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46.無自覚な菫

 刀を掴んだまま一時停止した総司に、その様子を見ていた三人は緊張で身を強張らせた。それでどうするつもりだ少年よ。まさか武器にしてベンケイと戦うつもりか金属バットの仇を討つために。

 武器を持たずとも十分強い少年が突然出現した武器を持った。一番武器らしい武器を持たせてはいけない人物が持ってしまった。そんな得体の知れないもんなんて手離せとオボロが言おうとした時だった。

 総司がくるりとアイオライトの方を向いた。刀を彼女へと差し出しながら。


「この刀、アイオライトさんに用事があるようなんですが……」

「アタシに……?」

「アイオライトさんをじっと見てる気がします」


 言われるがままにアイオライトは総司から刀をゆっくりと受け取った。すると、脳内に見知らぬ柔らかな声が響き、刀が黄色い花びらを撒き散らしながら輝き始めた。


(どうも。この姿では初めまして、ですね聖剣。ようやく君を助ける事が出来そうです)


 菫青剣にどこからか現れた白い手のようなものがそっと触れると、ぼろぼろになっていた刃が光の膜に包まれた。全身を蝕んでいた痛みが徐々に引いていく。ヒビの中に光の結晶が入り込み、夥しい量のそれらを消していく。

 菫青剣の損傷が癒えていくと共にアイオライトの体に刻まれていたヒビも無くなる。


「これ、は……」

(私は少々特殊な劔族でして。核となる剣を出現させ能力を発動するには強い生命の力を宿した依り代と、強い魔力に満ち溢れた環境が必要なのです)


 ガキン、と激しい破壊音。ヘリオドールによって生み出された炎の矢が虎徹の刃の半分程を折った音だった。

 奇声を上げて動揺するベンケイの腹を甲の男が勢い良く蹴り上げた。衝撃と痛みに目を見開くベンケイに、トドメだとヘリオドールは残っている全ての魔力を杖に込める。


 多くの劔族の剣が解放されていく中で、アイオライトの手に握られた剣は優しい声を紡いでいく。


(私の声はきっと届かないだろうから……代わりに伝えておいてください。そこにいる少年に心から感謝していると。彼の強い生命力が宿っていたからこそ、私はこれを依り代に使う事が出来、こうして力を使う事が出来た)


 嬉しそうな刀の声に、アイオライトは顔を上げて総司を見る。黒い瞳と視線が合い、「?」と首を傾げられた。その顔を見ていると、またあの妙な感覚が蘇りそうでアイオライトは慌てて刀へと視線を戻す。


(この村には気まぐれで棲み着いていましたが、長閑で素晴らしい場所です。……これは私を今まで可愛がってくれていた村の皆への恩返しのつもりです)


 刀が形を崩したかと思えば、白、黄、橙の数多の花びらへと化し、空高く舞い上がって四方八方へ拡散した。

 ある花びらは虎徹から解放された剣の中へ溶け込み、ある花びらはミーミル村の方向へと空を泳ぐようにゆらゆらと向かっていった。恐らく行き先はニールに守られている劔族の元だろう。

 一際大きな黄色い花びらは総司の手元へ緩やかに降りていき、掌に着地した瞬間虫取り網へと姿を変えた。血に濡れていた右腕の傷もみるみるうちに塞がっていく。

 その光景に安堵しながらアイオライトは傍らに置いていた菫青剣を持ち上げた。欠けていたはずの刃は再生していた。あの刀が時の彼方に消え逝く運命だった半身をこちらの世界に引き戻してくれたのだ。亀裂は一つ残らず消え去っている。二十年前、命を落とす確率の方が遥かに高かった戦いに赴く前の菫青剣だ。懐かしいな、と他人事のように思いながらアイオライトは仄かに白く発光する剣を胸の中へと収めた。

 そして、感極まって瞳を潤ませているフェイにいつもの明朗な笑顔を見せた。


「……心配かけてごめんな」

「アイオライト様ぁ……!」


 幼子のように泣きじゃくりながら抱き着いて来るフェイの背中を擦りつつ、アイオライトは狐耳の青年を見上げた。ここで顔を見られると思っていなかったのか、穏やかに微笑んでいたオボロはすぐに苦虫を噛み殺した表情へと変えた。目に水分を溜め鼻を啜りながら。


「お前もぎゅーってしていいんだぜ? アイオライトちゃんがよーしよしってしてやる」

「い、嫌だよ気持ち悪い。言っとくけど、僕はおばあちゃんなんてこれっっっっぽっちも心配しちゃいないの。ほら、僕よりソウジを抱き締めてやりなよ。彼の方が君を心配してたんじゃないの?」

「い、いい。ソウジはまだ腕が痛そうだろ。無理させちゃ悪いしな、うん」

「はああ? ソウジの腕ならあの刀が治してくれたじゃんか。何言って……ソウジ?」


 頬を林檎のように染めて首を横に振るアイオライトに呆れの込もった息を吐いたオボロは、さりげなく総司の視線の先を目で追っていった。

 ヘリオドールが杖で共闘していたはずの甲の男をぶん殴っている最中だった。本来の敵であったベンケイはその場に崩れ落ち、壊れた虎徹を静かに見詰めていた。劔族(犬)に気を取られていた四人には彼らに一体何が起こったか分からなかった。一つ言えるのは魔女の杖は物理攻撃力が案外高めに設定されている、という点だ。


「ヘリオドールさん元気ですね」

「あの人興奮し過ぎて敵が誰であるか認識出来なくなったんじゃ……」

「聞こえてるわよ、そこ!」


 オボロの呟きを的確に聞き取ったヘリオドールが叫ぶ。甲の男は「何という剛の者」等と漏らしながら魔女を感心するように見ていた。


「私がトドメの魔法を使おうと思ったのにこの虫が『最後は某が決めたい』とか言って邪魔してきたのよ! アイオライトの事もあるから私がぶちのめしたかったのに!!」

「ヘリオドール、アタシはもう大丈夫だから落ち着けって……」

「え!?」


 健康をアピールするために若干引き気味で両手を振るアイオライトに、ヘリオドールがナイスリアクションを披露した。戦闘に専念していたので、待機組に起こった出来事は知らないらしい。困惑しながら少女へ駆け寄る魔女と入れ替わる形で、現ミーミル村の村長が少女から離れる。歩みの先には村を壊滅寸前まで追いやった劔族の男が項垂れていた。

 男はフェイに小さな声で尋ねた。


「劔族の剣を癒す力を持った剣の劔族が……現れたんだな」

「ええ……すぐに行ってしまったようですが」

「そうか……」


 フェイからの返答にベンケイは覇気のない声で相槌を叩いた。纏っていた狂気はすっかり消え失せてしまっていた。まるで憑き物が落ちたような、穏やかな顔付きだ。

 フェイはベンケイが持っていた虎徹をゆっくり手に取った。奪い取った全ての核は皆吐き出され、刃には魔力が全く残っていなかった。目を細めてフェイは言った。


「既に魂が滅んでしまった虎徹までは癒せなかったようですね……」

「俺が言える事でもないが……これで良かったんだ」

「ベンケイ」

「刃が折れた瞬間、これでいいんだと……虎徹の声が聞こえた気がしたんだ……」


 ベンケイは欲していた劔族へと目を向けた。半泣きの魔女にきつく抱き締められて苦しいと言って笑っている。あの笑顔を壊そうとしていたのだ。禁断の力に飲まれて善悪の判断すら出来なくなっていた自分が。


「……すまなかった。どんな罰でも受けよう、村長」


 それが今、自分が出来る唯一の事だ。ベンケイは俯いて鈍色の虎徹の刃の破片を握り締めた。






「んん~~?」


 フェイの家に一匹で留守番していたニールは困惑していた。壊れかけていた数本の劔族の剣が突然輝き出した後、亀裂や傷みが消えたのだ。ニールが何かしたわけではない。

 ただ、その直前に数枚の花びらが窓を摺り抜けてきて、剣の中へ溶け込んだ。もしかしたら、それのおかげかもしれない。


「みんなに言いに行った方がいいのかなあ。早く帰って来ないかなあ」


 待ち切れず、ぱたぱたと小さな羽を羽ばたかせながら外に出てみる。


「あっ」


 すると、ここからやや離れた場所にあの三匹の毛玉がいた。毛玉だけではない。今度は猫もいた。薄茶の地色に漆黒の縞が入った、少しずんぐりとした体型の猫だ。

 犬三匹はニールに向かって一鳴きしてから村の出口へ走り去っていき、虎柄の猫も周囲を見回してから毛玉集団の後を追った。






 ウルドの役所にミーミル村から手紙が届いたのはそれから一週間後の事だった。差出人はフェイ。ヘリオドールは総司とオボロを誘うと、休憩室で封を開けて読み始めた。

 手紙には感謝の言葉や村の様子が書かれていた。あの騒動の直後は眠りに就いていた村の劔族も、聖水もどきで気絶させられた蟲人も総司達が帰った後に目覚めたらしい。特に後者に疑われていた後遺症もなく、問題なく平和に生活を送っているそうだ。


 一方、ベンケイはミーミル村から追放された。様々な偶然が重なったおかげで最悪の結末は避けられたものの、やらかした事の重大さを考えて更なる厳刑でもおかしくなかった。死罪を覚悟していたベンケイにフェイは「百年経っても死なずにいたら村の土を踏んでもいい」と言ったそうだ。

 その部分を読んだオボロは眉をひそめた。


「甘いなあ。殺さないなんて」

「フェイさんだけじゃなくて村人全員で考えた罰なんだってね。でも、ベンケイは死ぬより辛いって言ってたって書いてあるわよ」

「まあね。村を滅ぼしかけた罪の意識背負って一人で一からスタートしなきゃいけないんだから、結構きついかも」

「百年って長いわね。で、次はフェイさんがあのかぶとむし野郎と紆余曲折あり交際スタート……」

「いらないよ。そんな情報この先生きていく中で全く役に立たないじゃないか」


 吐き捨てるように言ったオボロに密かに賛同し、ヘリオドールは更に文に目を通していった。

 そして、目を疑う文章を発見してしまい、は? と硬い声を出してしまった。


「そ、総司君……」

「はい」

「祠に奉られてた二本の刀の内、ベンケイが手に入れてなかった方があったわよね……?」

「はい」

「何でそれを今あんたが持ってんのよ!?」


 ソウジ様、兼定の使い心地はいかがですか?

 そんなショッキングな文章を発見してしまったヘリオドールだけでなく、オボロも仰天した。村の宝が何故、総司に。


「僕、金属バット壊れたじゃないですか」

「うん」

「それで落ち込んでいたらフェイさんがくれました。ミーミル村を救ってくれたお礼だと」

「フェイさん何故とち狂った事を……」


 フェイとしてはお礼の意だけでなく、剣を悪用したりしないだろう総司に兼定を守ってもらいたいという狙いがあったのだが、それにヘリオドールが気付くのは二時間後だ。


「というか、ソウジの世界って普通に武器持ち歩けないんじゃないの。大丈夫だった?」

「あの兼定ってどんな形にも変わる能力があるみたいなんです。両手で持つような大きな剣に変わったり、暗殺者が使うような小さなダガーになったり。せっかくなので包丁に変身してもらって母さんにプレゼントする事にしました」


 宝の持ち腐れ。ヘリオドールとオボロの脳裏にそんな言葉が浮かぶ。


「あれ切れ味凄いんですよ。倉庫にあった(先端が赤く染まった)鉄パイプも綺麗にみじん切り出来ましたから」

「包丁で斬鉄って凄い気の抜けた図だなあ……」

「あんたの家のまな板もスパッといくんじゃ……」

「母さんには力を加減して使ってねって言ってあるから大丈夫です」


 そりゃ劔族が残した剣なのだから鉄ぐらいはすっぱりいけるだろう。本来の使用方法とはあまりにも掛け離れている気もするが、一番平和な使い道ではある。後は少年の家のまな板が斬れない事を祈るだけだ。それは彼の母親の腕にかかっている。


「そういや、総司君借り物のバット……大丈夫だったの? あれあんたの友達の私物だったんでしょ」

「大丈夫です。バットの件は斎藤君に僕が……あ」


 総司が何かを言い掛けた時だ。休憩室に見慣れた小さな少女が入ってきた。


「お前らそんな浮かない顔してどうしたんだよ? フェイから手紙届いたんだろー?」

「いや、もうどうしてこうなった感が強すぎて」

「? そうそう、またお前らにクエスト申請課の書類整理手伝ってもらうから後で来いよ」

「僕を見るなよ僕を! 今日は自分の方の仕事があるからお断りするよ。ソウジと一緒にやればいいじゃん。おばあちゃんと孫の二人で仲良くさあ」


 命を大事にせず投げ捨てているとしか思えないようなオボロの発言に、アイオライトは爽やかな笑顔で「そうかそうか」と頷いた。この後、オボロは彼曰く老婆である女性から惨たらしい仕打ちを受ける運命にある。大分性格が丸くなった分、最近の彼はよく失言をするようになった。


「んじゃ、ソウジ! アタシと一緒に……」

「はい」

「一緒に…………………」

「はい?」


 総司を見上げたアイオライトの顔が茹で蛸のように真っ赤に染まる。まるで恋する乙女だ。そうしてヘリオドールを手招きすると、総司とオボロを置いて休憩室を出た。

 何事。ヘリオドールが抱いた嫌な予感は次の瞬間、見事に的中する事になる。


「あ、あのさ、最近ソウジの顔見ると顔とか体がぽーっと赤くなるんだよ。あいつに変な魔法かけてないよな?」

「えっ」

「い、いや! 嫌なわけじゃないんだ。あいつと一緒にいると不思議と安心するし、いなかったらいなかったらで寂しいなって思うし……ヘリオドールもこういう事ないか? こないだからずっとこんな感じでホント困ってんだ……」


 可哀想なくらい狼狽するアイオライトにヘリオドールは目眩を起こした。この焦りは部下を自分の課に引き入れようとする人物がまた出てきたからか。それとも。

 触りたくても変な気分になって触れないどうにかしてくれ。少女からのそんな訴えをどう答えていいか考えながらもヘリオドールは思った。


 無自覚って怖い、と。

これで劔族編ラストです。


一応毛玉の刀にはちゃんと名前があります。

ちょこちょこヒントは散りばめていましたが、気付いた方はいらっしゃるでしょうか。


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