第4話 「『たぬき』なんて名前の人いるわけないでしょう」
衝撃的な光景に俺は目を丸くする。これでもかってくらい丸くする。
目の前まで距離を詰めてきていたアニキが、くの字に折りたたまれている。
その支点には彼女の拳がある。
俺の傍らにいた彼女はアニキの突進に対して、それを上回るスピードで懐に入り、腹に拳を叩き込んだのだ。
さっきの俺を救ってくれた動きもそうだが、とても人間が出せる速さではない。
この世界の人間は身体能力が高いのか? もしくはゲーム等でおなじみのスキルや魔法の類なのか、はたまた彼女がイレギュラーなのか。俺はこの世界で生きていくことに自信を失いつつある。
彼女の拳から、のびきったそれがずれ落ちていく。どさっと地面に落ちた後はその体制のまま固まっている。完全に意識を失っているようだ。
地面に尻をつけたままで固まっている俺もたいして変わらないが。
彼女は殴った拳を気にするようにさすった。
その時、一連の動きでかぶりが浅くなっていたフードが最後のつっかえを失くし外れかける。常に冷静であった彼女が異常に慌ててフード引っ張る。握った部分が鋭い弧を描くほど強く。
一瞬の隙だった。
それでも戦い慣れているものは見逃さない。
いつの間にか接近していた大男がすでに振りかぶっている。彼女は勢いで深くかぶり過ぎたフードと動揺で、物理的、心理的に二重の死角を作ってしまった。
「惜しかったなあ! 相手が一人だったらお前の勝ちだったなあ!」
アニキの言う通りこいつは馬鹿だった。黙って振り下ろしていれば間に合わなかった。
俺のタックルが大男にとどいた。
大男でも不意を衝かれれば、俺のタックルごときでも地面に押し倒すくらいはできる。選択としては最善だっただろう。武術の心得のない素人が勢いに任せて放った拳など、博打にも程がある。
不意でなければ力の差は歴然だ。
尻もちをついた大男はすぐに俺を剥がして立ち上がる。いや、投げ飛ばす。勢いよく投げ出された俺は受け身をうまくとれるはずもなく、地面に背中を打ち付ける。衝撃で呼吸ができなくなる。
中学の授業でやった柔道の受け身なんて、なんの意味もなかったことを身をもって実感した。
「くそがっ! 何もできねえやつは大人しく地面と仲良くして――
最後まで言い終わる前に彼女のブーツが大男の顔面をとらえる。
顔面にとどかせるために舞った彼女は、鞭のように足をしならせて大男を地面に叩きつける。鈍い音とともに足元まで衝撃が伝わった気がする。
無残に転がる二体。きちんとフードをかぶって立っている小動物。尻をつき、後ろに手をつくことによりかろうじて上体を起こしている俺。
突如暴力に訴えてくる輩。人智を超えた運動能力。俺がいた世界とは別の世界、異世界であることはもう疑いようがなかった。
別にショックはない。もとより自分で見切りをつけた世界だ。未練のひとつもない。
少し風がでてきたようで、静寂だった森に葉の擦れる音が加わっている。
彼女は背を向けたまま動かない。
何を考えているのだろうか。
それを推し量ることができるほど彼女のことを理解していない。それどころか彼女のことはほぼ何も知らない。
この状況での第一声を探していると、予想外に彼女が先に口を開いた。
「あなたは何を考えているの!」
今までは聞き取ることに労力を要するほどの声量だった彼女が、叫ぶように言った。
「見た目ですぐに悪い人だって、少なくとも親切な行動をするような人ではないってわかるでしょう! それなのにあんな嘘を何の疑いもなく信じて! わたしがいなかったら、わたしが彼らより強く、速くなかったら、あなたは捕まっていた。打ちどころが悪ければ死んでいたわ!」
彼女は肩を震わせている。
「大きな人から守ってくれたことには感謝してる。結果的にみればあなたの行動が功を奏したし、あれがなければどうなっていたかわからない。それでもとても危険だったわ。あなたはたぶん、あんまり強くないでしょう? 相手は明らかにあなたより強かった。失敗する可能性の方がうんと高かったはずだわ」
「ごめんなさい」
一言発するので精一杯だった。
彼女の言う通りだ。何一つ間違ったことは言っていない。
自分の行動を思い出し慙愧の念に駆られる。
そして直感的に思った、この子は良い子なのだと。
彼女は憤慨している。
それ自体は至って普通の反応だが、俺が自身の命を危険にさらす行動をしたことに怒っているのだ。
さっきの状況は俺がいなければ闘わずに済んだだろう。
俺がいて、下手な行動を起こしたせいで彼女はお荷物を背負ったまま闘わざるを得なくなった。
俺は彼女がいてくれたおかげで助かったが、彼女は俺がいたせいでリスクを負った。相手の力量もわからない状態で、だ。
彼女は強かった、彼らよりも。
それは結果論であり、相手の力量もわからずに闘うということは恐怖を覚えたに違いない。
たとえ彼女がどんなに強者であったとしても。
それに彼女は俺を見捨てれば、いつでも容易に逃げ出せたはずだ。
最初に何かが来るとわかった時、逃げるとしたらあの時が最善だったはずだ。
何が来るかわからない。自分より強い相手かもしれない。自分より弱い相手だとしても無傷で勝てる保証はない。リスクを最小限に抑えるのであれば、まだ相手と距離があったあのタイミングがベストだったはずだ。
でもそうしなかった。出会ったばかりの、会話すらもほとんどしていない俺のために逃げないことを選択してくれたのだ。
あと、こんな状況で考えることではないのだけれど、彼女はきっと人とのコミュニケーションが苦手だ。
出会ってからさっきまでの言動、今のように感情が一定水準を超えると堰を切ったように流暢に話し出す感じ。
あと視線がまったく交わらない。いわゆるコミュ症ってやつだなと、ふと思う。だからなんだという話なのだが。
一旦堰を切った彼女は、まだ止まらなかった。
「だいたい最初からあなたはそうだったわ。わたしの耳見たでしょ? それなのに、わたしがエルフじゃないって言ったら信じるし。あと名前もそうよ。「たぬき」なんて名前の人いるわけないでしょう。確かにたぬきはもふもふで可愛いけど、動物の名前を人につけないでしょ」
――ああ、やっぱりか。
今までちょくちょく違和感があったことへの答えがでた。状況が目まぐるしく変化するなかで隅っこに追いやり、覚えては忘れていた違和感。あとたぬきに関しては、俺が知っているたぬきと同一か不明だったからと言い訳したい。
「そのことなんだけどさ……」




