない少女。そんな面倒臭いものなんてとっと無視して、明日の勇者との戦いに備えておいた方がいいのではないか。
先程までの興奮が彼女との出会いで霧散してしまった。おかげで冷静になれた事には感謝はしているものの、ここにいつまでも残る必要はないだろう。頭ではそう分かっているのに、足がどうも動かない。
「はあ……」
数分経った頃だろうか。随分落ち込んだ様子の少女が宿屋から出てきた。少女は欠伸を噛み殺していたロキを見付けると首を傾げた。
「あれ、さっきの親切さん……?」
何、その呼び方。ロキは内心でツッコミを入れた。本名を明かして騒がれるのも面倒なので口には出さなかったが。
「どうして出てきた?」
「えっと……満室ですって言われちゃいました……」
「もうこの時間だから仕方ない」
「ですよね……」
少女はがっくりと肩を落とすとロキに背を向けて歩き始めた。その後をロキはついて行ってみる事にした。宿屋もろくに読めないような人間が次にどんな行動を起こすか気になったのである。
ガシャンガシャン。コツコツ。ガシャンガシャン。コツコツ。
かれこれ数分。少女とロキは暗い夜の道を歩き続けていた。ちなみにロキは敢えて分かりやすいようにわざと足音を大きく立てて歩いていた。
しかし、少女が尾行に気付く様子はない。これっぽっちもない。これは少女の実力を探るものであったが、こうも気付かないとなるとその剣と鎧は単なるお飾りとしか思えない。
「いい加減に気付け」
「ひゃあ!?」
町の入り口まで来たところでロキは少女の肩をポンと叩いた。闇をつんざく素頓狂な声。間近でそれを聞いたロキは鼓膜にダメージを負いながらも口を開いた。
「……どうして僕がずっと後をつけていた事気付かない。そんな立派な装備をしているくせに」
「え!? ちゃんと親切さんが後ろから歩いてくるのは知ってましたよ!」
「怪しいとは思わなかった?」
「……何でですか?」
言っている意味が分からない。そう言うように少女が聞き返してくる。なのでロキも戸惑った。いくら、外見的には自分より年下とは言え、初対面の相手にどうしてこんなに無防備になれるのだろう。
酒場にいた人間達よりも間抜けで幼稚過ぎる。思わず呆然とするロキに何を思ったのか、「あっ」と少女は声を上げた。
「もしかして親切さんって……」
「……何」
「私と同じで野宿仲間ですか!?」
「違う」
あらぬ疑惑をかけられたのでロキは即座に否定した。それより驚いたのは彼女が野宿をするつもりでいる所だ。
しかも何も持っていない所を見ると、このまま草むら辺りにでも寝るつもりだろう。仲間でないと分かって少女は落ち込んでいるが、そこに落胆している場合ではない。
「お前、人間の女が夜に一人でろくな準備もせずに野宿する事がどれ程危険分かっている?」
「大丈夫です。私いつも野宿ですから」
「いつも……」
「今日も風が気持ちいいので外で寝ようと思ってたんですけど、アイちゃんがこんな顔をして『テメェたまには人間らしく寝ろ』って言うから」
しかめっ面になった少女の説明に、ロキは咄嗟に周囲を見回した。彼女の言葉が全て正しいとすると、もう一人連れがいるはずだ。
しかし、その『アイちゃん』とやらはどこにも見当たらない。少女がロキを騙しているようにはとても見えず、そもそも嘘を付くメリットもない。
そうすると、残る可能性は『アイちゃん』が少女の脳内にしか存在しない連れであるという事だ。こんな純粋無垢そうな少女が旅疲れのせいで幻覚を見ているとしたら。
こんな色んな意味でおかしな少女とは早く離れるべきである。頭ではそう理解していても、やはり足は動こうとしてくれない。それどころか「それじゃおやすみなさい!」と町から出ようとする少女に向かって声を上げていた。
「待て女」
「?」
「……………………」
「あのー……やっぱり野宿仲間だったりしますか? それとも今夜が初野宿ですか? 大丈夫ですよ、どういう場所で寝るのが一番快適なのか私頑張って教えますから!」
「違う」
野宿の流儀を教えようとする野宿のプロにロキは首を横に振った。
「僕はお前がさっき行った所とは違う宿屋を予約している」
「えっ、あるんですか!?」
「そこも僕を最後に全て満室になった」
「ああ……」
天国から地獄へと少女は表情をコロコロと変えた。ロキには自分の発言が少女を再び天国に舞い上がらせられるかは分からない。
だが、どうしてなのかこの抜けた少女を見放しておく事が出来ないのは確かだ。
「お前も来ないか」
「でも、もう満席だって」
「僕と同じ部屋に泊まればいい。ベッドは一部屋に二つあるらしいから」
「え!? 本当に?」
初対面、それも男と同じ部屋である事など全く気にせずに少女は明るい笑顔を見せた。提案した自分が言うのも何だが、ロキは少女が今までよくここまで生きて来られたなと思った。自らの命も捨てる覚悟で強敵に挑む者もいれば、浴びるように酒を飲んでしまりのない笑顔を浮かべる者もいた。
様々な人間に出会ってきたが、こんな思考が読み取れない人間は初めてだ。今まで感じた事のない衝撃を覚えながらもロキは少女を連れて、もう一軒の宿屋へ向かった。そこは先程の宿屋よりも古びてはいたものの、宿泊代は安かった。
「あら坊や、随分と可愛い子を連れてきたのね」
「違う」
宿屋の女主人に誤解されたのですぐに否定をする。何故人間の世界では男女揃って宿屋に入ろうとするだけで『そういった』誤解をするのだろう。
「うわぁ……! ベッドですよ、ベッドがありますよ」
「宿屋だからベッドはある」
「はい、なんかこう宿屋って雰囲気がありますね! 本当にRPGに出てくる宿屋みたい……」
「あーるぴーじー?」
「私達の世界にある『ゲーム』にもこっちの世界を題材にしたような種類がたくさんあるんです!」
余程嬉しかったのか清潔な白いシーツが敷かれたベッドを何度も撫でる少女に、ロキはある疑いを持った。
「お前、もしかして『向こう』の世界から……」
「こぉんの馬鹿アイカ!! どうして野郎と一緒に同室になってやがる!?」
ロキの問い掛けを遮ったのはここにはいないはずの第三者による怒号だった。一体どこから。神経を張り巡らせるロキの菫色の双眸に映ったのは、突然白く輝き始めた少女の剣だった。
光は強さを増していき、あまりの目映さにロキと少女は一瞬瞼を閉じた。そうして、再び目を開いた時には剣は姿を消し、代わりに二人よりもずっと幼いであろう藍色の髪の少女が剣の持ち主の前に仁王立ちしていた。
次回でこやつらの話は終わりです




