伯爵令嬢は悪役令嬢の姿を見た 2
春が近づき、街の中にはちらほらと花が咲き始める。ブロスパシア領ではきっと今頃春麦の種まきのために冬麦の犂込みを行っているころだろう。凍てつくような冬が終われば森の中では果実が採れ、動物たちも活発になる。春さえ来れば没落しかけている領も多少なりとも豊かになる。
春の訪れは私にとってとても喜ばしいことで、輝かしいものであった。
ただ一つ気がかりなのは、ここのところ忙しかったせいで揉めに揉めたレオナルドを引っ叩き損ね、問題が今も棚上げの状態にあることだろう。
少しだけぼうっとしながら足を進めた。
「ぐぅっ……嫌だ、嫌だ助けてくれ!」
「何でもする、俺たちは悪くない!」
「来るなっやめろ!」
殴打、殴打、殴打。
生きた状態で連れてこいとの命令のもと、目につくラクスボルン王国の上層部を剣で抵抗の意思がなくなるまで殴り倒す。余計なことを喋らせず、騒がせず、できる限り静かに、外に気取られないよう。血と涙と唾液でぐちゃぐちゃになった顔を見下ろしながら、城の中で最も豪奢であろう部屋へと引きずっていく。
大きな扉を開けるとそこには見慣れたダーゲンヘルムの兵士たちと機嫌のいい陛下、そして既に首のなくなった死体がいくつか転がっていた。噎せ返るような鉄の匂い、床を汚す吐瀉物と血。
「あぁ、まだいたか。アコニート、よくやった」
弓のように弧を描くその口から目を逸らし、男たちを床に並べた。
すすり泣く声、うめき声、誰かを呪う言葉。
その前に佇み赤く染まった剣を持て余す陛下。いつか見た、床に倒れ伏し蠢く宰相のことを思い出した。
ああ、やはりこの方は、”ダーゲンヘルムの怪物”だ。
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悴みそうな手で手綱を握り森を駆け抜ける。積もった雪が月明かりを反射させ、暗いはずの森は仄かに白く光っている。追う先には二人の男。ベージュの外套を着て、こちらを振り返ることなくひたすらに走っている。
いつものように矢を番え放てば一人の背中に刺さる。落馬した仲間に一瞥くれることなく、一心不乱に逃げるもう一人にも弓を引く。片方だけでも逃げきれれば御の字、というつもりなのか知らないが、逃がすつもりなどさらさらない。男の頭上に向けて矢を放つと、枝に重く積もっていた雪が男の上へと落ちる。パニックになった馬に振り落とされ雪の中に放り出される男。
馬から降りて男の様子を見ると、半分凍ったような雪が頭部に直撃したらしく動かない。ひとまず呼吸だけは確認し死んではいないことにため息をついた。このまま放置すればいずれ死ぬだろうが殺すことが目的ではない。外套を引っぺがし荷物を漁る。すると内ポケットから目当てのものが出てきた。巾着を開けると金貨数枚、銀貨数枚出てきた。
”森の王”と称される鹿の被り物をグイとずらし笛を咥える。甲高い音があたりに響き渡る。きっと近くにいる仲間がすぐに来るだろう。それを待つ間に矢を背中に受けながらも這いずり逃げようとする男の方へと戻り、両手を帯びていた剣で突き刺し、あたりに生えている草を千切って即席の猿轡を作る。
「先輩っ、どうされましたか。……これは」
「トーロ、侵入者だよ。こいつと、そこの雪の中に埋もれている奴、二人」
牡牛の被り物をしたトーロに顎で雪の山をさす。戸惑うように雪の中から男を引きずり出した。
「このまま城まで連れて帰る」
「えっ、侵入者はそのまま逃がすんじゃないんですか?」
通常であればそうだ。ダーゲンヘルム王国を囲む森の警備、魑魅魍魎隊はおどろおどろしい怪物の格好をしながらよそ者を追い払いつつ、噂を広めることが主な目的である。そのため基本的に殺したり捕らえたりはしない。
「妙だ。最近あまりにも侵入者が多い。この魑魅魍魎隊が機能していないみたいに」
「いったいなぜ……」
「わからない、だからこそ、彼らに聞くことがある」
指示や命令があったわけではない。ただ私の感覚としてきな臭く感じた。あとのことは帰隊してから考えればいい。
それぞれ一人ずつ男を馬に乗せて城へと向かった。
「牢屋借りますよ、団長」
「アコニート、勝手に連れて帰ってきたのか」
騎士団長からの小言を無視しつつ男二人をトーロと共に牢の中へと放り込む。犯罪の片棒でも担いでしまったというような顔をするトーロを横目に引っぺがした外套と荷物をテーブルの上に放る。
「侵入者は警告だけして開放する、それが隊の規則だ」
「状況が変わってきていたので」
鹿の被り物についた雪を拭きながらテーブルの上の荷物を指す。
「今までの侵入者は一月に2,3人。多くても5人程度。国籍もばらけていました。しかしここ2週間で侵入者は5名。それも発見された場所は西の森、ラクスボルンの人間ばかり。……さすがに異常では?」
彼らの持っていた巾着に入っていた金貨たちはラクスボルン国内で使われている硬貨だった。そのうえ今まで森の中で追い払っていた者のほとんどが隣国の兵士たちで一目でそれとわかる制服を身に着けていた。けれど今回捕まえた男たちはそうではない。
「……迷い込んで来たわけではなく、何らかの意図を持って侵入してきたのか。しかも軍属ではなく雇われか何かだな」
「ええ、であれば脅して返すことはできないでしょう。少なくとも、脅されたところでおとなしく逃げ帰ることはない。目的遂行のために金を受け取っているのでしょう」
「問題は、誰がなんの目的で雇ったか、だ」
融通が利く上話が早くて助かる。
トーロと共に宿舎に戻るよう指示されありがたく先に上がらせてもらう。おそらく団長の方から陛下に報告が行くだろう。
これから二人の男たちへの事情聴取があるだろうが、それは私の仕事じゃない。いつからか私は拷問の任務からは外されていた。陛下に一応上申したが「お前は狩人だからそういうことはしなくていい」と笑われてしまった。間違いなく、陛下の趣味だろう。彼の人は私を狩人として扱うのが好きだ。もちろん、拷問等が好きではない私にとっては渡りに船なのだが。
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数日後私は一人陛下の執務室へと呼び出された。私が部屋につくと既に廊下は人払いがされている。恐る恐る入室すると中には陛下とレオナルドの二人がいた。
「先日西の森で捕らえた男二人が吐いた。二人ともラクスボルンのスパイだった。よくやったアコニート」
口元を歪めて笑う陛下に短く礼を言う。口は笑っているが目が笑っていない。今の陛下は不機嫌だ、とても。どういうことだ、とレオナルドを見るが彼までも深刻な顔をしている。
「あの二人はラクスボルンから秘密裏に雇われていて、ある人間のことを探していた」
「……”ダーゲンヘルムの怪物”、ですか?」
少なくとも今まで見た者たちはそうだった。怪物の噂に怯えながらも、その実態を暴かんとダーゲンヘルムへと近寄ってみせる。しかし陛下は首を横に振る。
「奴らが、ラクスボルンが探していたのはダーゲンヘルムの怪物に殺された、あるいは攫われた一人の娘だ。約一年前、奴らはラクスボルンの罪人を一人、ダーゲンヘルムの西の森に置き去りにした。後日森へ再び訪れたところ姿が見えなかったため殺された、と判断していたが、ここに来て、その罪人が生きているのではないかと考えたらしい。そして生きていればその罪人をラクスボルンへと連れて帰りたい、とのことだ」
まったく愉快なことだ、と笑う彼からは隠すことのない怒気が漏れ出ている。余計なことを口走らないよう口を噤んだ。
「シルフ・ビーベル、いやシルフはもう私のものだ。私が拾った、私が教えた。ラクスボルンはあれを捨てたのだ。もうあれは私のものだ」
それはもはや癇癪に近い。自分の所有物に手を出されることに腸を煮えくり返らせているのだ。単純な感情であるからこそ誰にも止めることができない。
「……どうされるおつもりですか」
「恐怖の象徴である怪物が、なめられっぱなしではいけないだろう?」
口元が弧を描く。あまりの特徴のない顔だからこそ、その上に載せられる感情は際立つ。
たった一人、公爵令嬢とはいえ、たった一人の娘のためにこの怪物の標的にされた隣国のことを哀れに思う。もうあの国に未来はない。ただ怪物に食い荒らされるだけだ。
「いつもこの国に引きこもっているのだ。たまには国外に出てもいいだろう。こうして何人も使者を送ってきているのだからな。こちらからも礼を送らねばなるまい」
レオナルドに潜入要員を見繕うように指示を出す。おそらく、内側から食い破るつもりだろう。そのうえで自身が乗り込んでいくつもりだ。思わずため息をつきたくなる。ダーゲンヘルムは最強だ。ダーゲンヘルム軍の通った場所には何も残らない。けれどダーゲンヘルムの怪物が通った場所には絶望と血の海が残る。彼の人は効率よりも娯楽を優先する。そして彼は”人間”が大好きだ。とても愉快で、滑稽なもの。だから”遊んで”しまう。
ラクスボルンもただ潰されるだけにはとどまらないだろう。
怪物の逆鱗に触れてしまったのだから。
「アコニート、お前を含め魑魅魍魎隊は西の森の侵入者のすべてを捕らえろ。逃げたとしても帰すな。正規軍の者でも変わらない。剥けば潜入に使える」
「……彼女にはもう、伝えたんですか?」
「ああ、ダーゲンヘルムに残る。母国がどうなろうと知ったことではないそうだ」
レオナルドからの質問に一転、楽しそうに言った。その答えを意外に思う。
捨てられていた当初以外に彼女を図書館や街、城の敷地で数度見かけている。大人しそうで、穏やかそうで、暴力とも血なまぐささともまるで縁のない、非力で小さな娘だ。母国には家族もいるだろう、友人もいただろう。にも拘わらずあの娘は一切を放棄した。彼女のことを気に入る陛下のことだ。懇願でもすればいくらでも他に方法があったはずだ。しかし彼女は残酷で冷酷な怪物に母国を預けた。どんな凄惨な目に遭わされるか、想像くらいつくだろうに。
「あれは自らの意思でラクスボルン王国を、過去のすべてを捨てた。であればその期待に応えなければ」
心底楽しいと言わんばかりに的外れなことを言う陛下にそれ以上余計なことは言わなかった。
どんな理由があれラクスボルンがダーゲンヘルムにスパイを送っていたのは事実。決して軽んじられることを許さないダーゲンヘルムとしては制裁を加えるのは当然のことだ。やることは変わらない。
「そう遠くないうちに動く。頭にだけ入れておいてくれ」
承知いたしました、と良い返事し城から出ていく。
積もった雪がサクサクと音を立てる。これから先、どう動いていくか不明瞭で不安だ。間違いなく、ダーゲンヘルムが被害を受けることはない。だが陛下が怒りと興味のままに動いたなら、そこにはいつも悍ましい光景が私を出迎えることとなる。
舐められることは問題だ。けれど決して、国一つ潰すほどのことではない。陛下のお気に入りに手を出した、ただ運が悪かったとしか言えない。
ただこれでシルフ・ビーベルへの疑いはおそらく晴れたと言っていい。帰る国を積極的になくすスパイがいるものか。
ふと前方に淡い色の髪が見えた。水色の傘を差した渦中の娘だ。
肌は雪のように白く、淡い髪は絡まることなど知らないだろう。
「シルフ・ビーベル……」
いたって普通の娘だ。その口が希えばきっと助かる命もあっただろう。けれど彼女はすべてを捨て去った。母国を見捨てる選択を数日前にした彼女は、何も変わることなく図書館で働いている。数多の命を切り捨てたばかりには到底見えない。胡乱げに見つめるが何も見えてはこなかった。
しかし彼女はつるりと雪の上で足を滑らせる。ほとんど反射的に駆け寄り、何とかしりもちをつく前に抱きかかえた。とうの本人は何が起こったのか理解していないようで瞬きをする。
あまりのどんくささにため息が出た。




