第37話 「びっくりしてんのはこっちだよ!」
振り降ろされる白金の刃。
踏み込んだハゲの前足は、既に俺の足先まで届いている。
反射的に体が後ろに下がる。
反射は足までは動かしてくれず、足を支点に倒れていく。
だが、もう遅すぎる。
糸で繋がれたように俺の体へと向かう剣身は、倒れ込むより早く到達してしまうだろう。
これから切られようというのに、俺はあくまで傍観者だった。
近づいてくるそれを、ただただ見ていることしかできない。
汚いことに使ってきたであろう、その剣身は、ひにくにも眩く白銀に輝いている。
あと50センチ、40センチ、30――。
視界を無にするほどの光量でネックレスが発光する。
次の瞬間、カキンという金属同士が接触するような音と同時に、振り下ろされていた剣がはじかれる。
赤みを帯びた光の壁が、緩やかな弧を描くように俺を覆っていた。
視認できたのはほんのわずかな時間で、凝視する暇もなく、余韻を残さず消えてしまった。消えると同時にネックレスの石が断末魔を上げて砕け散る。
ハゲは、はじかれた反動でよろめき数歩下がる。
目の前で起きた状況が理解できていないようで、俺が金貨を渡した時と同じ表情をしている。剣は辛うじて掴んでいるが、剣先は床に着き、構えもとらずに立ち尽くしている。
俺はそのまま後ろに尻もちをついた状態で、遺憾にもハゲと同じ表情をしていた。
しばしの沈黙が訪れる。
沈黙が破られる前に、影が俺を乗り越えていく。
遅れて頭上に風が通り抜ける。
ミサイルのように飛んでいったミストの足が、ハゲの腹に突き刺さる。
次の瞬間、はじかれたハゲは派手な音を立てながらデスクを破壊し、セルドを圧し潰した。
再びの静寂。
俺の髪は落ち着きを取り戻したが、彼女のマントはまだ揺蕩っている。
呼吸することを思い出し、ぷはー、と息を吐く。
「ありがとう、ミスト。助かったよ。けがはない?」
立ち上がって、尻を払う。
「うん。けがはないわ。あなたは?」
振り返り、淡々と答える彼女。
呼吸一つ乱れていない。
それどころか、たいしたことは何もなかったかのように、「今日の夕飯何?」と同じテンションで聞いてくる。
――俺も負けていられないな!
「けが? おいおい、誰にものを聞いてるんだ? そんな、まさか、俺がけがなんてするわけないだろう? ハゲペアを指先ひとつでダウンさせる寸前だったよ!」
俺は、いつ攣ってもおかしくない、ぷるぷる震える足に鞭を打って見栄を張る。
男には、無理をしてでも張らなければならない見栄があるのだ。
「足、どうかした? 震えてる」
既にばれていた。
――勘のいい金髪は嫌いだよ!
「ああ、気づいちゃった? これは武者震いをストックしておいたやつ。さっきのハゲとの戦闘前に出そうだったから溜めておいた。武者震いとか自分で言うと強者風を吹かせるみたいだから黙ってたんだ」
「ふーん。尻もちもついてたわ」
「…………」
――いつからだ。いつからこんなにも俺のことを責めるようになった?
最初はあんなに純粋だったのに。俺は何一つ悪いことしてないのに。
膝に手を着いた俺の頭を、槌で打つような言葉がかけられる。
「シリモチツキタロ」
◇◇◇
「これ、なんですか!」
ライスは血相を変えて両手でテーブルを叩く。
木材を叩く音とともに、カシャっと金属が擦れる音がする。
ライスの店の居住スペース。セルド商会に行く前と同じ位置関係でテーブルを囲む俺たち。
立ち上がった彼女は目を白黒させている。
「なにが?」
彼女の剣幕に対し、どこ吹く風という態度で返す。
「あのですね、とぼけて意味のある状況と、そうでない状況があるんですよ! 見てください! いや、見るまでもない! 目を開けていれば視界に入ってるでしょう! この部屋中に置かれた金貨や宝飾品!」
そう。彼女の言う通り、この居住スペースは物で埋め尽くされていた。
セルド商会を制圧した俺たちは、事務員たちから金品の在処や奴隷の居場所を聞いた。
とりあえずということで、金品は全部ライスの店に運んだ。すでに棒になっている足を爪楊枝にしながら、数えきれないほど往復した。三回転んだ。
ライスは終始、口を開けて固まっていた。
護衛や取り立て役は最初に縛っておいた。目を覚ましたやつには、王国軍がもうすぐ来ることを伝え、セルドの財産からある程度お金を渡し、散らした。数人は義理や人情を重んじるやつがいるかとも思ったが、とうとう最後まで一人も出てこなかった。
奴隷は地下に閉じ込められており、この町の者はその場で解放。ハンナさんの村から連れてこられた子供は、ライスの寝室で寝ている。
ちなみに事務員たちは、もう面倒くさかったので放置してきた。
「本当に、なにひとつ状況が理解できていないんですけど! 下手な嘘をついて、どこかへ行ったと思ったら金品を大量に持ち込んでくるし、勝手に置くし、子供も連れてくるし。いったい、どこへ行って、なにをしてきたんですか?」
なぜか疲れた様子のライス。
「あっ、そうだ! ライス、見てよ! このネックレス、本物だったんだよ! 石が無くなってるでしょ? 効果を発揮したら砕け散っちゃってさ。びっくりしたよ」
「びっくりしてんのはこっちだよ!」
再度叩かれるテーブル。鳴る金属。
「どこで! なにしたかって! 聞いてんだよ!」
言葉に合わせて叩かれるテーブル。よくわかんないけどラッパーみたいだなって思った。
いつの間にかタメ口になり、白黒させていた目には怒りの炎が灯っている。
「だからさっきから言ってるじゃん」
「言ってない! 一回も言ってない!」
「セルドの身ぐるみを剝いできたんだよ」
「…………」
止まった彼女。開いたままの口からは何もでていない。
言葉通り、宣言通り、裸にして置いてきた。
「金品はセルドから奪って来たもの。子供たちは、ここより端の村から連れてこられた子たち」
金魚にジョブチェンジしたライスは口をぱくぱくしている。
目は点になっており、しばらくこちらの世界には戻ってきそうもない。
仕方なく隣を見やる。
この流れの中でもパンを食べ続けている人がいた。
「パンおいしい?」
口は動かしたまま、こくりと頷く。
――そういえば、セルド商会に向かうときに持ってたパンってどうしたんだろう。
着いたときには、もう持っていなかった。
つまり、あの空気の中、これから殴り込みに行こうってときに、歩きながら食べたのか?
この事実に気付いてしまったとき、俺は初めてミストに恐怖を覚えた。




