29.勘違いの連鎖
ウルド名物の冒険者と召喚師の対決は、たった一人の少年の乱入によって歴史上類を見ない展開へと進んでいた。街で有能な家具職人にごり押しされるような形で出てきた黒髪の少年へと襲い掛かる三メートル超えの土人形。
主の命令に忠実なこの無機質な巨人は主からの制止がかかるか、体に刻まれた文字を消す以外にはない。一度ゴーレムに狙われた者はただ、その凄まじいパワーの餌食になるしか道は残されていない。
ここまでの戦いでも力自慢の拳術師三名を呆気なく退けてきた。鉄をも砕く彼らの強烈な拳や蹴りでもヒビ一つ入らない従者を持った召喚師の男は、突然参加してきた痩身の少年へ笑みを浮かべゴーレムに命じた。死なない程度に相手をしてやれ、と。この祭は祭なので殺人はご法度だが、『多少』の怪我を負わせるくらいなら全然ありだ。強烈な闘気を剥き出しにしてかかってきた拳術師と違って、全く覇気の無い表情なのが少し違和感を覚えるが、あの顔を恐怖に歪めてやるのも悪くはない。
「行け、ゴーレム」
召喚師の杖と同色の赤い光に包まれた直後、ゴーレムがその鈍重な体で地響きを立てながら少年へと両腕を振り上げた。
少年はその絶大な破壊力を誇る双腕を後ろに飛び退ける事で簡単に回避した。回避後の一瞬の隙。それを狙っていたのか、ゴーレムは長い脚で少年を蹴り上げようとした。
が、少年が跳躍するのが先だった。ゴーレムの頭部付近まで跳んだ少年はそのまま着地せずに、胸部に飛び蹴りを喰らわせる。
「そいっ」
何とも気の抜ける声と共に放たれた蹴り。自らのゴーレムがその場に膝をつく光景に召喚師は目を見開いた。
驚愕したのは今までのゴーレムの闘いぶりを観戦していた見物客達も同じだった。拳術師の攻撃を一切通さなかったゴーレムの胸部に亀裂が走り、衝撃音の後に大穴が空いていた。更にヒビは全身に広がり、パラパラと体を形成していた石の礫が落下し始めていた。この状態で先程のような大きな動きをさせれば完全に崩れ落ちてしまう。召喚師は数分前までは自信に満ちていた顔を恐怖で歪めながら、杖を振った。ゴーレムが赤い光に包まれ、その場から姿が消える。
「お、俺の負けだ。降参する」
「ありがとうございます」
勝負が決まった所で起こる歓声と拍手の音。自慢の召喚獣を僅か一撃で戦闘不能にさせられた召喚師には同情の眼差しが向けられ、勝者には三人のマッチョとオーガと美少女が駆け寄った。
「ボスすげえです!」
「流石はボスっすね!!」
「ボスならやってくれるって信じてましたよ俺たちゃ!!!」
「ソウジ君凄いだ! ゴーレムをあんなにあっさり倒すなんて冒険者でも結構大変だ!!」
「かっこいいですわお父様ぁ!!」
彼らは勝った本人よりもはしゃぎ、美少女以外の四名の雄叫びが空に響き渡った。それを掻き消すように次に現れた白いフードを被り、青い宝石で飾られた杖を持った男が口を開く。
「次は俺の召喚獣と戦ってみてくれ!!」
「はい、かかってきてください」
しゅっしゅ。少年は白いフードの召喚師からの要望をあっさり受け入れながら、拳で殴るモーションを数回繰り返した。彼の生まれた世界で言えばシャドーボクシングの動きである。
拳が空気を突く度に放つ風切り音を耳にした男は生唾を飲み込んだ。やはりただ者ではない。だが、自分が求めていたのはこういう戦いだ。格下の相手を倒しても何の喜びも得られない。欲しいのは強い相手をどうにか倒し終えた後の達成感。
「いざ尋常に勝負!!」
男は杖を空へ翳した。
「我に応えよ、我に応えよ。電光から生まれし愚鈍なる獣よ。今、ここにその姿を現したまえ!」
詠唱に呼応するように杖の青い石が輝き、光が天へ向かって伸びていく。淡い青が広がっていた空に黒雲が立ち込め、一筋の雷撃が男の眼前に降りた。
目映い雷光は獣の形に変形していき、輝きが消えた時にはそれは巨大な赤黒い牛の獣へと化していた。額には鋭い角が生え、電流を帯びている。角で突かれれば体は貫かれ電撃を浴びる事になる。
男が使役している召喚獣の中では一番の戦闘力を持つ雷牛が唸り声を上げ、少年へと駆けていく。先程のゴーレムよりも俊敏な動きにこの後の悲劇を想像した観客から悲鳴が漏れた。
「街のど真ん中で戦い合うなんて何してんだか……」
白熱する対決を離れた場所で見物する二人がいた。片方の男が心底呆れ切った声で呟く一方で、もう片方の魔女はハラハラした様子で牛に突進されている総司に声を上げた。
「きゃあああああああ!! 何で避けようとすらせずに正面から受け止める姿勢に入っちゃってんのよー!? 避けて! 総司君避けて!!」
「ヘリオドール、お前も何本気で観戦しているんだ。俺達が見るのはあっちだ、あっち」
逆に総司と戦う召喚獣の方が心配だと召喚師が聞いたら馬鹿にすんなと怒られそうな事を考えるジークフリートの視線の先。そこにはブロッドに肩車してもらい、むさ苦しい男達と共に総司を応援するティターニアがいた。彼女を今すぐ保護しようとはせず、監視に徹しているジークフリートにヘリオドールが苦笑する。
「あんたも甘いわね。姫様を役所に連れて行けば一件落着なのに」
「俺よりも甘いのはソウジの方だろ。姫とこっそり祭巡りしてるとバレたらただじゃ済まないっていうのにな」
「……でも、あんなに楽しそうな姫様を見てるともう少しこの時間を続かせてあげたいっていうか」
姫が応援している少年は猛突進してきた雷牛を正面から受け止め、牛の前足を掴んだまま自分の体をコマのように回転させていた。彼の生まれた世界で言うところのジャイアントスイングである。
牛を召喚した男は正に開いた口が塞がらないと言った状態にあった。雷牛はなすすべなく、振り回されるしかなかった。観客は呆然とするしかなかった。ブロッドと家具職人三人組も流石に戦く。
「お父様ー! どんどん回しちゃってー!!」
唯一、ティターニアだけが拳を空高く上げて喜んでいた。大の男ですら絶句するような衝撃的な光景を楽しんでいる。物凄く楽しんでいる。
ヘリオドールはジークフリートに尋ねた。
「あれ、本当に姫様?」
「……それだけ素になってるって事だろ」
ティターニアの婚約者であるオベロンによると、彼女は控え目で大人しい性格らしいが、もしかしたらあれが本来の姿なのかもしれない。王女という華美で閉鎖的な身分に隠されていただけであり、あんな風に明るい性格で元気良く笑う普通の少女なのでは。
もし、そうだとしたら総司は本当のティターニアを引き出したのだろう。ジークフリートの脳裏に浮かぶのは、結婚相手について相談していたティターニアの寂しさを堪えるような表情。正体を隠すために疑似親子は演じているのだろうが、懐きようは演技ではない気がする。一つの仮説に辿り着くのに時間がかからなかった。
「まさかソウジに……」
「ファッ!?」
ジークフリートの呟きは魔女を激しく動揺させる程の威力があった。隠し子疑惑から脱出出来て安堵した後の新たな問題に、ヘリオドールの顔色が悪くなっていく。
「駄目よ! 相手は姫様よ!? 総司君連れて行かれちゃったら後に王様になっちゃって二度とウルドに帰って来られないって分かってんの!?」
「何でソウジがフレイヤに連れて行かれる事前提なんだ……いや、俺もうちの課の奴らが落ち込むから困るけどな」
「そ、そう! 私も部下がいなくなるのは困るの。それに姫様の片思いかもしれないし、あの馬鹿婚約者の事があるからフレイヤには帰らないで駆け落ち……」
そこでヘリオドールが不自然なレベルで体を強張らせる。この世の全ての不幸を見たような顔をして、同僚の変貌に顔色を悪くするジークフリートに向かってゆっくりと首を横に振った。
「駆け落ち……」
「自分で言っておいて自分で落ち込むとはどういう事……」
ジークフリートが言葉を止め、戦いの場へ目を向けた。その表情は緊張感に満ちており、ヘリオドールは首を傾げた。総司はまだ回り続けている最中で、勝者は既に決まったようなものだった。不安要素はどこにもない。
「ジーク?」
「いや……気のせいだといいんだが」
ようやく総司から解放されてぐったりしている雷牛に涙目の白いフードの召喚師の背後に立つ、黒いフードの男。彼から妖しげな魔力を一瞬だけ感じたように思えた。
「さて、次は俺と勝負してくれないか……?」
二戦目もあっけなく勝利した総司へと歩み寄る黒いフードの男。ゴーレムを一蹴りで沈め、雷牛を振り回した怪力少年に挑むなんて。観客の誰もがそんな事を考える中、男の唇はうっすらと弧を描いていた。
「よろしくお願いします」と丁寧に頭を下げる少年に対して抱く感情は怒り。ただそれだけだ。
自分の獲物であるティターニアを横から奪い取り、今こうして大きく注目を浴びている謎の少年。オーガだけではなく、屈強な男を従えている所を見るとかなりの実力者である事が窺える。
(気に入らねえな……)
自分と同じ上に立つ者。他の組織の計画を丸々潰した責任くらいは取ってもらわなければ困る。ティターニアに企みを気付かれたのは予想外ではあったものの、奴らさえいなければ計画は遂行出来るはずだったのだ。
(ここはボロボロにするまでなぶって大恥を掻かせてやらねえと気が済まねえ)
その後にあの手下達も蹴散らしてティターニアを貰う。残虐な笑みを浮かべながら『漆黒の魔手』のバイドンは舌なめずりをした。




