第21話 「それで、その俺の命の恩人は今どこに?」
「なんであんたも泣いてるんだよ」
彼女は恥ずかしそうに、自分の頬を拭いながら言う。
言われて気付く。彼女がこぼしたのは一雫だったが、俺のそれは、流れ続けていた。
顎をつたって次々と落下し、地面に吸い込まれている。
「すすすすすみません! これはあれです! 汗から目が! 汗から目が出てるだけなのでお気遣いなく!」
隠すように下を向く。ひとつ、またひとつと地面にしみが増えていく。
俺はやっぱり偽善者だなと改めて思う。
ずっと欲していたのだ。行動への対価を。
誰かのため、何かのためという建前を掲げて、
結局は全部自分のためだ。
存在価値を示したかった。自分自身に。
自分は誰かのために、何かのためになれる人間なのだと。
だから結果が欲しかった。
「まあ、あんたにも何か思うところがあるんだろうなとは感じていたよ。初めて訪れた村のために命を張るなんて正気の沙汰じゃない。ましてや、あの大男に歯が立たないってわかっていたんだろ?」
「……敵が強ければ強いほど、燃える質なので……」
がはは、と豪快にハンナさんは笑う。
「口だけは強者のそれだね! あんたが何を思って動いてくれたのかはわからない。でもそんなことはどうだっていいんだ。あんたがもたらしてくれた結果、これが私たちにとって全てさ」
「だから胸をはりな!」
四大大会優勝並みのフォアハンドで背中を叩かれる。
強制的に伸ばされる背筋。
いつの間にか地面のしみは渇き始めていた。
それにしても、ハンナさんには見透かされているようだ。ただものではない。
なんか「アネゴ」と呼びたくなる感じだ。包容力も申し分ない。
「結婚してください」
「あ?」
「あ、間違えた。それで、俺の体が健康体になっているのはどうしてなんでしょう?」
自分で言っておいて、自分でさらっと流す。
「ああ、そのことなんだけどさ……」
彼女も何事もなかったように続ける。
「あの子が治したんだよ。……魔法って言うんだろ? 初めて見たよ」
ハンナさんは経緯を説明してくれた。
俺が意識を失った後、ハンナさんだけが俺の元に残り、他の村人は子供たちがいる小屋に向かった。
村人たちと入れ替わりにミストが俺の元に来て手をかざした。
その手からは緑がかった光が放たれ、俺の傷は治ったらしい。
その後、ミストはそそくさと森の中へ。
村人たちも子供を連れて村へ帰還したとのこと。
本当に治っているのか、動かしていいのかわからなかったので、ハンナさん夫妻が残ったらしい。ちなみに寝起きの呪いをかけたのはハンナさんの旦那だった。
「魔法って存在は知ってたけど、まずこの辺りじゃ見ないね。この辺りどころか、使える人間なんているのかわからない。おとぎ話みたいなもんだと思っていたよ」
――見たか、うちのミストを! そんじょそこらの金髪とは格が違うのだよ!
……ん? 魔法? 初耳なんだけど。そもそもこの世界での魔法の存在すら初耳だ。
思い返せば最初にミストに殴られた時も、腫れも痛みもなかったけど……、あれも魔法で治したのかな。
「あの子は一体何者なんだい? 魔法に加えて、あの強さ……。もしかして、勇者なのかい?」
「勇者? 勇者がいるんですか?」
ミストの正体に関する質問はそっちのけで、質問で返す。
――魔王、魔物、魔法……、それに加えて勇者だと? どんどんファンタジってきたな。
「ああ。見たことはないけどね。国が魔王討伐のために雇用している戦士のことらしい。今は30人くらいいるって言ってたかな。相当強くないとなれないらしくて、報酬の額もすごいらしいよ」
ハンナさんの話はどれも、ふわっとしている。
この村にはあまり関係なさそうだし、興味もないのだろう。
それにしても勇者か。
俺もミストについてよく知らないから、その可能性は否定できない。
でも勇者っていったら、「とりあえず目に映るものはすべて助ける! 映らないものすべて助ける!」みたいな感じだし、たぶん違うと思うんだけど。
俺が沈黙していると、ハンナさんは焦ったように言う。
「勘違いしないでくれよ。別に詮索したいわけじゃないんだ。単純に興味本位で聞いただけだから、答えなくてもいいよ」
詮索されないのは助かる。ミストのことはよく知らないし、知っていることも、どこまで話していいのかわからない。
「あんたを治した時も、人がいなくなるのを待ってたようだし。私がいるのも嫌だったんだろうけど、そこまで待っている時間はなかったんだろうね、あんたに」
ハンナさんは伏し目がちに続ける。
「あんたはさ、あの子のことを人見知りって言ったけど、あれは警戒だね。まあ、警戒してるから人見知りってことで、そんなに違いはないんだけどね……。あんたたちの関係性は知らないけど、あの子も相当苦労してきたと思うよ」
その「苦労」の内容がある程度想像できているのか、それに彼女は心を痛めている。そんな気がした。
子を持つ親の視点なのか、年の功なのか。
俺にはまだ、心を痛めるほどには想像できていなかったことを。
「それで、その俺の命の恩人は今どこに?」
彼女は一転して怪訝な顔をする。
「どこって、あんた……。あそこにいるじゃないか」
そう言って指をさす。
指の先を追ってみるが、木以外に何もない。
と思ったが、よく見てみると何かいる。
指をさされたことに気付いたのか、少し動いたのでやっと認識できた。
森なので当然に木はたくさんあるのだが、その中の一本の陰から、茶色いフードがこちらの様子を伺っている。フードが保護色になっているので動かなければ見つけられなかっただろう
いや、遠いな! 大声を出せば辛うじて意思疎通はできそうな距離ではあるが。
元から小粒なのに、そんなに離れたらひきわりになっちゃうよ。
「さてとっ」
ハンナさんは景気のいい声に合わせて、少し丸まった背中を伸ばす。
「私たちも、そろそろ村に戻るよ。あんたの無事が確認できたからね。二人水入らずで積もる話もあるだろうし」
そう言って、彼女は歩き出す。
どこにいたのか、俺に呪いをかけた旦那もついていく。
「二人の話が終わったら村に来るんだよ! 大したお礼はできないけど、あんたの遺言のパンは用意しとくよ!」
少し歩いたところから声を張った彼女は、手を振った後、森の中へと消えていった。
――俺、死んでないけどな! 心の中ではしっかりつっこんでおいた。
再びミストの方に目をやると、彼女は既にスタートをきっていた。
これこれ、これだよ。
俺は両手を大きく広げ、再会のハグを待ち受ける。
距離だけではない。死にかけた俺とは、生還という意味で二重の再会だ。
再会といえばハグ。ハグといえば再会。
今か今かと、すべてを飲み込むブラックホールのように待ち受ける俺のみぞおちに、強烈な拳がねじ込まれた。




