第三十二話
「八雲さん、アンタ、だいぶ無理言ってるの分かってるよな」
失神したメイドが担架で運ばれていくのを目の端で捉えながら、老齢の執事、八雲を見る。
「そうですね。だいぶ、無理な提案でしょう」
八雲はピンと背筋を伸ばしたまま、こちらに近づいてくると、胡坐をかいて座り出した八雲。
座ると同時に、ギシリと、木板の軋む音が鳴った。
(俺も座るか)
俺も八雲に倣って胡坐をかいた。
道場に座るなんて何年ぶりだろうか。
懐かしい感覚に、自然と心が落ち着いていく。
「だろ?さっきの仕合といい、無茶ぶりが過ぎるんじゃないか?」
まあ、和んだからと言って、無茶ぶりに対する認識は変わらない。
俺の苛立ちは十人ほどをボコした(最後は八雲が失神させた)のと、ほどよい疲労感でほとんどなくなっている。
アドレナリンもだいぶ抜け、今の俺の思考は平常時に近いものだったが、だからこそ、この無法なやり方には強気な態度は崩すつもりはなかった。
「仕合に関しては、通過儀礼という奴です。ここでやられるような方は、涼葉お嬢様には相応しくありませんので」
「じゃあ、これが本題だったってわけか」
全く面倒くさいことをしてくれるな。
かったるいことこの上ない。
「そうでございます」
「はあ、そうかい。だからって、あんだけの非礼が許されると思ってるのか」
「勿論、思っておりません。アレを持ってきなさい」
八雲の声を聞いた使用人の一人がアタッシュケースを持ってくる。
(金か、金なのか)
非礼を金で詫びる。
まさに資産家らしいと思っていると。
(あれ?違う)
八雲が慎重にアタッシュケースを開け、こちらに中身を見せる。
そこから出てきたのは、札束ではなく、黒い鞘に収められている脇差だった。
「こりゃあ、偉い業物だな」
「ええ、その通りです。この脇差の名は【鬼切】。昔、鬼喰らいと呼ばれた者が実際に鬼を切ることに使っていたとされる妖刀です」
八雲に断りを入れ、刃を見るために少しだけ脇差を抜いた。
僅かに顔を覗かせた刀身は見事という他ないほどに美しく、見るものを魅了させる。
名の知れた刀匠であっても生涯にこれを作れるのか疑問な、今まで見た中でも最高レベルの刀で、妖刀に相応しい逸品だった。
「これをお詫びの品としてお渡しします」
「いいのか?」
強気に出ると思っていたが、これほどの業物を貰うのは気が引ける。
こんなもの一千万は優に超える値が付くものだ。
本来であれば、今の俺には触れることすら、おこがましい。
「あれほど無様にやられておいて、何もお渡ししないのは流石に失礼すぎます」
「できれば、最初からあんなことは止めて欲しいが」
「ご勘弁を」
俺は脇差をアタッシュケースに戻すと、ゆっくりと閉じて留め具を止め直す。
「分かった、これは受け取っておく。それで、本題に戻るが、なんで俺が選ばれたんだ?」
先程の脇差をポンと渡せるほどの人物の娘だ。
婿入りしたい男など腐るほどいるだろうし、相応しい男も探せば簡単に見つかるだろう。
わざわざ、俺である必要もないだろうに。
それを伝えると、八雲は真剣な表情を浮かべて口を開いた。
「貴方が涼葉お嬢様の好いている御方だからです」
(それか)
もっと何か深い理由があるかと思ったのだが。
「そうかい」
「おや、意外と驚きませんね。もっと派手な反応を予想していたのですが」
「いや、アイツがどういった方向の感情かは分からないが、好かれているもしくは、尊敬されているというのは感じていたよ。その想いが恋とか愛かどうかは分からないがな」
それを八雲に伝えると、ふむと顎に手を当て、考え込む。
「それほどまでに気づいておきながら手を出していない。澄原様はやっぱり私が殺すべきでは」
詫びの品を渡した直後に、物騒な発言をする八雲。
相変わらず、よく分からない男だ。
さっきまで謝意の念がこもっていたのに、直ぐに殺意を見せる。
「いや、どうしてそうなるんだよ」
俺は八雲から距離を取りながら言う。
勿論、鬼切は手元に寄せていた。
「冗談です。ただ、気になるのはそこまで気づいておきながら、何故手を出さないのか、です。初心な涼葉お嬢様なんて、ディナーにでも誘えばイチコロでしょうに」
「アンタ、誰の味方なんだよ」
「勿論、涼葉様の味方でございます」
俺の突っ込みに、さも当然のように答える八雲。
飄々とした八雲の様子に、俺は深々と溜息を吐くのであった。
読んでいただき、ありがとうございます!
日間ジャンル別で5位になりました!
ありがとうございます!




