第9話 「それに、変な服着てるし」
「わ……、わたしの名前はミスト」
喉の奥から絞り出すように、彼女は教えてくれた。上体は少し前傾し、腕はハの字にまっすぐ伸びている。固く握られている拳は、少し震えているように見える。言われたことを信じてしまう俺ではあるが、それでも今回は本当の名を教えてくれていることがわかる。
「教えてくれてありがとう。ミストか、いい名前だね」
今回は笑顔を貼り付ける必要はなかった。
俺の返答を聞いた彼女は、心から安堵したように長い息を吐く。出来の悪いロボットの如く固くなっていた彼女の体も柔らかさを取り戻していく。
「……ありがとう。……でも、『いい名前だね』って、……毎回言うのね」
息を吐き出しながら、同時に言葉も吐き出している。
吐き出した彼女に対して、俺の方は息が詰まっていた。
嵌められた! 名前を聞くたびに褒めていたから、社交辞令をばら撒く軽い男だと思われてしまう。いや、だって短時間に3回も名前を訊くことになるとは予想できないじゃん。
それでも、少しずつ上げてきた好感度を、ここで落とすわけにはいかない。せっかく名前まで読んでもらえたのに。切り替えろ、俺。逆境こそが男を磨くものだ。ピカピカに磨いてやるぜ!
「君の言う通り、確かに俺は3回とも名前を褒めた。でも、なにもおかしいことはない。むしろ当然のことなんだ。それぞれ違う名前があって、それぞれが素晴らしい。だから、どんな名前も素晴らしい。『みんなちがって、みんないい』んだ」
俺は、ボディランゲージもまじえて、どこぞの国の大統領顔負けの演説をしてみせた。たった一人の観衆のために。いや、自分自身のために。
「そうね。その通りだわ。『みんなちがって、みんないい』……、素敵な考え方ね」
彼女の声のトーンが少し上がった。
――よしっ! 最適解を導き出せた! これがいわゆる「転生前の知識で無双する」ってやつか。ようやく俺も、異世界転生らしいことができたな。無双ってるな。次はナデポ(頭部に触れ、脳に直接催眠をかけること)、また俺なにかやっちゃいましたか(客観的視点の欠如)、やれやれ(自分を絶対神と錯覚し、他人を蔑むこと)するか。
「…………」
我に返ったところで、胸がチクチク痛む。無垢な少女を騙すのはやめようと心に誓った。
「ちなみに、ミストは何歳なの?」
発言した時、今痛んだばかりの心が温かくなる。初めて彼女の本当の名前を呼んだからだろう。今まで当たり前にできていたことが、できなくなった。行動の一つ一つが、状況や環境による一定の信頼の上に成り立っていたことを思い知らされる。
そして、俺にとっては彼女はまだ住所不定年齢不詳だった。地球においては、一緒に歩いていたら職質を受けそうなサイズ感。年齢によって、行動や話題のチョイスも変わってくる。
「たぶん……、20代前半くらい。20歳を超えているのは間違いないと思う。ごめんなさい、正確にはわからないの」
彼女は少し考えた後に、自信がなさそうに答える。
「なるほど。俺が知っている年齢換算と同じなのかわからないんだけど、君が言う20歳って成人済み? まだ成長中?」
「成人済みね。もうこれ以上は大きくならないわ」
彼女の声色に少し影が落ちる。
おそらく、俺の質問の意図を理解したのだろう。要するに「小さいけど、大人なの?」という意図が。でも、体の大きさなんて個人差があるし、種族による違いもあるかもしれない。そんなに気にすることではない気もするが。
「一年で一歳で、一年は365日。四年に一度366日であってる?」
彼女はこくりと頷く。
同じかあ。でもこればかりはわからないな。言葉が通じていることもそうだけど、色々と帳尻が合わされて翻訳されている可能性もあるからな。
それにしても、少女だと思っていた彼女は少女ではなかった。口調からして薄々感付いてはいたけれど。だが、全く、これっぽっちも残念ではない。俺はどちらかといえば年上好きだ。年上の包容力に癒されたい派だ。
今日は、というか今回はこのへんにしておこう。名前と年齢、二つも教えてもらえたのだから。
彼女は質問に答えてくれたが、自ら話そうとはしていない。自分のことを知ってもらいたいと思えるほどには、俺の好感度はまだ上がっていないということだろう。好感度が上がったからといって、いや、上がったからこそ知られたくないことだってあるだろうし。できるだけ自発的に話してくれるのを待ちたい。
「そういえば、なんで名前を教えてくれなかったの?」
「もし、わたしの名前と容貌で捕獲依頼が出回っていたら、教えることで狙われるかもしれないと思ったから。顔も見られてしまったし」
「なるほど」
「それに、変な服着てるし」
「……なるほど」
捕獲依頼? なんか狙われる心当たりでもあるのか? でも、そういうことなら、彼女の警戒心の強さには納得がいく。というか、この世界には彼女を捕獲できるほどの強者がたくさんいるのか。それなら俺なんか無双どころか、有象無象にすらなれないぞ。
服は……、しょうがないだろ。異世界転生なんだし。この世界の人から見た俺の服装って、俺がパリコレを見た時の感想と同じなのだろうか。
しばらく話し込んでいる間に、太陽(仮)の位置が少し低くなったような気がする。
日が落ちる前に解決するためにはそろそろ動き出さなければ、などと考えていると、彼女が口を開いた。
「わたしは極力手を貸さない。そのつもりであの村に向かってね」
てっきり協力してくれると思っていた俺は、彼女を見据えて理由の説明を待つ。
「あなたはこの世界で『人を助ける』って言ったでしょ? 人を助けるためには、前提として、自分のことは自分で助けられないといけない。そうでなければ、あなたは『助けられる側』であって、『助ける側』にはなれないわ」
彼女の言う通りだ。彼女もあの村に向かうとわかった時から、俺は彼女の助力を期待していた。はなから自分も「助けられる側」にまわっていた。あの村を助けたいと言ったのは俺なのに。
「だから、一人で頑張ってみて。本当に危なくなったら、わたしも動くかもしれないけれど、動かないかもしれない。あてにしては駄目。それに、わたしは失敗した方がいいと思ってる。そしてあなたは、今後は危ないことはやめて、平穏に暮らす道を選ぶ。できないことをやろうとしなくても、わたしはいいと思う」
淡々とした口調でも、俺の身を案じてくれていることがわかる。
「わかった。俺が一人でやるよ。できないと思ったことでも、やってみたらできることもあるからね」
二回目の命が惜しくないわけではないが、二回目だからこそ、危ない橋を渡る義務がある。そもそも一回目を自分で捨てた俺だ。命捨てる童貞ではない俺は強い。
「それじゃ、行こうか」
軽快に歩き出す俺に対して、足取りがやや重く、腹をさすっている彼女の姿が少し気になった。




