第十ニ話
家のルール作りでひと悶着あったものの、特にアクシデントはなく、一日を終えることができた。
そして、次の日。
(だるいなぁ)
電車に揺られながら、のんびりとスマホを見る。
現在、俺は会社員としての仕事をこなすため、いつも使っている時間帯の電車に乗っていた。
いつも通りの空き具合を眺めながら、ボーっとする。
(ま、そうそう変わらんわな)
アスカと契約を結んで、生活がいきなり変化するわけでもない。
変えていくのはあくまで、これからである。
これからは探索者としての経験値をどんどん積んで、更に上を目指すのだ。
(すげえ)
ボーっとしながら見ていた記事なのだが、日本トップの探索者法人である【日本ダンジョン戦線】が世界最高到達階層である六十八階層を更新して六十九階層に到達したそうだ。
これは五年間破られていなかった記録で、記事から伝わる称えようから、その熱量が窺える。
(しかも知っている奴いるし)
そのメンバーの中には当時の同級生の名前もあった。
(錦夏葉か)
確か、俺が転学するまで総合成績学年二位の生徒だったはずだ。
槍の扱いが上手く、何度か仕合をしたこともある。
(俺も頑張らなきゃな)
前であれば、こんな記事を見つけても読むことすらしなかったが、むしろ勇気を貰っているような気がする。
これだけでも、今の自分がかつての自分とは別物であることが分かった。
(さっさと降りますか)
早めに席を立つと、電車の扉の前に向かう。
いつも通りの日常の始まりだ。
♦♢♦♢♦
「おはようございます」
他の社員に挨拶をしてから、席に着く。
いつも通りノートパソコンを開き、残っていた仕事を再開する。
我々のような探索者を兼業にしている社員には大した仕事は回されない。
簡単な書類の作成や雑事がほとんどであり、そこまで急ぐ必要が無いため、ゆったりと仕事を進められる。
「おはようございます」
俺が資料作成を始めたタイミングで、控えめな女性の声が響いた。
ちらりと横目を向けると、若い女性社員が他の社員に挨拶をしている。
そうして他の社員への挨拶を終え、女性社員は俺の隣の席に座った。
「おはようございます、澄原さん」
笑顔を浮かべながら挨拶をしてきたのは、後輩である川崎涼葉であった。
入社当初は普段は眼鏡を外せばかなりの美人と、うちの男衆の間で話題になっていた子だ。
彼女は大学を卒業後、この会社に入って五年間辞めることなく勤め続けているため、時々仕事のやり方を教えたこともある。
「おはよう、川崎さん」
だが、俺と川崎さんの間に特別な関係性はない。
挨拶をされれば、挨拶を返すし、ちょっとしたことの相談に乗ったりもする。
その程度の関係だ。
仕事中に話をする仲でもないため、これでやり取りは終わり、そのまま仕事を再開するはずだった。
「澄原さんって探索者をしてらっしゃるんですよね」
「はい、そうですけど」
驚きが顔に出てこないよう、必死に抑える。
どうした?お前はそんな無駄話をする奴ではないだろう?
「実は私も探索者を始めようかな、と思っていまして」
「おお、そうなのか」
てか、まだ経験してなかったのか。
それがむしろ意外である。
「それで、昼食の時にちょっとアドバイスを教えていただければと」
ああ、そういうことか。
探索者をしている社員は多いが、全員がしているわけでもないし、登録はしているがダンジョンにはほとんど行かない者も、中にはいるだろう。
探索者よりも会社員として働くことを基本にしている者も一定数いる中、俺はどちらかと言えば探索者として働くことを重視している方で、その話をした記憶はあった。
なので、そういった人間にアドバイスを求めること自体は、別におかしなことではない。
(仕事中に私語をするな、なんて今の時代言わないしな)
そんなのは昔の話だ。
会社員としての仕事がそこまで重要でない今、そこまで厳粛に働いている者など、ほとんどいない。
「いいぞ。俺でも、簡単なアドバイスぐらいはできるだろう」
未だDランク探索者でしかない俺だが、見てきたものはそれなりに多い。
後輩が死ににくくする程度のことは教えられるだろう。
「では、また昼食の時に」
それっきり、川崎さんは喋らなくなった。
黙ってパソコンに文字を打ち続けている。
(俺も仕事しますか)
それから昼頃まで、俺はひたすら資料作成に励み続けるのであった。
読んでいただき、ありがとうございます。




