第3話 「なにか来るわ」
「なにか来るわ」
一気に空気が固まる。
身構えた彼女からの緊張が伝染する。戦闘の心得などまったくないが、いつでも動き出せるように足を開き、膝を少し曲げる。度重なる緊張と弛緩で、精神も身体も擦り切れそうだ。
――魔物なのか? 魔物が出てきたらどうすればいい。武器も持っていないし、人を殴ったことすらない。彼女はどうする。あんな小さい身体だし、女の子だ。
俺は一度死んでいる。いわば今はボーナスタイムみたいなものだ。せめて逃げる時間くらいは稼いであげたい。
勇敢なのは心の表層だけで身体は正直だった。俺の足は地面に貼り付いていた。そして震えている。無論、武者震いなんて立派なものではない。
いきなり飛び出してくるのかと思っていたが、それはゆっくりと近づいてきた。
徐々に大きくなってくる。
「人、か……」
どうやら「なにか来る」の「なにか」とは人間のことだったらしい。
全身の筋肉が緩む。震えていたことが嘘のような軽快な足取りで彼女の横まで行く。彼女はまだ身構えたままだ。
声が届くほどの距離まで近づいてきたそれは、二人の男だった。
一人は中肉中背、もう一人は身長が180センチメートルは超えているであろうがっしりとした男。二人ともに中世のヨーロッパに見られるような服装をしている。半袖の腰下まであるチュニックで腰にはベルト、下半身はズボン。洗っているのか疑わしい色合い、ところどころの損傷から受ける印象は、申し訳ないが率直に小汚い。
気になるのは持ち手に布を巻いたこん棒を持っていることだ。見た目で人を判断するのは良くないが、どこからどう見ても賊の類だ。
大きい方が少し前に出る。こちらを威嚇するように、こん棒をもう一方の手のひらにぱしぱしと打ち付ける。見下ろされた視線は身長差による位置関係の物理面だけでなく、自分の優位を確信している心理的な面を大いに含んでいる気がする。
視線と威圧感に耐え切れず、こちらから口を開く。
「すみません。俺たちは旅の者なのですが、ちょっと道に迷ってしまいまして。あなた達は近くの村の方ですか? できれば道を教えていただきたいのですが」
防衛本能が自然と嘘をつかせる。ベタもベタベタの嘘だが、この世界の知識がない以上は嘘にも選択肢がない。
大男は気持ち悪い笑みを浮かべて言う。
「そうか、そうか。そういうことなら任せておけ。お前の言う通り俺たちは近くの村のもんだ。道案内してやるよ」
――よかったあ。早々に案内役に出会えた。これで村まで行って情報を集められる。やっと一安心だ。……また頭にもやがかかったような違和感を覚えるが、展望が開けたことへの喜びにかき消される。
「ありがとうございます。助かります。お手数をおかけしますが、町までの道案内をよろしくお願いします」
たたっ、と大男のそばまで駆け寄る。
「それでよ、旅人さんよう。荷物はどうしたよ。俺はなあ、手ぶらで旅する奴なんて見たことねえんだよ!」
しまった、と思った瞬間後ろに引っ張られる。
視界では大男がこん棒のフォロースルーにはいっている。一瞬で後方に移動していた俺は離れた位置からそれを眺めている。腹部に腕が回されており、圧迫された部分に鈍い痛みが走る。
眼球のみで腕をたどると、腕の持ち主は小さな彼女だった。確認するまでもなくわかってはいたけれど、実際に見るまでは信じられなかった。
――一瞬で俺を4,5メートルも動かしたのか? この小動物が?
改めて顔ごと振り返る。
「ありがとう。助かったよ」
「…………」
彼女は俺の声が届いていないかのように、視線を大男に刺したままだ。
「お前、今何をした? いや、やったのはちびの方か。その男が馬鹿みたいに俺の言葉を信じるから、てっきりあの村から逃げたやつが仲間を助けるために旅人のふりでもしてるのかと思ったが……、どうやら別口みたいだな」
――嘘だったのかよ。信じちまったよ。信じて殴られそうになっちまったよ。……信じたのか? こんなあからさまな嘘を。
大男の陰から中肉中背が出てくる。
「まあ、お前らが誰でもどうでもいいんだがな。結局は労働力になってもらうか、奴隷として売り飛ばすだけだ」
見た目通りのやつらだった。ある程度は人を見た目で判断してもいいのかもしれない。
「アニキがやるんですか? こんなちびなら俺でも問題ないと思うんですが」
「馬鹿かお前は。あそこでへたり込んでるやつと同じくらい馬鹿だな。さっきの動きがまったく見えてなくて勝てるわけねえだろ。簡単な実力差の判断もできないからお前は下っ端なんだよ」
どうやら中肉中背がアニキらしい。アニキはアニキでも兄弟を意味しているのかはわからない。どちらにしても発言からしてアニキの方が実力は上らしい。
なんの前触れもなくアニキがこん棒をこちらに向かって投げてくる。自然な反応、反射で投げられた物を目で追ってしまう。
こん棒から視線を戻した時にはすでに目の前まで距離を詰められていた。明らかに戦い慣れている。やられる。
とっさに身構え、目を瞑ってします。
が、いくら待っても衝撃がこない。
何が起きているのかわからず、結んだ瞼をほどいていく。力いっぱい閉ざした視界が徐々にピントを合わせていく。
そこに映ったのは衝撃的な光景だった。




