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57.寮

 木端微塵にされたヘリオドールの自宅を飲み込んでいく紅蓮の炎を消したのは総司だった。「こんな事もあろうかと」と鞄の中から取り出したのは以前大活躍した消火器という道具。

 こんな事もあろうかと。それはつまり先輩の家が燃える事を想定していたのかとヘリオドールはツッコもうとしたが、実際燃えているので仕方ない。

 火を消すには大きさが明らかに足りない消火器から発射される白い煙が炎を消していく。いつ襲い掛かって来るかも分からない炎に臆する事なく、消火作業を行う少年は輝いて見えた。


「ヘリオドールちゃん大丈夫!? 女の子の家に火を付けるだなんて酷い悪党もいるもんだねぇ!」

「ですよねぇ。犯人にはもう逃げられてしまいましたが、早く火を消さなければなりません」


 この大惨事に震え上がる老婆に総司が息をするように嘘を付いた。ヘリオドールのドジッ子では済まされない過ちが闇に葬られた瞬間だった。上司をフォローしまくる出来た部下である。

 ヘリオドールもすぐに意図に気付き、「そうよね、今は火を消すのが先よね」と賛同して水魔法を使おうとする。


「きゃあああああ! ジークフリートさんよ!」


 野次馬、それも女性陣が一斉にテンションクライマックスな悲鳴を上げた。役所の方向から走ってくる銀髪のイケメン。騒ぎを聞き付けて飛んできたらしいジークフリートに彼のファンが頬を赤らめる。ヘリオドールの家もいい具合に燃えていたが、彼女達の恋の炎もめらめらと燃え上がっている。

 だが、ジークフリートの目には自分へ好意を寄せる異性など映っていなかった。彼の視線の先にあるのは炎上する仕事仲間の自宅のみ。どうしてこんな、と火事の経緯を一生懸命推理するも一番有力な候補はやはり「こいつら掃除の時にやりやがったな」だった。

 何がここまでヘリオドールを追い詰めたのだろう。鬼の目にも涙、イケメンの目にも涙。


「……いくら片付かないからって家ごと燃やす事はないだろう!? お前は心の中にどんな闇を抱えているんだ!」

「あんたが泣いてどうすんのよ! 泣きたいのはこっちなんだから!」

「泣かないでくださいヘリオドールさん」


 半泣きの大人に少年が冷静に指示する。

 その後、火はどうにかして消す事は出来たものの、そこに残されていたのは炭と化した柱と瓦礫のみだった。たった一時間程度でこれだ。街の人々は火の恐ろしさを改めて思い知る事となった。

 誰がこんな酷い事を。皆口々にそう言いながら帰っていく。その誰かであるヘリオドールは苦笑いを浮かべる事しか出来なかったが、傍目からは儚い微笑みに見えたのか「私達に心配をかけさせまいと……」と涙ぐむ者もいた。真実を知った時、彼らはどのような反応をするのだろう。驚き過ぎて声すらも出ないかもしれない。


「エクスプロイドの木? 何でそんな危険物が置いてあったんだ……」

「知らないわよ、勝手に生えてたんだから……」

「他人事みたいに言うな。自分の家を爆発させておいて……」


 そして、丸焦げの建築物の前で交わされる怪しさ満点の会話。実行犯の魔女の無気力な供述に頭を抱えるイケメン。やっぱり怖がらないで来れば良かったと後悔しても遅い。家は爆発してしまったのだ。


「ところでソウジは?」


 ジークフリートが消火直後から姿を見せない少年を捜す。すると「ここにいます」と背後から総司が呼び掛けに答えた。先程まで消火器を持っていた手は赤い花の植木鉢を抱えていた。

 ぐにゃ、と茎の周辺の地面から生えてきた触手にジークフリートは凍り付く。ヘリオドールの玄関に置いてあった鉢だ。


「生き残りです」

「お、おう」


 他は爆発に巻き込まれたのだろう。生き残り。重みのある言葉だ。心なしか総司の顔もキリッとしている。


「そういえばヘリオドールさんこれからどうするんですか。お母さん呼べなくなっちゃいましたけど」

「呼べないどころか住めなくなったわよ。一応必要最低限なものはみんな魔法でこの水晶玉に閉じ込めてあるんだけど、問題は住む場所だわ……」


 何もない場所から透明な水晶玉を出現させたヘリオドールは唸り声を上げた。このままでは野宿生活を送る羽目となってしまう。それに母親に家が無いとは言えない。とんでもない誤解をしそうである。事実を語るのも割りと勇気が必要だが。

 悩めるヘリオドールにジークフリートが咳払いをする。


「住む所ならあるぞ」

「えっ、どこ!?」

「役所の職員専用の寮」

「……ああ!」


 その手があった。ジークフリートを思い切り指差しながらヘリオドールが頷く。話が読めない総司が両者を交互に見る。


「寮ってそんな所があるんですか?」

「役所の近くにね。フィリアちゃんやアイオライトも住んでるの。でも、あそこって借りるのに申請とかが必要だから結構時間がかかるわよ。それまで路上生活って……」

「申請はほぼ済ませてある。すぐにでも住めるから安心しろ」

「えっ」

「片付けられなかった時のために用意していたんだ……爆発させるとは思わなかったが」


 おじいちゃん心というやつである。ジークフリート的にはヘリオドールの母を招くためのダミー用の部屋として確保していただけであって、家が無くなる事を想定していたのではない。

 しかし、結果として家は無くなった。ヘリオドールは思わず涙ぐんだ。総司も拍手している。


「良かったですね、ヘリオドールさん。お母さんちゃんと呼べますよ」

「あんたは私そのものを心配する気はあるの?」

「一応ありますよ」

「一応!?」


 心配してくれるだけいいじゃないか。総司に詰め寄っているヘリオドールにジークフリートは心からそう思った。ここまでの醜態を見せておいてまだ普通に接してくれる男はそうそういない。

 もう総司を手放したら二度とそんな異性とは巡り会えないのではないかという危機感すら覚える。総司にはフィリアのような優しい少女がぴったりのような気がするので、ヘリオドールをその気にさせるような発言をするつもりはないが。




 役所の職員専用の寮は役所の近くにある集合住宅だ。ヘリオドールに振り分けられたのは最近ちょうど空き部屋になった021号室だった。


「大体の家具はあらかじめ部屋に用意されているから、あとは持ち出してきた物を片付ければ何とかなるだろ?」

「すみません、何から何まで」

「お前が謝るな、ソウジ」

「そうよ、私の立場がもっと悪くなるじゃない……」


 本当である。しかも今からヘリオドールが万が一に備えて水晶玉に閉じ込めていた私物を整理しなければならないのだが、それを総司が手伝う事になっているのだ。現在の時刻十九時半。彼が帰る時間がどんどん伸びていく。


「総司君何時に帰らなきゃならないの? あんまり遅くなるようなら帰んなさいよ。私なら大丈夫だから……」

「明日日曜日だから大丈夫です。最後まで手伝いますから」


 暗に心配だから残りますと言っているようなものだ。嬉しいやら情けないやら。ヘリオドールは唇を噛み締める。二人の横ではジークフリートが屈伸を始めている。


「俺も手伝う。ソウジを遅くまで残らせるわけにはいかないからな」

「おじいちゃん……仕事はいいの?」

「おじいちゃん呼びやめろ。それに部下に仕事は頼んであるからたとえ俺がここで死んでも問題ないから安心しろ」

「え……」


 悲壮感溢れる思いで彼がここにやって来たというのが窺える。あまりにも真剣な顔をするので、「死ぬような事なんてないじゃない」というツッコミすら空気が読めていないようでヘリオドールは絶句するしかなかった。

 どうしてたかが大掃除だけで家は爆発し、死の覚悟をする人物まで現れるのだろう。大体自分のせいなのだが、こんな大騒ぎになるとは思っていなかったのは本当だ。


 何だか二人に申し訳なくなってきた。彼らには関係のないはずのヘリオドールの母親の来訪。そのために片付けを手伝ってくれる。


「ねえ、だったら夕飯食べていかない? 今晩私が作ってあげるから」

「いいんですか?」

「そのくらいはさせなさいよ。それに練習もしたいの」

「何をですか?」

「料理に決まってるじゃない」


 練習。同じ事を繰り返して習う事である。

 料理の練習って? 「ありがとうございます」とお礼をしている総司の横でジークフリートは背筋を震わせた。練習とほざいているくせに妙に張り切っている魔女と、何となく嬉しそうな少年。

 まだ死ぬには早すぎる。ジークフリートがそう思った瞬間、玄関から声が聞こえてきた。


「ヘリオドールちゃーん、もう来てるかしらー?」


 その声は役所の食堂で働いている職員のものだった。ヘリオドールがドアを開くと中年女性が人の良さそうな笑顔で立っていた。大鍋を両手で持って。


「夕ご飯まだだったかしら? リゾット作りすぎちゃったからお裾分けに来たんだけど……」

「あ、ありがとうございます……!」

「ヘリオドールちゃん急に引っ越しするって聞いて大変だと思って。急に押し掛け来ちゃって逆に悪かったかしら」

「そんな事ありません! あなたのおかげで死なずに済みました!」


 目を潤ませながら微笑むジークフリートに何を勘違いしたのか、「あらまあ」と命の恩人は頬を赤く染めて帰って行った。後日、彼女は同僚にこの事を自慢するだろう。

 扉が閉まった後、ヘリオドールは叫んだ。


「死なずに済んだって何よ! 私の作る料理は食べられないみたいな言い方じゃないの!」

「練習って言葉を使う時点で嫌な予感しかしないんだよ!」

「酷い……!」

「何かいい匂いがするんですけど、出前でも来たんですか?」


 二人のピリピリした空気を緩和するかのように登場した総司。リゾット入りの鍋に視線を注ぐ彼に助けを求めるように、ヘリオドールは泣きながら縋り付いた。


「聞いてよ総司君! こいつ乙女の心を平気でズタズタに出来るのよ!」

「ジークさん、一体どんな卑猥かつ惨たらしくおぞましい言葉をヘリオドールさんに……」

「二人かがりで攻撃するのはやめろ。特にソウジからのは地味にキツいから……」


 とりあえずヘリオドールが人に出す料理を作るのに練習とか言い出して怖い。だから食べたくない。要約するとそんな主張のジークフリートに対し、ヘリオドールは頬を膨らませた。


「そんな食べられないようなものは作らないから安心しなさいよ……」

「……ちなみにヘリオドールさん、練習って言うのは」

「私普段あまり料理しないのよ。ご飯は役所の食堂か外に行って食べる事が多くて。でも今度お母さんが来た時に私がご馳走作ってあげるねって約束しちゃってるから……」

「なるほど、僕達は被検体なんですねぇ」


 否定は出来ないらしい。総司の言葉にヘリオドールは急にシン……となった。あれほど鳴き喚いていた蝉が突然静かになった時の不気味さと似ている。


「でも僕はヘリオドールさんの作る料理は食べてみたいです」

「総司君……」


 実に男気溢れる宣言。ヘリオドールの胸がトクン、とときめいた。同時に道連れという単語が脳裏によぎり、ジークフリートはブルリ、と身震いした。

 何を作ろうかとやる気が再燃したヘリオドールを玄関に残し、ジークフリートは先に家具だけしか置かれていないリビングに戻った。総司を引き連れて。


「お前があいつの力になりたいのは分かった。俺もあいつは孫みたいなものだから出来るなら協力はしたい。だが、死にたくはない」

「落ち着いてください。毒入りではないんです。料理で人は死にません」

「掃除で家は燃えないぞ」


 それを可能にした、あまり料理を作った経験のないヘリオドールの手料理。まだ魔女の料理を口に含む勇気はない。


「やっぱり料理に関しては手を引いた方がいいと思う。お前は人体に影響があるかもしれない食べ物を口に入れる勇気があるか? ヘリオドールのためであっても」

「ヘリオドールさんのためなら食べます」


 いっそ清々しさすら感じる返答だった。まいったとジークフリートは心の中で完敗を認めた。ここで自分だけが引き下がったら男ではない。

 苦難の道を進む事を決意した。


「だが、いきなり料理を食べるのは怖すぎる。俺の意見を聞いて欲しい」

「どうぞ」


 これに総司が賛成しなければ死が確定してしまう。ここが正念場だとジークフリートは緊張で震える声で一つの提案をした。


「あ、いいんじゃないですかそれ。僕もそれがいいと思います」


 総司が頷いた瞬間、ジークフリートは心底安堵していた。そんな彼は気付いていないのである。


 まず料理を食べる前にクッキーとかそういうダメージ少なそうな菓子系からいきたい――。


 そんな提案をしたところで彼の死ぬ確率はあくまでも低下しただけであって、ゼロになったわけではないのだと。

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