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44.金属バット

 遡る事、数分前。


 フェイは剣に紫電を纏わり付かせると、アイオライトのかけた結界へ目掛けて振り下ろした。


「罰雷剣!!」


 刃が結界を破壊しようと試みる。見えない壁はフェイを拒絶するように刃を、紫電を弾き飛ばし、フェイをも呆気なく跳ね返した。

 宙へ投げ飛ばされるフェイにヘリオドールが風の魔法を発動させる。地面に勢い良く叩き付けられるはずだった体は緩やかに着地していった。


「すみません、ヘリオドール様」

「謝るのは死のうとした事も含めて後にしなさい! そんな後味の悪い真似しないで!」

「……はい!」


 自分とは何の関係もないはずの者からの怒号にフェイは一瞬怯むも、すぐに唇を噛み締めて力強く頷く。これで落ち込まれたらどうしようと感情に任せて叫んでしまった後に不安になったが、その反応にヘリオドールは笑みを浮かべる。

 問題はこっちの方だと、祠を睨み付ける。アイオライトはニーズヘッグを拘束する結界の術者に任せられる程の力の使い手とは知っていた。果たして自分達で破れるのか。

 いや、何が何でも破らなければならない。アイオライトが本当にベンケイを封印して自らの命をも捨てようとしているなら。


「……ああ、もう!」


 魔法で作り出した無数の炎の矢を撃つが、結界にはヒビ一つ入らない。まるで術者の覚悟の強さを表しているようだ。

 あの甲の男の相手をしているオボロが駆け付けたとしても、果たしてアイオライトの心を具現化したとも言える結界を破壊出来るのだろうか。間に合わないかもしれないという予感がヘリオドールを急かせる。


 が、そんなヘリオドールの心はさっきからずっと無言のまま結界に入り込もうとする部下を見て、更に掻き乱される事になる。


「ぎゃああああああああ!! 総司君!?」

「中々入っていかないですね……」

「ソウジ様いけません! 下がって! 下がってください!!」


 フェイも結界の中に無理矢理捩じ込んだ総司の右腕の手首から先を見て、慌てて叫ぶ。傷一つ無かったはずの手には無数の傷が刻まれ、赤い液体で染まっていた。総司の手から滴り落ちる血が土を濡らしていく。

 かなりの激痛に襲われているだろう。それでも表情一つ変えずに更に手を結界の中へ突っ込んでいく総司。肘まで入ったところで、制服の袖ごとズタズタに引き裂かれ、血が流れ出していく。


「ストォォォォォップ!! 全身血まみれになる気なのあんた!?」


 止めなかったらどこまで行く。ヘリオドールは総司を後ろから強制的に結界から引き剥がした。むわりと香る鉄の匂いに彼がこの世界で初めて怪我らしい怪我をしたのだと実感する。

 ヘリオドールは血まみれの腕を見下ろして泣きそうになった。こんな痛い思いをさせるために彼を異世界から連れてきたわけではなかったはずだというのに。


「うーん、やっぱり駄目っぽいですね」


 しかし、魔女の心情など無視して総司は祠から少し離れると、ずっと肩に提げていた鞄を地面に降ろした。ジーッと音を立てながら開かれるチャック。


 中から金属バットが出てきた。


「どうやって入れてたのよ!?」


銀色に輝くそれはかつて彼が取り出した消火器に比べたらインパクトは薄いものの、ヘリオドールに十分な衝撃を与えた。フェイも怪訝そうな顔をして鞄とバットを見ている。


「ソ、ソウジ様それでまさか……」

「素手だとどう頑張っても無理っぽいのでちょっとこれで試してみます。では、ヘリオドールさんはこれを」

「へ?」


 間抜けた声を出したヘリオドールに総司が渡したのは白い掌サイズのボールだった。渡された理由が分からず、クエスチョンマークを頭の上に浮かべる上司に、部下は「これを僕に投げてください」と言った。

 ヘリオドールはウトガルドの事に関しての知識があるため、バットとボールがあれば野球が出来ると知っている。だからこそ、総司にそう頼まれて更にたくさんのクエスチョンマークを出現させた。


「あんた……野球してる場合じゃないんだけど……」

「しませんよ。ヘリオドールさんが投げたボールを僕がバットであの変なバリア目掛けて打つんです」

「バットで直接叩くんじゃなくてボールで壊すの? 何か凄い力がこれに込められているとか?」

「いえ。僕、基本的にはバットはボール以外の物を叩いちゃいけない道具だと思っているんで」


 この緊急性の高い時に何をそんな。ヘリオドールは遠い目をしたが、すぐに総司の提案に乗る事を決めた。片方の手は酷い怪我をしているのにも関わらず、平然とした様子でバットを握る総司に応えてやらなければならない。アイオライトを救うためにも。


「……行くわよ、総司君」

「ホームランを狙うつもりで行きます」

「狙わなくていいわよ!」


 やけに自信満々にバットを構える総司にツッコミを入れながら、ヘリオドールは横からボールをバッターの前方へと投げた。






 その結果が祠の半壊である。総司はフルスイングでボールを打ち、あれほど苦労していた結界をガラス窓を破壊する容易さで破り、祠にまで侵入していった。侵入した後に祠の壁の一部分が崩壊していく流れをずっと見ていたヘリオドールは思った。ヤバい、と。

 隣ではミーミル村の村長が村の聖地を破壊されて呆然としている。祠には剣を差し込めば入れるので、彼女としては結界を破ってくれるだけで良かったのだ。なのに、ついでに祠も壊しやがったものだから絶句するしかないのだ。


(祠の弁償費いくらかしら……)


 総司だけでなく、ヘリオドールもそう思った。結界をようやく破壊出来た喜びより祠の修理費用への不安で胸を締め付けられる。

 しかし、それも総司の側にいる少女を目にした瞬間、吹き飛んでいった。


「アイオライト!!」


 良かった。間に合った。そんな安堵感を最初に抱き、すぐに異変に気付いて彼女の元へと駆け寄る。

 座り込んでいるアイオライトの全身に広がっているヒビのようなもの。まるで壊れる寸前の硝子細工だ。あんな姿の少女なんて見た事がない。焦りと不安の入り交じる声でアイオライトを呼ぶのと、顔面が血まみれの男が剣を片手にアイオライトへ迫り来るのはほぼ同時の事だった。男を視認したフェイも剣を構えて動き出す。


「やめなさいベンケイ! その人には手を出さないで!」

「あいつがベンケイ……って事はあいつがアイオライトをあんな酷い姿にしたのね……!」


 ヘリオドールの金色の瞳が怒りで染まる。


「アイオライトォ……! その男から離れてこっちに来い!!」

「あんたみたいなゲスに渡してたまるか! 燃え盛る煉獄の火炎よ。忌まわしき悪鬼を焼き払え。正義の烈火を今ここに――『憤怒の焔』!!」


 怒りのままに詠唱を行ったヘリオドールの杖から放たれる緋色の炎。ベンケイは足を止める事なく、炎に向かって虎徹を一振りした。


「え……!?」


 一瞬にして消える炎。ヘリオドールが本気で撃った魔法を無効化したベンケイは、そのままアイオライトへ虎徹を振り下ろそうとする。

 アイオライトも結界を張ろうとするものの、祠に魔力を奪われてほとんど残っていなかった。ボロボロになった菫青剣を満足に持ち構える事すら出来なかった。


「俺と一緒になれ、アイオライト!!」


 狂った笑い声を上げるベンケイ。

 だが、虎徹がアイオライトを貫き彼女を得る事はなかった。側にいた黒髪の少年が銀色の棍棒で剣の一撃を防いだためだ。

 全く魔力を感じられない棍棒とろくに体も鍛えていないような細身の少年。なのに、虎徹を簡単に受け止めた事実にベンケイは舌打ちをする。


「何者だお前は……」

「アイオライトさんと同じ職場で働いています。あなたがベンケイさんですか?」

「それがどうした」

「あなたが奪った劔族の人達の剣返してください」


 シンプルな要求にベンケイは口角を吊り上げて嘲笑った。虎徹の刃をバットで受け止めた総司の右手からは出血が続いている。その原因が何であるかすぐに気付いたアイオライトは自分を守る少年を見上げた。


「ソウジ……」

「人の物を無理矢理奪っちゃ駄目って教わらなかったんですか?」

「……じ、自分の命が危ないのに説教か。この命知ら――」

「あとアイオライトさんが好きみたいですけど、好きならどうして虐めるんですか。好きな子程虐めたくなるってよく言いますけど、あれは小さな頃の話です。大人にもなってまだそんな事を続けているなんて男性として恥ずかしくないんですか」


 総司の指摘にベンケイの心が僅かに揺らぐ。そうだ、自分はアイオライトを慕っていた。誰よりも強い彼女に恋焦がれていて、同時にいつか超えたいとも思っていた。

 超えたいとは思っていたが、こんな傷付き惨めな姿となった彼女を見たかったわけではないはずだ。


「ヤンデレが通用するのは二次元だけの話です。大好きな人の気持ちを全く考えずに束縛し、大好きな人を手に入れるためなら周りの人に平気で傷付けるなんて一番しちゃいけな……」

「うるさい……うるさいうるさい!!」


 最初の辺りの単語は何の事か分からないが、少年が正しい事を言っているのは確かだ。丁寧な口調でいて心を抉るような言葉にベンケイは大声を撒き散らしてそれを遮る。

 虎徹で村人の核を奪い取ったのは最強の劔族になるため。尊敬するアイオライトを超えるため。そして、アイオライトの菫青剣をも手に入れるためだ。

 この少年に全て見透かされている感覚にベンケイは焦燥感を抱く。もう取り返しの付かない事を仕出かしてしまった。ここまで来てもうやめるわけにはいかないのだ。胸の奥で膨らみ始める罪悪感を拒絶するようにベンケイは虎徹の刃を紅く発光させる。


 ぐにゃあ。総司のバットが虎徹の刃へと溶け込んで飲み込まれていく。


「どうだ、見ろ! そんなくだらない説教をしている間にもお前の武器が俺の物になっていくぞ! ハハ、アハハハハハ……」


 自らの私物が虎徹に吸収されていく様に総司は特に動揺せず、負傷している右手をバットから離した。


「だから、そうやって人の物をホイホイ奪おうとしない!」


 総司の強烈なビンタがベンケイを強襲する。アイオライトの結界で散々傷付いたとは思えぬ威力。周囲に飛び散る総司の手の鮮血とベンケイの鼻血。

 衝撃に耐え切れず、ベンケイが後ろへ仰け反ると虎徹に半分程吸収されていたバットが抜け出てきた。既に刃と同化してしまったようで、一部分が消失していたが。愛用品だったのか、総司が残念そうに呟く。


「ブロッド君と街の皆さんとで野球しようと思ったのに……」

「そりゃ残念だったな……あと、その手アタシの結界のせいじゃないのか? ……ごめんな」

「気にしなくて大丈夫です。怪我はすぐに治りますし」

「だけど」

「アイオライトさんが死ななくて良かったです」


 平気だとひらひらと振る真っ赤に染まった手を見詰め、アイオライトは胸を締め付けられるような感覚に襲われた。ふと、『あの子』の事を思い出したのは何故だろう。自分のせいでこんな目に遭っているのに、彼女と同じように赦してくれたからか。

 ただ、あの時と違って熱い。痛みを忘れてしまう程胸の奥が熱い。


「お、おまえ、澄ました顔で何かっこつけてんの」

「かっこ……? あ、それよりアイオライトさんその体のヒビみたいなの大丈夫で」


 パリンッ。総司の言葉を掻き消す儚げな音が束の間の静寂の中に響き渡った。

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