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伯爵令嬢は普通の幸せを望まない

 後悔はしていない。

 けれど顧みたことがないと言っては嘘になる。

 プロスパシア領にいる母からの手紙を眺めながらため息をついた。



******************************




 仕事が終わり夜勤組に申し送りをする。最近はトラブルというトラブルもなく落ち着いている。帰り際に団長を呼び止めた。



 「来週1週間お休みいただけませんか?」

 「あ? えらく急だな。まあここんとこなんにもねえし、大丈夫だ。どうした? なにかあったか?」

 「ええ、ちょっと実家に戻ります」

 「実家? ああ確かプロスパシア伯爵領か。……そういやあお前伯爵令嬢だもんな。こんなんでも」

 「一言余計です」



 しげしげと団長から見渡され居心地が悪い。そう言われるのは想定内だ。ここの騎士団の中ではもう分隊長、なおかつ唯一の女性ということもあり扱いはもはや男でも女でもない生き物だ。プロスパシア領が田舎ということもあり、私のファミリーネームを聞いても私が伯爵家の者とはあまり知られてない。



 「ここでは爵位も性別も関係ありません。必要なのは武力。そうでしょう?」

 「すっかり脳筋だな」

 「あいにく実家にいたころからです」

 「まあお前全然休みも取ってねえし、たまには帰ってやれよ。とうとう顔見せろって呼び出しでもあったか?」

 「ええ、まあそんな感じです。見合いをしろとのことで」

 「……はぁっ!?」



 団長の熊のような顔が驚愕一色になるのはなかなか見物だった。




***************************************




 見合い、と言っても本気ではない。私にしても手紙を送ってきた母にしても。母はとうの昔に私の孫の顔を見るのは諦めているだろう。こちらからも仕送りはしているし、書籍や都会での流行りの農産物、料理などの情報を提供している。完璧とは言えないが、それなりに貢献はしている。なにより今や王国騎士団の分隊長、中間管理職だ。今更結婚しろだとは言いださない。


 久しぶりに戻ったプロスパシア領の景色は古い記憶のままだった。山は青々と萌え、青い空は遮るものなく高く広い。高台から見下ろせば広がる農地や街を一望することができた。けれど変わったところもある。以前はなかった建物、工場が増え、道は記憶にあるよりずっと整備されている。思わず目を細めた。手紙では領内に新しく学校を作ったと聞いている。

 プロスパシア領は以前と変わらない田舎の領地だ。けれど確実にこの領は豊かになっている。



 「アコニート・プロスパシア、ただいま戻りました」



 屋敷の中に踏み入れるとそこは蜂の巣をついたような騒ぎだった。バタバタと私のもとへと集まり荷物を夜盗のように奪っていく古株のメイド、私の顔も知らない新入りの使用人が首をかしげる。すると今度は奥から姉たちが飛び出してくる。



 「ようやく帰ってきたわね! どう? 街は楽しい? いっぱい本があるんでしょう?」

 「久しぶりアコニート! 元気にしてた?」

 「今窓から見えたわ! あの馬は騎士団の馬? 毛並みがすごくきれいね!」

 「都会でやっていけてる? 騎士団なんて男社会でしょう? いじめられてない? しっかりやれてる?」



 怒涛の質問の嵐に苦笑する。聞くまでもなく姉たちはみな元気そうだった。だが姉たちは嫁いで行って、今家にいるはずなのは一番上の姉と兄たちだけのはずだ。



 「みんな帰ってきてたの?」

 「そうよ! あんたが数年ぶりに帰ってくるっていうから。こんな機会逃したら次に会うのはお互いおばあちゃんになってから、なんてこともありそうなんだもの」



 頬を膨らませる二番目の姉のすぐ後ろには小さな子供がいた。両手で姉のドレスをつかみながら丸い目で私のことを見上げる。私から見て甥にあたるのだろうが、私のことを見るのは初めてだろう。物珍しそうに視線を向けていた。



 「アコニート、お母様とお父様が書斎で待ってるわ。とりあえず挨拶に行ってきなさい。私たちは広間で待ってるから。逃げないでちゃんと話をするのよ?」



 一番目の姉に追いやられながらほとんど身一つで父と母の待つ書斎へ向かう。正直見合いに関しても大して詳しく話を聞いていないのだ。こんなもはやお転婆などという言葉では到底片づけることのできない私を見合いの相手に選ぶのだ、普通の話であるはずがない。




 「あらあらまあまあ! アコニートったらすっかり凛々しくなっちゃって」



 数年ぶりだが母はあまり変わっていない。ニコニコしながらペタペタと私の身体を触る。けがをしていないか、という確認、というよりこれはただ筋肉を触りたいだけだ。触りたければ触ればいい。自慢の身体だ。ふふんと胸を張ってされるがままにされていると黙って座っていた父がため息をついた。記憶にあるよりかは少し老いて、いや疲れているように見える。白髪が増え、眉間には難しそうなしわが深く刻まれていた。



 「お久しぶりです、お父様。ご壮健そうで何よりです」

 「ご壮健なのはお前の方だろうよ。まあ一人で都に飛び出していった割に、うまくやっていけているようでよかった」

 「ええ、都に着いたその日のうちに陛下に拾っていただき、騎士に取り立てていただいたので」

 「お前のその強運は誰に似たんだろうな……」



 確かに都に来たころの私はとにかく幸運だった。都に入ってすぐ陛下に目をかけていただき、ちょうどそのとき陛下が自分の手駒を探していて、さらに騎士団や関係機関の再編を行っていたからこそ、私はあっさりと騎士団に入団できたのだ。本当につきに恵まれていた。



 「それで、今更私に見合いなんてどういう風の吹きまわしです? というよりこんな嫁き遅れの伯爵令嬢になぜそんな話が? 並の男性では到底手に負えないでしょう」

 「自分で言うことじゃないぞ……」

 「自覚があるタイプの脳筋ですので」



 自慢ではないが私の手綱をとれる人間など数えられるほどしかいないだろう。少なくとも見合いの話など持ってくる人間に私を御せるとは思えない。



 「それで私をご所望なのはいったいどこの変わり者です? それとも私を戦力として引き抜きたい私兵持ちのお貴族様ですか?」

 「しいて言うなら後者が近い」

 「それはそれは、転職の予定はありませんよ」

 「相手はスクード辺境伯の次男、バイオネッタ殿」



 私が話をまともに聞かないことなどわかりきっているからか何なのか、私の反応など意にも介さず相手の情報を話していく。



 「バイオネッタ殿はお前より年が5つ上。自軍の将軍を務めている。お前と同じ年のころに王国騎士団に在籍していたらしい。ちょうどお前と入れ替わりでスクード領へ帰ったらしい、それでお前の活躍を聞いてぜひ一度話をしてみたい、といった具合だ」 

 「……それはそれは」



 それだけでは済まなそうな匂いしかしない。しれっと事情を説明した父だが、私の目を見ようとしない。もしこれが事実だとしても、そう思っているのは本人だけだろう。間違いなく。


 プロスパシア家としてはいまだ唯一未婚の結婚適齢期をとうに過ぎた娘を片付けられる。そのうえ相手は国の要の一つといってもいい辺境伯。身分、立場ともに申し分ない。更に言えば普通の貴族ではなく武人かつ王国騎士団OB。これであれば私が納得する可能性があると思ったのかもしれない。


 一方のスクード家としては私より5つ上、はるかに結婚適齢期を過ぎた次男。普通の貴族とは違い武人で、粗忽なのかもしれない。そのせいで貴族の娘からの理解を得られず、結婚ができていない。もしくは本人が棒に振っている。そんなときにかつての同僚経由で武人に対して理解のありそうな未婚の女騎士がいて、次男が興味を持っている、というのを知ってこれなら結婚できるかもと見合いを申し込んだのだろう。没落しかけの伯爵家の末娘、と条件は決して良いといえないが、王国騎士団の役職持ち、それも陛下からの覚えもめでたいとあれば決して不良債権ではない。使い方によってはいくらでも使える。なにより私の知る限り、スクード辺境伯は陛下の王位継承以前より待遇は冷えている。要するに陛下が今は亡き汚職宰相の傀儡をしながら要職たちを解雇していた。スクード辺境伯もそのうちの一人だったのだ。ただ伯の治める領は国境に位置しており、要地であることに変わりはない。



 「思惑が重めですね」

 「重い。だがこの程度の重みなら、お前は自分の意志で蹴散らすだろう。無理強いはせん、というよりお前相手にはできん。閉じ込めて結婚させようにも馬一頭でもいれば王都まで戻るだろう。勘当すると脅してもお前には王都に居場所がある」

 「お父様……」

 「お互いだめでもともと、好きにして構わない。適当に話を聞いて帰すも、昔のように庭で手合わせでもして帰すもお前の自由だ」



 父の集めたらしいバイオネッタ・スクードの情報を書かれた書類を受け取った。

 もう期待などされていない。いや、野放しにしたほうが良い結果を運んでくると期待されているのか。


 ただ、降ってわいた見合いの話は、蓋を開けてみればずいぶんとなんでもないものだった。

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