37.ミーミル村
「飛ぶよ~」とダンディーな声での宣告の後、飛翔するニールの巨体。直後、漆黒の竜は翼を羽ばたかせて目的地まで一気に駆けて行った。その光景を目にした者達によってざわつくウルド中心部。かつての魔王との戦いで殺戮を繰り返した悪しき黒竜の再来ではないかと怯える者もいた。
そんな者達へどこか濁った目で助言をしたのは、ドラゴンの上の乗客者をしっかり見ていた人物だった。
「あれ、多分あの異世界から来た新人の手下っぽいから大丈夫じゃね?」
「ああ、あの新人の……」
その一言で何もかもが解決した感のある雰囲気。前から色んな意味で爛れ、女性からは『性の監獄』として恐れられていた所に突如入ってきた少年により、最近少しずつ変わってきたウルドの役所。今現在、街の人々からはこう呼ばれていた。
中身が少し残念な方々の集まる場所、と。
その残念集団が乗るドラゴンの真下に広がる大地を食い入るように見詰める総司に、ヘリオドールがずっと抱いていた疑問を口にしてみた。
「あんたって虫に興味があったのねぇ。漫画、手芸、お菓子作りって女子力高めなオタクだと思ってたら、そんなアウトドアな趣味があったなんて意外」
「確かに。君、虫は嫌がりそうだと思ってたんだけどね……」
「そうでもないですよ。僕昔は夏になるとミツバチ王国を探してたくらいですから」
今明かされる総司の幼少時代。その第一声は少々反応に困る内容だった。
ミツバチ王国って何。さあ、多分この子のいる世界の話だと思う。オボロとヘリオドールが視線を合わし、そんな思考のやり取りを行う。彼らの混乱を余所に総司はどんどん自らの思い出を語っていく。
「一度、ミツバチを脅かすスズメバチを退治してやろうと思って道具を持って山に入ったらミツバチ王国はなくても別な場所には辿り着きました」
「へえ……」
「でも、どうやってそこに辿り着いたかも帰ったのかも分からないんです。大人が言うには全身血まみれになって山に倒れてたみたいで目覚めた時には病院にいました」
しみじみとした様子の総司にヘリオドールが顔面蒼白となり、くらりと目眩を起こした。上司をニールから落ちないように体を支えてあげている総司に、オボロは彼女の分まで心を込めて思い切り叫んだ。
「それ臨死体験!!!!」
「そうよ! あんた一人で山に入ってどんな凶悪犯罪に巻き込まれたのよ!?」
何とか立ち直ったヘリオドールも勢い良く問い詰める。今は昔の物語。血まみれで倒れていた子供はすくすくと成長して、目の前にいる。
だが、聞かずにはいられない。小さかった頃とは言え、総司が深手を負った理由を。だが、総司は目を丸くして首を横に振る。
「すみません。その血なんですけど、僕のものでは……アイオライトさん?」
総司はどこか懐かしそうな笑みで地上を見下ろすアイオライトに声を掛けた。少年の呼び掛けに少女が我に返ったように一瞬戸惑った顔をしてから、「何だ?」と聞いてくる。
「アイオライトさんさっきからずっと下を見ているので……もしかしたらこの辺りに来た事あるんですか?」
「鋭いね。流石はソウジ。来た事があるとかよりも今から向かう村、実はアタシの生まれ故郷なんだよ」
「そうなんですか」
「え、ちょっと待って」
総司の相槌で静かに終わろうとしていた会話を継続させたのはオボロだった。その顔は先程の総司九死に一生事件程ではなくても、驚きが隠せずにいた。
住民課であるオボロはウルドの地形や情勢にも詳しい。総司が虫が見たいという理由だけで選んだ村がどんな場所かも知っていた。そこに住む人々についても。
「え? ひょっとしてアイオライトって珍しい種族とかそんなの?」
「種族というよりもこの人は……」
「アタシの事はどうだっていいからソウジの話聞こうぜ。な、ソウジ?」
アイオライトが面倒臭そうに話題を総司の幼少期に戻そうとする。その強引な持って行き方に、あまり触れて欲しくない話だったかとヘリオドールとオボロは口を閉ざす。総司も空気を読んだのか、そうでないのか、血まみれ失踪事件の話の続きを喋っていく。
「えーとですね、さっきの僕の服に付いてた血は僕のではないんですよ」
「それじゃ他人の……?」
もしや被害者ではなく加害者。
「でも、誰のかは僕は教えてもらえませんでした。僕も何が起こったか全然おぼえてなかったし、両親もびっくりしてましたし……特に父さんが物凄い慌てて」
ヘリオドールの脳裏に浮かんだのはあの扉の妖精だった。ジークフリート曰く勇者と共に戦った魔族。その話を思い出し、アイオライトからつい視線を逸らしてしまう。彼女には絶対彼が現れた事を話すな、と言われていたからかもしれない。嘘や隠し事はあまり得意ではないヘリオドールには荷が重かったのだ。
「どうしたヘリオドール? 急に挙動不審になりやがって」
「な、何でもないわよ。本当に何でもないの。絶対よ!」
嘘も隠し事も下手くそ。というわけで隠し事を隠すための嘘はあまりにも雑なものだった。なのに頑張って嘘を貫こうとする姿にアイオライトが哀れみに満ちた視線を送る。オボロはもう見ていられないと俯く事で魔女を視界の外へ追いやった。彼の頭には既にからかいの言葉が用意されていたが、あまりにも痛々しくて気の毒で良心が口をつぐませたのだった。
(ジークフリートの爺さんもこの人が悪い意味でも真っ直ぐな性格ってのは分かってるはずなのに、どうして隠さなきゃならないような話しちゃうかなぁ……)
ヘリオドールは信頼出来る人物ではあるが、秘密にしなければならない話をするには最も適していない人物と言える。彼女も自分のように多少狡猾さを持った方がいいのではとオボロは以前から思っている。先日のティターニア姫の一件で更にその考えは強くなった。
盗み聞きをするのは趣味兼特技兼悪癖のようなものだ。扉の妖精とやらが魔族かもしれない。水晶を見詰めていたリリスが目を見開いたと思ったら執務室を出ていったので、こっそり後を追って彼らの通信での会話を聞いていたのだ。こればかりはジークフリートどころか、ヘリオドールにすら知られてはならないと勘が告げている。ニーズヘッグの時とは違い、オボロはこの情報を知っているのは誰にも知られないようにしていた。
「ソウジお兄ちゃん着いたよー!」
三人の間に流れる微妙な空気を吹き飛ばすようなバリトンの後、ニールは緩やかに地上へと降下していった。周りを青々とした森に囲まれた、木の家ばかりが立ち並ぶ小さな村だった。
ウルド北部に隠れるようにして存在するミーミル村。その入り口には白く清潔なローブを着た金髪の女性が柔和な笑みを浮かべて、来客者を待ち詫びていた。女性の足元には白い毛玉二つと白黒の毛玉が転がっていた。
「初めまして。ウルドの役所から来ました藤原総司と言います」
魔法を解いて体を元のサイズに戻したニールを脇に抱えた総司は、女性へと深々と頭を下げた。その目線はちゃんと女性の顔へと向けられている。が、毛玉に気付くなりそっちを見始めたようだった。
「初めまして、皆様。私はこの村の村長のフェイです。この度は……あら」
フェイも四人を一通り見渡した後、アイオライトを見るなり笑顔を消して少女へと駆け寄る。毛玉も動き出す。こちらは総司へと向かって行った。
毛玉の暴走に構わず、フェイはアイオライトに抱き着いた。その瞳からは涙が零れていた。アイオライトは宥めるように自分より少し大きな背中を何度も撫でる。満更でもなさそうに笑いながら。
「アイオライト様……! また会える日が来るなんて……!」
「落ち着けよフェイ。みんなびっくりしてんだろー?」
「ですが……」
「あの、お二人はどのような関係で……?」
まるで生き別れた親子か年の離れた姉妹の再会劇だ。すっかり二人の世界に浸る彼女達にヘリオドールが恐る恐る聞いてみる。その答えはすぐに返って来た。
「アイオライト様はこのミーミル村の先代の村長だった方なんです」
嬉しそうに説明するフェイと、「ふふん」と自慢気に膨らみのない胸を張っているアイオライト。両者を交互に見たヘリオドールはそこでやっと声を上げた。
「村長!?」
「やっぱりおばあちゃんだ!」
要らない事を堂々と言ったオボロの鳩尾にアイオライトの拳がもろに入る。蛙の潰れたような音は総司の周辺からの鳴き声に掻き消されていった。
「可愛い犬ですね……」
毛玉の正体は小さな犬と、それよりもややサイズが小さめの犬二匹だった。恐らく母犬と仔犬だろう。三匹は突然現れた少年に怯える様子なく、むしろ待っていたかのようにじゃれついた。総司の足にしがみつき、くるんと丸まった小さな尻尾を存分に振っている。
「あーっ! せっかくソウジお兄ちゃんに褒めてもらおうと思ったのにお兄ちゃん取らないでよーっ!」
微笑ましい光景に慌て出したのはニールだ。小さいサイズに戻った事で取り戻した子供の声で三匹に離れるように訴えかける。ニール自身も仔犬は可愛いと思ったので実力行使に出れずに、ただ言葉で抗議するしかなかったのだ。




