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30.破壊交響曲




 一人の男が様々な勘違いを経て一人の少年をコテンパンにしようとしている頃。魔法や魔物が存在しない世界ウトガルドにあるオタク大国日本のとある空港のロビーでは、二人のサラリーマンがそれぞれの自宅に電話をしている最中だった。

 先に電話を終わったのは部下の方だ。一言、二言会話を交わしてすぐに切られてしまったらしい。哀愁漂う笑みを浮かべているのが何とも痛々しい。会社では一ヶ月に一回程度しか見せない笑みを浮かべ、妻と談笑する上司が電話を終えるまで健気に待っていた。

 じゃあ、もう少しで帰る。その一言の後に電話を切り終えた上司は妙に静かな部下を見て怪訝そうな表情を見せた。飛行機での長旅が堪えたのか、部下が老けているように見える。


「おい、まだ二十代の奴がしていい顔じゃねえぞ」

「俺の家と部長の家の温度差が激しすぎて心がついていけません……」

「嫁に苛められたか」

「俺のパソコンに保存してあった秘蔵フォルダの存在がバレました……家に帰ったら軍法会議が始まります……」


 この調子では携帯に入っているフォルダも発見されて消滅の道を辿る事になりそうだ。これではフォローのしようがない。部下の肩をぽん、と叩くしか慰めの方法は思い付かなかった。


「でも、部長はいいですよね~。帰ったら嫁さんと息子さん待ってるんでしょ?」

「いんや、息子はバイト終わったら帰ってくるらしいから、俺より少し遅くなるって言ってた」

「新しいバイト先見付かったんですか? 強盗が入ってきたせいでコンビニがボロボロになって働けなくなったって聞きましたけど」

「本人はまたコンビニのアルバイトって言ってるが、多分嘘だな。書類もこっちの連中が信じ込むように術が掛けられていた」

「こっちの連中?」


 部下は瞬きを数回した。時折、この部長は変な言い方をする。本当に時折ではあるが。喧嘩は異様なまでに強く、頭の回転も速く、家族思いという事以外は謎に包まれている上司。

 部下はこの男が実はどこか違う世界からやって来たのでは、と思っている。彼の不思議な言葉をからかうものではなく、本当にそうかもしれないと密かに思っているのだ。

 そんな事あるわけないのだが。


「でも、息子さんも部長に負けず劣らずって感じですよね。運動神経抜群で勉強もそれなりに出来るなんて弱点無しじゃあないですか」

「……弱点一つだけあんぞ」


 どこか苦みを含ませた声で部長が反論した。


「えっ、あるんですか!? だって料理とか手芸も出来んでしょ!?」

「あいつなぁ、歌がとんでもなくヘッタクソなんだって。しかも本人はその事実に気付いてねえし、最近はヘビメタに興味持ち始めてやがる。学校じゃあ手加減して歌えって言わないと洒落にならねえ」

「歌……歌ってそのくらいよくないですか? 一つくらい苦手なのがあった方が女の子にモテますよ」

「だったらいっぺん聴かせてやるから防音設備整ってるスタジオに一緒に来い。お前が泣き喚こうが延々と息子のリサイタルは続くぞ」


 部長の真剣な眼差しに部下は数秒考えた後、「やっぱりいいです」と答えた。それは彼にとっては幸せな事だったのかもしれない。







 一方、アスガルドでは。三人目の召喚師を前にして総司が何度も首を傾げていた。「あれ? あれぇ?」と疑問を何とか解決しようとする姿勢にティターニアが聞いてみる。


「お父様どうかしましたか?」

「いえ、あの人の事なんですけど」

「あの男が何か?」

「僕の世界ではこういう時に出てくる人って悪い人が多いんです。それもあまり良くない組織のトップなんですよ。黒いフードの下では無精髭のいかにも悪役! って人が笑ってて……いかにもそんな感じだなぁと」


 何から何まで正解である。あまりの合致ぶりに黒いフードの下でバイドンは顔を引き攣らせていた。これは揺さぶりだろうか。お前の正体なんぞとっくに知っていると相手に動揺を与える作戦。

 その策にまんまと嵌まってしまった。怒りに焦りという感情も加わったバイドンは歯軋りをした。


「えーとですね。それで今僕が言ったような台詞を言われて『どうして分かったんだ』って悔しげな顔で歯軋りをするんですよ」

「も……もういいじゃねえか!! とっとと戦わせろよ!!」


 これ以上、喋られ続けるとボロが出てしまいそうだ。それ以前に言葉のナイフによる精神的ダメージが地味に大きい。

 ここまで馬鹿にされたのだ。何が何でもあの少年にはティターニアや部下の前で醜態を晒してもらわなければならない。それに最適な召喚獣を呼び出すべくバイドンは詠唱を始める。元々は闇属性の魔術の使い手ではあるが、召喚師の素質もあったため何体かを使役していた。その中に、少年を打ち破る事が可能な『鳥』がいる。


(あいつ、馬鹿力だが魔力は全くないようだからな。『こういう』耐性は持ってねえはずだ)


 パワータイプの召喚獣では間違いなく力負けする。かと言って純粋な魔法攻撃を主体にしたタイプを呼んでも、微弱ながら皮膚も電流が流れている雷牛を掴んだところを見ると通用するか分からない。

 だが、『精神』に直接ダメージを与える攻撃ならばどうだろう。先程の仕返しという事ではないが、叩くなら外ではなく内だとバイドンは睨んだ。


「我に応えよ我に応えよ。地獄の空を舞いし不浄なる怪鳥よ。今ここに舞い降りたまえ!」


 闇の波動を凝縮した宝石の指輪に自らの魔力を注ぎ込む。妖しく輝く紫紺の指輪に引き寄せられるように、それは地上に舞い降りた。

 紅色の美しい翼を羽ばたかせた、頭部だけが人間の女性の『鳥』。透けるような黄金の髪を持ったその鳥はバイドンへ妖しく艶かしく微笑むと、漆黒のフードへと口付けを一つ落とした。

 そのどこか異様で官能的な光景を見た総司が顎に手を添えた。珍しく深く考え事をしているようだった。


「次の相手は女性なんですか。困りました……」

「ソウジ君何言ってるだ! 油断してたら心を持って行かれちゃうだよ!!」

「あ、違います。僕、そういう目で彼女を見ていたわけでは……」

「そうじゃないだー!!」


 どこまでも暢気な総司に代わって焦るブロッド。それは彼らを遠くから見守っていた二人も同じ事だった。


「まさか地獄の番人ハーピーなんて呼び出せる奴がいるとはな……」


 ジークフリートは忌々しそうにバイドンの傍らで優雅に微笑む怪鳥を睨み付ける。罪を犯したあらゆる生物が死後に向かう場所、地獄。ハーピーはそこに棲まう魔物であり、木の姿に変えられた罪人をいたぶる役目を持つ。

 しかも、その声には魔力が込もっており、彼女達の美しい歌を聴いた者は精神を犯され崩壊してしまう。あんな化物を従わせられる召喚師など、そう多くはない。ジークフリートも召喚獣として現れるハーピーを見るのは永い生の中でも初めてだった。


「ちょっとヤバいんじゃないの? いくら総司君でもハーピーの歌を聴かされたら……」

「だな……ハーピーの歌声を無効化するには魔術で音を遮断する結界を張るしかない。ソウジがやられる前に止めるか」


 そう判断し、どう戦うか悩んでいるらしい総司へと近付こうとする。ジークフリートの視界が白い光に包まれたのはその直後の事だった。気付いた時には自分や観客の周囲を純白の光の膜が覆っていた。たった今、話していたハーピーの歌を防ぐための結界だ。肝心の総司にはそれがかけられていなかったが。

 結界を張ったのはヘリオドールだ。彼女も無意識の行動で困惑しきっていた。観客への影響を考えれば正しいかもしれない。だが、ハーピーの歌を警戒しての事なら総司にも結界を張らなければならないはずだった。白い膜に覆われていないのは総司と対戦相手、それとハーピーだけとなった。


「え……何か胸騒ぎがすると思ってたら体が勝手に……」




 そして、ヘリオドールが魔術を使うとほぼ同時にバイドンはハーピーへと命令していた。


「行け! あの澄ました面をぐちゃぐちゃにしてやれえ!!」


 バイドンの叫びに応えるようにハーピーが総司へと微笑みかけ、桃色の唇をうっすらと開いた。瞬間、甘やかな歌声が総司へと纏わり付く。ヘリオドールの結界に護られた人々は歌が聞こえないため、何が起こったか理解していない。

 バイドンもそこで結界の存在に気付いて眉をしかめる。総司の部下が総司を守るために張ったものとしてもおかしい。そうであるなら総司自身に使うべきなのに、奴を除いた周りにだけ使っているのだ。


 その総司はハーピーの惑いの歌をしばらく聴いた後、懐から数枚の楽譜を取り出した。そこには音符と歌詞が鉛筆で書かれていた。

 彼が作詞作曲したオリジナルソングの楽譜である。


「どちらの方が歌が上手いかという対決なら僕も喜んで挑みます」

「あ゛ぁ!? てめえ何言ってやがる!!」

「僕が三ヶ月間頑張って作った曲です。聴いてください。『破壊交響曲ディストラクション・シンフォニー』!」


 ハーピーの歌に歌での対抗。まさかの奇策に混乱するバイドンと、自らの歌を聴いて全く精神の異常を来していない獲物に僅かに動揺するハーピー。彼らの元へ総司の歌声が届く。


「う゛、ぐぅ……!?」


 それは歌なんて生易しい表現で赦されるはずがなかった。衝撃波、と言っても過言ではない。総司の周囲の地面に亀裂が走り、地震が発生した。まさに破壊。

 荒々しい風の中で舞う狂気の歌声。ハーピーの美しく柔らかい惑いの歌が、少年から放たれるほろびのうたによって掻き消されていく。

 声量が大きいとか、音程が外れているとか、音痴だとかそういう点はもう些細な事だった。総司が歌っている曲のジャンルは彼の世界風に言えば『ヘビメタ』だったが、それすらも些細な事だった。では何が問題なのか。悶え苦しむバイドンにもハーピーにもそれは分からないし、無音の結界に護られた人々にも分からない。

 ただ一つ言える事実。


 それは総司は歌が下手だという事だけだった。


「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛……!!」


 ハーピーの美貌から張りが消えて皺が刻まれていき、金髪が白髪へと変化していく。獲物をたぶらかすために魔力で作られた美が保てなくなり、本来の老婆へと成り果てる。


「もうやめてくれえええええええ!!」


 相手への怒りや憎しみを忘れ去り、ひたすら懇願を繰り返すバイドン。『漆黒の魔手』のリーダーとしてあらゆる悪事に手を染めてきたバイドン。もう泣くという行為を忘れてしまっていたバイドン。

 そのバイドンの瞳から零れ出す無数の涙も風に吹き飛ばされ、宙を舞い消えていく。




 だが、そんな男の切なる祈りは決して届かず、総司による破壊交響曲ディストラクションシンフォニー・フルバージョンはこの後二分も続いた。

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