第二十九話
あれから何日か経ち、川崎の実家へと行く日がやって来た。
既に仕事を終えていた俺は、ビルの一階にある自動販売機で缶コーヒーを買っている。
普段は節制のためと買わないのだが、今日は無性にこの甘ったるいコーヒーを飲みたくなったのだ。
今回は電子マネーで支払うのではなく、必要分の硬貨を入れると、飲もうと思っている缶コーヒーのボタンを押す。
ガコンという音とともに、缶コーヒーが取り出し口に落ちてきた。
(俺が怪異との混血)
あの日、アスカはこう続けた。
『もう一度言うけど、貴方は混血なのよ。どの怪異かは分からなかったけど、純粋な人ではないことだけは確かだわ』
と。
(それってあれだろ、俺の血は妖怪と人が混じってるってことだよな)
はは、冗談キツイわ。
俺は缶コーヒーを取り出すと、すぐさま飲み口を開け、ごくごくと飲んでいく。
(流石缶コーヒー、びっくりするぐらいの甘さだな)
砂糖の溶け込んだコーヒーが喉を通っていく。
胃もたれしそうな甘さだが、今はこの甘さが心地よかった。
「ふう」
飲みかけの缶コーヒーを近くに置いた俺は、あまりの甘さに目を細めつつ、口に溜まった息を吐き出すと、ボーっと視線を宙に彷徨わせる。
今は会社の前である人物を待っている最中であった。
「お待たせしました」
照れた調子で話しかけてきた女性社員。
顔立ちは整っており、普段かけている眼鏡を外した顔は、見ればどこか幼さが残るものの美人顔だと分かることだろう。
彼女こそ、俺が待っていた人物であり、家へと招待してきた人物の娘。
川崎涼葉だ。
実は彼女の仕事が少し長引いていたので、俺は一足先にビルの一階で待っていたのである。
「ホントにスーツのままでいいのか」
実家の方からはスーツのまま来てほしいとのことで、川崎も俺もスーツのままだ。
俺としては、ちゃんとした服など碌なのしか持っていないので、スーツの方が気楽ではあるのだが。
(刀がないんだよな)
スーツ姿で帯刀するのは流石に、アウトだ。
現代のSPは拳銃ではなく刀などの近接用の武器を持っていることもあるが、不審な目で見られることは間違いない。
(あるのは胸ポケットに、黒ボールペン一本だけか)
ボールペンって武器ですらないよな。
こんなのは装備とは言えず、ほぼ丸腰同然である。
「あの広場で待っていればいいんだよな」
「はい」
会社の近くに待ち合わせ場所として有名な広場があり、そこに行くように指示されていた俺たちは、ビルを出ると二人で横並びになりながら、広場へ向かっていく。
十分ほど歩き、目的地である広場に着くと、そこにはいつも通り大勢の人で賑わっていたが、一際おかしな集団が目に入る。
(あれは目立ちすぎだろ)
外見から分かるほどに鍛え抜かれている大柄な男が黒服を纏った状態で三人ほど立っていて、その傍には真っ黒に塗りつぶされた高級車が二台、停まっていた。
「あれか?」
俺が親指で指し示すと、川崎は顔を下に向けながらゆっくりと頷く。
「はい、まさか、こんなに目立ってるなんて」
どうみても異様な雰囲気を纏っているので、広場に来ている他の人たちも流石に車の周囲にはいない。
その様子から周りの人が黒服たちを避けているのが分かる。
(まあ、恥ずかしいわな)
今から、そんなところに行かなければならないのだ。
川崎が羞恥心を先取りしていても、おかしくはない。
内心溜息を吐きながら俺と川崎は黒塗りの高級車に近づいていく。
好奇の視線に晒されながら、俺たちが車の目の前まで行くと、中から一人の男が出てきた。
(ハハ)
心の中で乾ききった笑い声が零れる。
目の前に現れた。それだけのことで、俺の背中では滝のような汗が流れている。
(やっべ)
中に着ていた肌着がぐっしょりと濡れる。
ふと黒服たちを見ると、彼らも緊張しているのが分かった。
コイツらの練度もなかなかのものだが、目の前にいる燕服を着た男は別格だ。
武器を何も携帯していないが、前に戦った魔人よりも強い。
「お待ちしておりました、涼葉お嬢様、澄原様。私、川崎家で執事をしております。八雲と申します」
ニッコリと笑みを浮かべる燕服の男。
髭はきれいに剃られており、清潔感のある男だが、その瞳の奥の奥を見れば、そこはどんよりと濁っているのが分かってしまう。
年齢は若くも見えるし、老齢にも見える。
黒髪黒目で日本人であることは確かなのだが、どこか認識すること自体を拒ませるような、よく分からない男だった。
「お二方とも、どうぞこちらへ」
男が満面の笑みで、車のドアを開けるが、俺にはそこが地獄への入り口に思えてならなかった。
読んでいただき、ありがとうございます。




