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39.虎徹

 つるぎ族とは人間でも獣人でも、魔族ですらない稀有な種族。言うなれば剣の精霊のような存在だ。

 主のために人を斬り続け英雄の聖剣、愛刀と奉り上げられ、或いは手にした者を次々と不幸へ導く魔剣、妖刀と恐れられた剣は稀に『心』を持つ。剣を本体としたヒトの『体』が構築される。

 それが劔族である。彼らの容姿や性格、年齢は剣によって異なる。姿と心はヒトになる前の剣の持ち主だった者の人格によって大きく左右される。

 殺戮と鮮血を好み人間としての感情が大きく欠如してしまった者の剣は、醜悪かつ残虐な劔族となる。逆に主や恋人など誰かのために戦い続け、最期まで深き闇に魅入られずにいた者の剣からは善良な劔族が生まれる。 年齢は持ち主と剣が過ごした年数によって決まる。なので、まだあどけない子供でいれば、年老いた姿の劔族も存在した。


 劔族は同族同士で集まり、小さな集落を作って暮らしている。戦いと血を求めて冒険者になる者もいるが、多くは人間との関わりを絶って三百年ほどの永い生涯の終わりをじっと待つ。

 劔族の本体である剣は高い攻撃力と魔力を秘めている。そのため、彼らに傭兵にならないかと声を掛ける者も少なくはない。

 だが、多くの劔族は戦いや争いを好まない。彼らはかつて凄惨な光景を見続け、自分を共に戦わせてくれた主の最期に胸を痛ませた。人を殺す武器でありながら、再び人を殺す事を拒絶するようになった。人を生かすために薬屋を営む劔族も多い。

 それでも自分達を求める人間から逃れるように身を隠し、ひっそりと生き続ける。それが劔族の生き方だった。


「……ここまで話せば分かるでしょうが、この村は数少ない劔族の集落の一つ、だった場所です」


 一通り説明すると、フェイは小さな溜め息をつく。その虚ろな視線の先にはボロボロになってしまった剣達。何とか帰ってくる事の出来たこの村の住民。

 劔族の事をある程度知っていたオボロはフェイの話を聞かずに、剣の状態を観察していた。一言で言ってしまえば、既に手遅れの状態だ。劔族は本体である剣が傷付くと、ヒトの姿を保てなくなり、最期には魂も消滅する。戦いを求めて傭兵となった劔族の多くは、そうやって最期はただのボロボロの剣と戻ってしまう。

 あまりにも痛々しく、剣からはほとんどと言っていい程魔力が感じられない。ヒトの姿を保つ事も出来ない程に弱っている。かろうじて生きている状態。

 劔族の剣は一度傷付けば癒えることはない。あそこまで破壊されてしまえばもうどうしようもない。

 ヘリオドールもその事は何とか察したようで、気遣うようにアイオライトを見る。かつての村長も村がこんな有り様になっているとは全く知らずにいたのだろう。剣を目にした時の彼女は驚愕と悲愴を混じり合わせた表情をしていた。


「……祠に入られたな?」


 先程見せた悲しみを引っ込め、真摯な眼差しを向けながらアイオライトはフェイに問い掛けた。平素の無邪気さを含ませた軽いものではなく、硬質的な声。その声が今がどれだけ異常事態なのかを物語る。

 フェイは自分よりも小さな姿の少女からの静かな問いに僅かにその身を強張らせた。答えに迷ったのか、一瞬口を開いてからすぐに閉じる。しかし、正直に答えるべきだと判断して再び開く。


「はい……」

「そうか」


 事情を詳しく知らない者を焦らすような短いやり取り。不満げに唇を尖らせてヘリオドールは説明を求めるようにアイオライトに詰め寄った。


「ちゃんと私達に分かるように説明しなさいよ。何も分からないんじゃどうしたらいいかも分からないわ」

「あ、悪い悪い。祠ってのはミーミル村の奥の森の更にまた奥にあるやつでな、そこにはある剣が封印されていたんだよ」

「剣?」

「刀系統で『虎徹こてつ』って言う大昔の村長の剣だ。ぽっくり逝った後で残った刀をずっと祠で奉ってたのさ。ま、今回の件はそれを誰かが奪っちまったせいで起こったんだなあ」


 ふー、と息を吐きながらアイオライトは天井を見上げた。その眼差しはどこか苛立ちを孕んだ苛烈さを含んでいた。自分が睨まれているわけでもないのに、ヘリオドールとオボロは背筋に冷たいものを感じた。


「虎徹ってのはとんでもない力を持ってる。他の劔族を従属させる能力だ」

「従属……?」

「そ、刀の持ち主がどっかの軍隊のお偉いさんだったみたいでな。真っ当なお人だったみたいなんで村長も穏やかな性格だったんだけど、その能力が厄介なんだ。劔族を強制的にヒトから剣に戻して、自分の剣として従わせてしまう」

「なるほどねえ、話が見えてきたよ。何でこの村に劔族がほとんどいないかが分かった」


 どこか嬉しそうに言うオボロにアイオライトが口角を吊り上げて頷く。両者共目は笑っていなかった。


「うちの村人のほとんどが今は虎徹を盗みやがった野郎の私物になってる。そうだろ、フェイ?」

「その通りです。そして、祠を荒らし虎徹を奪った者はこの村の劔族であるベンケイ。『傀儡剣くぐつのつるぎ』の男です」

「ベンケイって武蔵坊弁慶ですか?」


 この会話の中で初めて総司が口を開く。変に割り込んではいけないと空気を読んでいたのか、単に話に付いていけず空気と同化しかけていたのか。オボロは前者だと思い、ヘリオドールは後者だと思った。


「ムサシ……とは?」

「僕の世界でそんな人がいるんですよ。刀狩りみたいな事をしてたんですが、最期は主のために立ったまま亡くなってしまうんです」

「総司君、どうして立ったまま死んだのか説明してくれないと……」

「刀狩りか。ま、合ってるかもな。とりあえずあいつなら祠に入って剣を守る結界も壊せそうだ」

「ベンケイの傀儡剣は下等な魔族程度なら行動をコントロールする洗脳の能力を持っています。それで森にいた『蟲人むしびと』を操り、祠に侵入して剣を奪ったんです」


 蟲人とは虫系統の魔族だ。森を好み自然を愛するエルフと似た種族で、滅多に人間に干渉しない。人間に牙を剥くのは自然を不必要に荒らされた時。

 彼らは単体での攻撃力はさほどない。しかし、数が集まればその力は膨大なものとなる。


「虎徹を奪還しようと村の者達は戦いを挑みましたが、多くは虎徹の能力に飲み込まれてしまい、逃れた者も昆虫族の攻撃を受け……」


 フェイが痛ましい姿となった村人を見詰める。その瞳からは涙が流れ、まろい頬を伝った。

 劔族は人間でも獣人でも魔族でもないヒトだ。だが、心を持っていて血も涙も流せる。


「ベンケイは今、祠に眠るもう一本の剣『兼定かねさだ』をも抜こうと立て籠っています。剣そのものを守る結界は早々破れませんが、それも時間の問題。あなた方には祠に立ちはだかる蟲人を蹴散らし、ベンケイを止めていただきたいのです」

「いただきたいって……」

「クエストの依頼書には虫退治としか書かれていなかったのに難易度が随分ハードになってない?」

「いいえ、虫退治です」


 いいえではない。ただの虫ではなく魔族のはしくれ。更にラスボスとして控えるベンケイという諸悪の根源。

 どこが虫退治だ。どうしてそんなに虫退治と主張出来るんだ。一つの村の存続がかかっているじゃないか!

 この状況を放ってはおけないが、予想以上の惨状に溜め息をつくオボロと固い表情を見せるヘリオドール。そんな二人にフェイは優しげに微笑んだ。不安を拭い去るような柔らかな笑み。アイオライトはその笑顔に違和感を覚えた。

 彼女には見覚えがあった。あの少女も見せた笑顔。その時、少女は。


「おい、フェイ。お前何を考えてるんだよ」

「……ベンケイは私が止めます。村人を守れなかった村長のけじめとして。だから蟲人を倒して祠への入り口さえ開けてもらえればそれで大丈夫です」

「フェイ」

「祠への地図をご用意します。少々お待ちください」


 アイオライトの呼び掛けを無視して部屋から出て行こうとするフェイ。彼女を「ちょっといいですか?」と引き止めたのは剣を母犬と一緒に眺めていた総司だった。


「劔族さんを治せる方法はないのかなって思いまして……この村の人って薬屋の人が多いんですよね。そういうので何とかならないんですか」

「ソウジ、気持ちは分かるけど彼らはもう……」

「……あるとしたら一つだけ存在するぜ」


 答えたのはアイオライトだったが、決して喜ばしい時に見せる表情ではなく、諦めが混じった声だった。フェイも目を伏せ、何も言おうとしない。いや、言えないのだ。口にしてしまったら最後、その方法に縋り付きたくなってしまうから。


「あるんですか?」

「あるとしたら、って言ったろ? 半ば伝説みたいな話なんだけど、昔劔族の剣を癒す力を持った剣の劔族が一人だけ存在したらしいんだ。その劔族がどんな奴で剣の形状がどんなのかはアタシも知らない。けど、そいつがいればもしかしたら……」

「……でも、そんな人存在しない確率の方が高いのね。いたとしても、もう死んでる可能性もあるし」


 同族の剣を癒せるという事しか判明していない雲を掴むような話である。たとえベンケイとやらから虎徹を奪還出来たとしても、取り込まれた劔族が無事とは限らない。村人を救えなかったフェイにとっては残酷な夢物語でしかなかった。

 だが、フェイは笑顔を崩そうとはしなかった。何とか涙を堪えて総司に微笑んだ。

 そして、アイオライトは総司の頭を撫でながら笑った。


「ソウジ、劔族は他の人間からしてみれば強力な兵器と変わらないんだ。『ヒト』として扱おうとすらしない奴も多い。その事に対してはアタシは否定しない。アタシらは元は武器で本当は心なんざ存在しなかったんだからさ」


 心が宿ってしまったが故に戦いを好まない。殺戮を望まない。その事に対して余計な考えを持つようになったと、疎ましく思う人間をたくさん劔族は見てきた。

 アイオライトはその人間達の言葉を思い出していった。彼らは世界を救うためだと語り、自分をヒトではなく兵器としてしか見ようとはせず、あの少女を兵器を使いこなす道具としてしか見ていなかった。要らない考えは持つな、世界を救うために命を捨てる覚悟で戦え。そんな戯言を飽きる程聞いた。口先だけで何もせずに城に籠るだけの彼らを殺してしまおうかと考えた事もある。


 だが、この世界にいるのはそのような人間ばかりではない。だからこそアイオライトも少女も頑張ったのだ。頑張って、頑張って、そして。


「あんまり深く考えてくれてなかったとしても割りと嬉しいぜ、仲間の事気遣ってくれた事。ありがとうな、ソウジ。……ほら、さっさと行くぞー、フェイ。アタシも連れてけ」

「……はい」


 アイオライトと、彼女に促される形で部屋から出て行くフェイ。残された三人に重い沈黙が流れる。

 自分達の役目は祠を見張る昆虫族の大群を蹴散らす事。フェイはその隙にベンケイを止める。虎徹を奪還する。

 それで全て解決するわけではなかった。


「ここにいる劔族やベンケイって奴に奪われた劔族は助けられないのかしら……」

「仕方ないよ。その治癒の力を持った劔族に頼るわけにもいかないでしょ。僕達はただ蟲人を倒す事だけ考えようよ」

「諦めたらそこで試合終了ですよ」

「し、しあいしゅうりょう?」

「試合終了です」


 謎の言葉に狼狽えるオボロを華麗に受け流して、総司は足元に擦り寄る母犬を抱き上げた。ご機嫌で尻尾を振りまくる母毛玉。


「もしかしたら皆さんを治してくれる劔族さんがいるかもしれないじゃないですか」

「でも、アイオライトもいないっぽい事言ってたじゃない……」

「そうだよソウジ。存在も不確かなものに縋ったって……」

「不確かって事はいないかもしれないけど、いるって事も有り得るじゃないですか。ほら、案外近くにいるかもしれませんよ」


 重い空気を邪魔だと言わんばかりに跳ね除けるような総司の強気とも取れる発言。それは残された二人の劔族にとって救いの言葉でもあり、虚しい妄言でもある。彼女達がどちらに受け取るかは分からないが。


「不思議ね。総司君が言うと本当にそうかもしれないって思うんだから」

「……それにしても君、その犬達によく懐かれてるね」


 しんみりとした雰囲気を変えるためにオボロが別の話題を出す。先程までニールとじゃれていた子犬二匹も疲れて総司の傍で眠り始めた。初対面とは思えない好感度の高さだ。


「可愛いですね。この村に数年前にふらりとやって来たそうですよ」

「村の人達は好き勝手に名前付けてたみたいだけど……あんたも好きに呼んでみたら?」

「そうですね……じゃあ、この少し大きいのはタンポポ、子犬はヒマワリと……ガーベラにしましょう」

「えっ、花の名前? あんたの事だから漫画のキャラの名前にするかと思ったけど」

「何となく花がいいなと思いまして。ヘリオドールさんはどんなのが良かったですか?」

「うーん、響き的にハーラミとかミノンとかカルビルとか……え? どうしたの総司君!?」


 総司は爆睡中の子犬二匹も抱えると、ヘリオドールから少し離れた。実に機敏な動きだった。

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