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54.お届け物



 ヘリオドールの実家はウルド南部に広がる森の中にある。青々とした木々の中に隠れるようにひっそりと佇む一軒家。その庭には色とりどりの花が咲き誇り、時折現れる妖精がその蜜を貰いに姿を見せる。花々の横にはたくさんの種類の薬草が植えられており、それらを摘み取って薬に加工して町で売り込む。これが森の魔女の生計の立て方である。

 魔女はエルフやハイエルフと同じように魔法の源、マナが濃密な環境で暮らす事を好む。マナが満ちている場所は自然が多く現存している事に繋がり、人気のない森に住み着く者が多い。

 ヘリオドールは今は親元を離れ、賑やかな中心部で暮らしているものの、鳥の囀ずりばかりが聞こえる静かな森での暮らしがたまに恋しいと思う。母親も娘にたまには顔を見せに来て欲しいと手紙を出す。

 そんなわけで一ヶ月に一度。ヘリオドールは森の中にある実家に訪れていた。いつもいつも向こうから来てくれるのは大変だからと気を遣って、母親が中心部に来ようとする前にヘリオドールは自分から森に来ていた。

 確かに中心部からここまでは距離が長いものの、箒に乗って飛ぶ事の出来る魔女にとってはさほど苦ではない。なので、何としてでも年老いた母親を自宅に招く事のないようにしなければならない。必死だった。ヘリオドールは必死だった。


「ヘリオドール、たまにはあなたの家に行ってみてもいいかしらねえ」


 なので、その言葉にヘリオドールは紅茶を飲む動作をピタリと止めた。おまけにティーカップが小刻みに震える手から滑り落ちる。

 ガチャンと床の上で砕け散ったカップの破片に、ヘリオドールの母親は娘の名前を呼びながら椅子から立ち上がる。

 灰色の尖り帽子とローブを身に付けた母親の作ってくれたクッキーと紅茶で優雅な一時を。が、一瞬で砕けたカップのように粉々になる。急いで塵取りと小さめの箒を取り出した母親にヘリオドールは真顔で尋ねた。


「お……母さん……!」

「大丈夫、ヘリオドール? 怪我してない?」

「私の家に遊びに行きたいの……?」


 娘の体の心配をしているというのに、何故かその話題を持ち出すヘリオドール。たった今、自分がティーカップを割った事を認識していないのだろうかと母親は不安に陥る。別の意味で大丈夫かしら、この子と。


「お、お母さんもあなたがちゃんと向こうで生活してるかどうか心配で……あとどんなおうちに住んでいるのかも気になるの」

「そ、そう? でも大丈夫よ私毎日頑張ってるから! 全然大丈夫だから! 風邪もここ数年引いた事ないのよ!?」

「あなた数年どころか風邪なんて一度も引いた事ないじゃない!」


 取り繕うように笑い始めたヘリオドールの手の震えが更に酷くなった。何かの病気の症状かと母親が顔を覗き込む。真っ青になっている娘に不安はますます膨れ上がるばかりである。

 どう見ても悪魔に取り憑かれたかのような様子だが、ヘリオドールからは邪な気配は感じない。ただ、何かを酷く恐れているようだった。


「もしかして……お母さんが家に来ると困るような事でもある?」


 ヘリオドールが目をくわっと見開いて母親を見る。意思の疎通に言葉など必要ない。目と目を合わせるだけでたくさんの事が分かってくる。母親はそれを強く実感しながら、一つの仮説を思い浮かべた。

 もしかして恋人がいて、その恋人は中々の人格の持ち主で会わせる事を躊躇ってしまうような男ではないのかと。


「ヘ、ヘリオドール、もしかして素敵な人……」

「いいわッ! 来て! 遊びに来て!!」

「ヒッ」


 顔面蒼白のまま満面の笑顔を浮かべるというスタイリッシュな技を見せながらヘリオドールは叫んだ。いいぜ、うちに来いよ。その様子はやけくそ、という言葉がとても当てはまるものだった。

 明らかに本心ではないだろうと瞬時に悟った母親は首を横に振る。


「い、いいのよ!? そんな軽い気持ちで言っただけだから……」

「いつも私がこっちに来てるんですもの! お母さんもうちに遊びに来れば分かるわ! 私が仕事も家事も両立出来る女だって!!」

「は、はい!」


 鬼気迫る表情で訴えられ、母親は怯えながらも頷いた。これ程まで娘が恐ろしいと思った事があっただろうか? と考えると同時に、だから今まで恋人が出来なかったのだと悟ってしまう。

 中心部で頑張っている娘の日常が知りたい。それだけだったのに、こんなホラー的展開が訪れるとは誰が想像したか。母親も想像していなかっただろう。


「そ、それじゃ、今度あなたが休みの時に遊びに行こうかしら……ねえ……」

「待ってるわ!!」

「ヒッ」


 その顔は母親の来訪を待ち望む表情にはとても見えなかった。ライバルとの戦いを待ち焦がれる戦士のそれだった。






「ヘリオドールさん休みなんですか……」

「そ。悲しいか?」


 今日も今日で各地から寄せられる依頼の整理に追われているクエスト課で、会話をする十代後半の少年と十代前半の少女は兄妹ではない。前者は今やこの役所では知らぬ者はいない有名人で、後者はクエスト課の課長だ。

 しかも少女は知る者はごく一握りだけだが、魔王に立ち向かったあの勇者の聖剣。その二人の会話に誰もが耳を、そして彼らの状況に首も傾ける。


「どうでもいいですが、アイオライトさん」

「何だよ」

「僕は椅子ではないんですけど」


 椅子に座って依頼が記載された書類を分類している総司。の膝の上に座ってアイオライトは今月の依頼件数を記した書類に目を通していた。

 普段勝ち気な表情ばかりを見せるその顔はどこか締まりがなく、後ろの総司へと凭れていた。手に書類さえ持っていなければ、愛くるしい見た目の少女が年上の少年へと甘えているようにしか見えない光景。

 部下を甘やかすような事はあっても、自分からあんな大胆に甘えてくる事はなかった。時折、総司の手や黒髪に触れる姿はまさに飼い主にじゃれる子猫。密かにアイオライトを『しっかり者の妹』ポジションに置いていたクエスト課の職員は息を飲む。

 先日、突然総司に対して恥ずかしがるようになったと思ったら、以前よりもスキンシップが過激になった。総司限定で『しっかり者の妹』から『甘えん坊の妹』へとシフトチェンジしてしまった。


「ヘリオドールさんとフィリアちゃんだけではなく、うちの課長まで……」


 誰かがそう呟くと、皆がうんうんと頷いた。保護研究課のメンバーは何だかんだ言ってフィリアと総司の仲を応援しているようだが、クエスト課はそうはいかない。フィリアの淡い想いが伝わりますようにだなんて、あの妖精霊オタク集団は何を言っているのだろう。


「あのアイオライトさんを可愛い妹に……いや、女に変えたんだ」

「責任は取ってもらおう」


 彼らの言う責任とはアイオライトの幸せを叶える事。つまり、そういう事である。


「フィリアちゃんだって可憐で可愛いけど、うちの課長だって負けてないぞ……!」

「そうだそうだ!」


 あの少年なら所長の魔の手からもアイオライトを守ってくれる。=アイオライトの相手に相応しい。

 敬愛する課長を取られてしまうのは悔しいが、それで彼女が幸せになれるなら。職員達は拳を作り、アイオライトに頬を撫でられても気にせず作業を行う総司を睨み付けた。散々惹き付けて置いて無反応とはやってくれる。

 だが、もうお前の花嫁は課長だと思え。課長好きを拗らせてアイオライトを神格化していたクエスト課の恐るべき思考たるや。割りとアットホームな空気の流れる鑑定課のほのぼの感を見習うべきである。


 そんな彼らの禍々しいオーラを無視してひたすら仕事をこなしていた総司の手が止まった。乱雑に積み重ねられていただけの書類が依頼の内容ごとに綺麗に分けられている。整理が全て終わったのである。


「アイオライトさん」

「ん?……うひゃっ!?」


 総司がアイオライトを抱き抱える。突然の出来事に少女が素頓狂な声を上げた。これは仕事頑張ったのでご褒美くださいという事か。何も言わなくても分かってるでしょう? という事か。


「ま、ま、ま、待て! ア、アタシもまだ心の準備が……」

「すみません、アイオライトさん僕行かなくちゃならない所がありますから」


 総司がテンパっておかしな事を口走るアイオライトを抱えたまま立ち上がり、今まで自分が座っていた椅子に少女を座らせた。そこにアイオライトが狼狽えつつも期待していたような桃色の展開はない。


「では失礼します」

「お、おう……」

「また今度。次に来る時は僕の世界にあるお菓子を持ってきます。好きって言ってましたよね?」

「………!」


 一気に熱が冷めてしまった。呆然とするアイオライトだったが、帰り際に手を振られてしまうとやはり嬉しくなってしまう。


「じゃあな、ソウジ!」


 というわけでアイオライトは満面の笑顔でクエスト課から立ち去る少年へ手を振り返した。先日、ようやく恋心を自覚した元・聖剣はライバルが多い事に悩みつつも幸せな日々を送っている。


 そんなアイオライトをクエスト課の職員は温かく見守っていた。







「悪いなソウジ。付き合わせしまって」

「いえ、大丈夫です」


 数時間前に太陽は沈み、アスガルドの空は黒色に覆われている。あと三十分程でウトガルドに帰る予定にある総司をロビーに呼び寄せたジークフリートは、申し訳なさそうに眉を下げて笑った。

 彼の手には茶封筒。これから向かう場所へと届ける物である。総司はその付き添いに呼ばれたのだった。


「それで今から誰にその封筒を届けに行くんですか?」

「ヘリオドール。今日休みだっただろ? どうしても今日中に読んでもらいたい物があったんだ」

「ヘリオドールさんの所に……という事はヘリオドールさんの自宅に行くんですよね」

「ああ」

「……?」


 頷くジークフリートに総司は顎に手を添えた。


「それなら僕が一緒に行かなくてもいいんじゃないでしょうか?」

「それもそうなんだが」

「……失礼しました。別にジークさんと一緒というのが嫌なんじゃなくて純粋にそう思っただけなので」


 僅かに慌てているのか、早口で喋る総司にジークフリートはますます申し訳ない気持ちになった。果たしてこの少年は動じずにいられるだろうか。

 このウルドの中で最も恐ろしい場所に足を踏み入れる事になっても。


「本当にすまないソウジ……」

「謝るのは僕の方ですから」

「そうじゃなくてな、お前には俺の『命綱』になってもらいたいんだよ……」


 額に脂汗を浮かせて告げるジークフリートに、総司は「いのちづな?」とこの場面では使用する事がないはずの単語を呟いたのだった。

次回一人死ぬから!

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