第40話 「随分と安い命だな」
「ちっ。汚いガキどもだ」
何も考えてはいなかった。
何かを考える前に体が動いていた。
馬にまたがった男の足を掴み、全体重を込めて引きずり下ろす。
振り子のように振られた男の体は、そのまま地面へと叩きつけられる。
耳障りな金属音が響く。
体を打ち付けた男は苦悶の表情を浮かべながら、いうことを聞かない体を必死で起こそうとする。
それを許さないように、俺は男に馬乗りになり、拳を振り上げる。
「待て!」
びりびりと空気の振動が伝わるような怒号。
その場のすべてが固まる。
それでも俺の拳は標的を見失っていない。
馬から降りた口ひげが、ガシャガシャと音を立てながら近づいてくる。
時間の止まった空間で、一人だけ、動くことを許されているようだ。
「その拳を振り下ろせば、私はお前の首を刎ねることになる」
間合いに入った口ひげは、剣の柄に手をかけて言う。
「残念なことに、今俺が死んだとしても、この世界に泣く人はいない。でも、今こいつを殴っておけば、今後泣く人が減るかもしれない」
俺の下にいる男は、醜悪な顔で憎悪の視線を送ってくる。
「なんで俺が、こんなやつに」とでも言いたげだ。
「こんなことに賭けるとは、随分と安い命だな」
口ひげは挑発か説得か、どっちともとれる言葉を掛けてけてくる。
「俺の命を安く見積もっているのはお前だろ。こんなことで首を刎ねようとしてるんだから」
俺は下から向けられている憎悪に憎悪で対抗しながら言う。
それにつられて語気も強まる。
「いや、違うな。私は法を重んじているだけだ。法が平民の命を軽んじていることは否定はしないがな」
俺とは対照的に、わざと感情を省いたような口調で言う。
――そりゃあ、自分たちが優遇されている法なら、喜んで重んじるだろうよ。
「あと勘違いしてるようだから言っておくが、俺は自分の命をそんなに軽く見積もっていない。命は通常ひとつだ。それなりに大事だ。だけど、それ以上にこいつの言動が重いって言ってんだよ」
口ひげは、はあ、と呆れたように嘆息を漏らす。
「少しは冷静になれ。もし、ここでお前の首を刎ねたら、同行者の子供たちにも何らかの罰が下る可能性がある。それでもいいのか?」
俺は下の男から目を離していない。
しかし、先程まで憎悪に溢れていた男の表情は、いつの間にか不敵な笑みへと変わっていた。
――こいつを殴ったら、その後、子供たちは何をされるかわからない。口ひげはあくまで法による罰のことを言ったのだろうが、こいつなら法外でも何かするだろう。
俺は腹の中に熱いものを残したまま、男の上から腰を浮かす。
この瞬間を待っていたとばかりに、男は俺の下から体を抜いて立ち上がり、剣の柄に手を掛ける。
「待て!」
再びの怒号。再びの硬直。
声に加え、手を男に向け静止を指示する口ひげ。
「さすがに、不問というわけにはいかないがな」
そう言いながら、ガシャガシャと近づいてくる。
柄からは手が離れており、通常の歩行で距離を詰めてくる。
1メートルほどまで来ると、俺と向き合うかたちで止まる。
視線を交わすが、その感情は見て取れない。
おじさんと見つめ合うとか気持ち悪いな、などと考えていたところ、俺の心が盗み見られたのか、何の前触れもなく口ひげの拳が俺の頬を捉える。
頭が取れたのではないかというほどの衝撃。
殴られた頬に引っ張られるようにして、倒れ込む。
脳まで届いた衝撃が視界をぶれさす。
口内には鉄の味が広がる。
「今回のことはこれで終いだ。それでいいな」
口ひげは言いながら男を見やる。
その言葉は可否を確認しているのではなく、決定事項の通達だ。
「はい……」
男は明らかに腹落ちしない様子であったが、一応の承諾をした。
そもそも承諾する以外の選択肢はなかったであろう。
返事は聞くまでもないといった感じで、男が言葉を発する前に、すでにこちらに向かって来ていた口ひげが傍で腰を下ろす。
「賢明な判断だったな。子供の前で首を刎ねることにならなくてよかった」
俺のことを殴った記憶はもうないのか、随分と快活に話しかけてくる。
「寛大な処分、痛み入ります」
俺は言葉と矛盾する目付きで言う。
その表情を見た口ひげは、またもや豪快に笑う。
「そりゃあ、思いっきり殴られたんだから、そんな顔にもなるだろう。こっちとしては、このぐらいで済ませたんだから、心からの感謝がほしいがな」
――そんぐらいわかってるわ! でも実際に現在進行形で痛いんだから、腹だって立つわ!
「私は、お前がやったことは倫理的には正しい行動だったと思う。だがな、法には背いている。立場が違うからだ。もし、お前とあの男の立場が逆だったら、お前の行動は正義として讃えられただろう。この国においては、それだけ立場というものは重要なのだ」
口ひげの目は俺を写しているはずなのに、俺ではなく他の何かを見ているようだった。
「だから、もし、お前が自分の行動が正しいと主張したいなら、正しいと評価されたいなら、這い上がることだな。力でも金でもなんでもいい。何かで他者を圧倒しろ。そうすれば、おのずと立場はついてくる」
口ひげは騒がしく甲冑を鳴らして立ち上がる。
「手っ取り早いのは勇者になることだな。あれは身分も関係ないから、力さえあればなれる。魔王なんて倒した日には、国王以外の人間なら好きにできるぞ。まあ、私に殴られたくらいで地面を這いつくばっているようでは無理か」
また笑い出したかと思ったら、何かを思い出したように止まる。
「そういえばバスクを倒した二人組がいるらしい。そいつらであれば、勇者にもすぐなれるだろうな」
どうやら俺が弱すぎて、ばれていないらしい。
最初に会ったときも俺一人だったしな。
面倒くさそうだし、どうせ信じてもらえないので言わないことにする。
「では、また、いつかどこかで会おう」
抽象に抽象を重ねた言葉を残して、口ひげは去っていく。
馬から引きずり下ろした男も、ぎこちない動きで馬に乗り、続いていった。
騎士たちが見えなくなると、おそるおそるといった感じで子供たちが寄ってくる。
みんな俺の頬に目をやり、心配そうな表情だ。
――くう。優しさが目にしみるぜ。
ミストといい、ライスといい、俺の近くにいるやつは冷たい、触ると低温やけどしそうなやつばっかだ。
それに比べて、子供たちは天使だ。ちゃんと心配してくれてる。人の温かみを持っている。あいつらに爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。
優しさには優しさで応えなければ!
何事もなかったかのように立ち上がり、服の砂を払う。
「あーあ、わざとやられてやるのも大変だぜ。もし俺が手を出したら、あいつら跡形もなく蒸発しちゃうからなー。強すぎるってのも辛いな」
そう言って、おんぶの体勢にしゃがむ。
背中に乗る替わりに、四人の手が俺の肩に添えられた。
最近の子供は賢いんだなと思った。




