第32話 「紅茶、もう一杯飲みます?」
「なんで寝てるんですか?」
30分ほどで戻ってきたパン屋のライスは言う。
まるで珍獣でも見るかのような視線を突き付けられる。
俺は寝ていた。
フードをかぶり、仰向けになり、手は腹の上で組んでいる。
ミストの無邪気な心無い言葉により、俺の心は死んだ。
まっすぐに伸びた体は、この町という棺に入った死体のようだった。
「いやあ、心が折れたからさ、体は伸ばそうと思って」
フードをかぶって地面に寝ている俺。
フードをかぶって壁にもたれて座るミスト。
店主不在のパン屋の前には、変質者のバリケードが組んであった。
ライスがお金を取り返しに行ったとき、店を空けていいのかと思ったが、どうやら俺たちのおかげで人払いができたらしい。お客は一人も来なかった。
それどころか、寝ている俺にかかる声すらひとつもなかった。
この町は冷たい。トイレに行って、戻ってきた後の冬の布団のようだ。
「取り戻してきましたよ! お金!」
ちらっと彼女に視線を送る。
胸を張った彼女。高らかに掲げられたその手には、丸々と太った巾着が握られていた。
「おおー、すごいな! 本当に取り返せたんだ! ありがとう!」
「お褒めいただき光栄です! ざっと金貨30枚は入っております!」
彼女はじゃらじゃらと巾着を鳴らす。
見た感じ、けがなどはしていないようで安心した。
それにしても、どんな手品を使ったんだろう?
「まあ、君ならやってくれると信じていたよ。信じて、こうやって店番をしていたよ。俺の威厳に恐れを成したのか、客は一人もこなかったけどね」
「あはは、そうですか。別に店番はいらなかったんですけどね」
彼女は声だけで笑った後、腕と胸をもとに戻した。
「お金のこともありますし、よければうちでお茶でもどうですか? あと、差し出がましいようですが……、お礼を言う場合は、ちゃんと起き上がって言った方がいいですよ」
年下の美少女に叱られてしまう、寝転んだままの俺。
やはりこの町と美少女は俺には冷たい。
そう思いながら見上げた空は、いつもよりその青が色濃く見えた。
◇◇◇
「どうぞ」
ことっと音を立ててティーカップが置かれる。
小さく見えた店は奥行きがあり、正面から見た印象よりだいぶ広かった。
叱られた後の俺たちは、彼女に促されるままに店の奥の居住スペースに来ていた。
俺とミストは隣に、テーブルをはさんでライスが座っている。
置かれたティーカップを取り、一口すする。
注がれていたものは紅茶だったが、詳しくないので葉の種類まではわからない。
それでも久しぶりに飲む、味がついた飲み物は、潤す以上の効果を与えてくれる。
余韻にひたりながらも、戻したカップが立てた音を合図に話し出す。
「改めて、お金を取り返してくれてありがとう。まさか金貨30枚も戻ってくるとは思わなかったよ。いったい、どんな手品を使ったの?」
ライスも丁度ティーカップに口を付けたところだった。
視線はカップではないところにあり、少し考えるようにしてゆっくりとカップを置く。
「この店と私は、この町の有力者に目をつけられています」
彼女の視線は今度はカップの水面に向けられている。
カップを両手で覆い、伏し目がちな彼女に、さっきまでの明るさはない。
「セルド商会と言いまして、店の前の通りを少し行ったところにあります。うちの店とは対照的に、並んだ建物から頭一つ飛び出ているのですぐにわかると思います。そこの代表のセルドという男に目をつけられてからというもの、町の人たちは私を避けるようになりました。私と話しているところを商会の人間に見られて、自分たちも嫌がらせを受けることを恐れてるんです」
彼女は二口目をすする。
「もしかして、店が奇抜なのや、お客さんが来ないのもその影響なの?」
「はい。もとはきれいな外観だったのですが、ペンキを塗られたり、壊されたりしたので……。おっしゃる通り、お客さんが来ないのもその影響です。うちの店で買い物をしたなんて知られたら、何をされるかわかりませんからね」
彼女はどうしようもないといった感じで、心のない笑みを浮かべる。
――だから彼女は店を放り出して、俺のお金の回収に行けたのか。
あと、「ただのお客さんじゃない」と言ったのも、今は来るはずがない客だったからってことか。
「商会っていうのは、そんなに力があるものなの? ひどいことをしてもお咎めがないくらいに」
「そうですね。町の首長はもちろん町長です。でもセルド商会は莫大な資金があります。この町に限らず、お金さえあれば大抵のことは捻じ曲げてしまえます。王都から離れ、王国軍の手が入らない町ならなおさらです。町長だって逆らえば、明日にはいないかもしれません」
「昔からこうだったわけではないのですが、冒険者制度によって奴隷の価値が上がったことが始まりです。魔王城に近づくほど魔族は増える。魔王城に近い町や村ほど冒険者は増え、労働者は減る。この町なんかは魔族は来ませんからね、冒険者もいないんですよ。そういった町から奴隷が送られていくんです」
「そこにいち早く目を付けたのがセルド商会です。奴隷売買で莫大な利益を上げました。もともと金貸しもやっていたので、返済が滞っている人を売ったんですね」
「それだけでは終わりません。勇者や冒険者制度は破格の報酬が支払われます。国が支払うのです。そうなればもちろん増税されます。増税をされれば困窮する人がでます。その人たちにまたお金を貸す、返せなくなれば奴隷として売る。当然、借金をした本人だけでなく、子供たちも。この循環によってセルド商会は莫大な資産と、資産に裏打ちされた権力を手に入れたんです」
ここまで話すと、彼女は残りの紅茶を一気に飲み干した。
これはまだ序章に過ぎず、彼女が目をつけられた話は出ていない。
それでも内容が内容だけに、聞いているだけでも肩が重くなる。話している彼女はもっと疲れたはずだ。
「紅茶、もう一杯飲みます?」
そう言って立ち上がった彼女は笑顔を見せてくれる。
俺はまだ残っていた紅茶を急いで空にする。
「あまりにおいしかったから紅茶だって気付かなかったよ。淹れる人が違うと全然違うんだね。これから毎日俺に紅茶を淹れてもらってもいいですか?」
俺も彼女に負けじと笑顔で返す。
笑顔には笑顔で返すのが大人の流儀だから。
ふふっと笑う彼女。
「直太郎さんは本当に面白くないことばっかり言いますね。意味もよくわからないですし。……でも、ちょっと楽しいです。こんなふうに人と話すのは久しぶりなので」
そう言って三人分のカップを持って行く。
その背中は、今の状況を背負うには随分と小さく、胸が締め付けられる思いがした。
……ん? 三人分のカップ? ミスト? 忘れてた!
「ライス! パン買ってもいいかな? できればすぐに食べたいんだけど!」
行きかけた彼女が振り向く。
「いいですよ! ここで食べてもらって構いませんし。それで量はどうしますか?」
野暮なことを聞く小娘だな!
「もちろん金貨一枚で買えるだけ!」
「了解です!」
カップを持ちながら跳ねるように喜ぶ彼女を見て、
この笑顔がずっと続くといいなと思った。




