第20話 「ありがとう」
夢を見ている。たぶん。
もしかしたら走馬灯かもしれない
様々な出来事が浮かんでは消えていく。
まるでスライドショーを眺めているみたいに、
実体がない俺はただそれが移り行くのを傍観している。
小学生の頃、駄菓子屋で万引きをしているやつを見た。店のおばあちゃんに報告した。後で袋叩きにあった。
正しいことは痛いと思った。
中学生の頃、道で拾った財布を交番に届けた。中身が盗られていたらしく、散々疑われた。
正しいことは疲れると思った。
高校生の頃、試験でカンニングをしているやつがいた。教師に報告した。次の試験の時に俺の机にカンニングペーパーが仕込まれていて、濡れ衣を着せられた。
正しいことは辛いと思った。
大学生の頃、代理出席、いわゆる代返を頼まれた。もちろん断った。俺の周りからは人がいなくなった。
正しいことは孤独だと思った。
俺は警察官になった。正しいことを正しくできるように。
交通違反を取り締まる。罵倒される。不審者に職務質問をする。罵倒される。セクハラをしている上司を注意する。罵倒される。
偉そうにしていた上層部が不祥事で逮捕される。
捕まえた人間が不起訴で野に放たれる。
正しいことってなんなのかわからなくなった。
蛇行運転をしていた車を取り締まる。酒臭い。警察幹部だった。見逃した。
そのあと事故を起こして人を殺した。
スライドが終わり、感情という余韻だけが残っている。
余韻が残っているうちに新たなスライドが現れる。
妹が学校でいじめを受けた。不登校になった。教師は何もしてくれなかった。
教師は信じられないと思った。
学校に調査を頼んだ。証拠は揃っていた。学校はいじめだと認めなかったクラスメイトも証言しなかった。教育委員会もいじめを認定しなかった。
学校関係者は信じられないと思った。
裁判を起こした。裁判所はいじめと認定した。だが、学校の責任を認めなかった。
裁判所は信じられないと思った。
シングルマザーの母は一連の心労から怪しい宗教団体にはまった。救われることはなく、借金だけを背負わされた。
宗教団体は信じられないと思った。
街ですれ違う人が、俺をカモにしようとしているのではないかと思った。
店員の笑顔が胡散臭くて気持ち悪かった。
おつりはいつも数え直した。
家から出られなくなった妹は、「明日こそ頑張って家から出る!」と毎日言った。
いい子だった。応援しつつ見守っていた。
いつからか俺はその言葉すら信じていなかった。
聞き流していた。
それを察したのかはわからないが、妹は死んだ。
今度こそスライドショーは終わった。
今になって俯瞰してみると、どこにでもある出来事だと思った。
いじめも、犯罪も、不正も。
ただ、辿り着いた結果が……、
運が悪かったのだ。
◇◇◇
夢を見ていたような気がする。
見ていた気がするが内容は思い出せない。
後頭部に温もりを感じる。
それに少し弾力がある。
おいおい、命を張った俺にご褒美ってことか?
やれやれ、ほんとやれやれすぎるぜ。
てか、生きてるのか?
目を開けたら天国、もしくはまた転生してたとかないよな?
まあ、それはない。俺にはわかる。
だって、この後頭部の膝の持ち主が俺にはわかるからな。
そう、もちろん腹ペコ金髪美女ことミストだ。
お約束だろ? 命がけで頑張ったご褒美に膝枕なんて。お約束すぎて、みんな見飽きているかもしれないが、すまない。お約束っていうのは一定数の需要があるからお約束なのだ。需要に応えるのも転生者の仕事ってもんだ。やれやれ。
でも、何かが、何かが引っかかる。
なるほどなるほど。危ないところだった。
これはミストだと予想してしまうと、「実は違う人でした」のフラグになってしまうのか。
ふう。一度で飽き足らず、二度目の三途の川ジャンプを決行しようとした俺だが、頭は非常に冴えているようだ。死線を超えてもシナプスがプスプスしなくてよかったぜ。
冷静に、冷静にフラグを立て直すんだ、俺。
あー、この後頭部に伝わる温度、感触。
これはハンナさんや! 意識を失う直前に傍にいたし!
彼女は優しい人だ。初対面の俺にも丁寧に説明してくれたし、心配もしてくれた。
あとは、リーダーシップも発揮していて、村の中心人物の一人なのだろう。
そんな素晴らしい女性だ。救世主である俺に貸す膝のひとつやふたつ、みっつやよっつ、持ち合わせているはずだ。
読めた!
目を開けながら、ハンナさんの名前を呼び、「えっ! ハンナさんじゃなくてミストじゃん!」までのルートが!
ゆっくりと、極めてゆっくりと、止まったトンボが飛び立たない程の速度で瞼を開ける。
「ハンナさん、ありがとうござ――
一時の静寂。
「あ゛あ゛あ゛あ゛―――――――――」
膝の持ち主は知らないおじさんだった。
一瞬でその危険地帯から離脱した俺は、うずくまって拳で地面を打つ。
あんまりだ! あんまりすぎる!
本命はミストだった。それは否定しない。
でも年上好きの俺にとってはハンナさんでも十分ご褒美だったのに。
女性に膝枕してもらう機会なんてなかったから、初めてだったのに。
頼んでしてもらうんじゃなくて、必要に応じてしてくれることが重要だから、もうこんなチャンス二度とないのに。
しかも、おじさん、あぐらじゃん! 一番最悪な体勢だよ!
そこは少しは配慮してよ! こちとら死にかけたんやぞ!
明日から朝起きるたびに、枕がおじさんじゃないか確認する呪いにかかってしまった。
「あんた、目が覚めたのかい!」
小屋の方からハンナさんが駆けてくる。
どうやら俺は、倒れた場所からほとんど動いていないらしい。
「どうしたんだい? やっぱりどこか痛むのかい?」
うずくまっている俺を見て、眉をひそめる。
「いや、体は痛くない……、痛くないな」
不思議に思い口元をさすると、渇いた血がついている。
立ち上がって、一通り動かしてみる。
痛むどころか、転生してから一番快適だ。
「なぜか体はどこも痛くないです。心は少し痛いです」
ハンナさんは過剰ともいえる大きな動作で息を吐き出す。
その動作の大きさが、本心から心配していたことを表現していた。
「よかったよ、本当に。死んじまうかと思ったよ」
力強いはずのハンナさんの声が、震えて弱弱しくなっていた。
目は決壊寸前で持ちこたえていた。
「だから言ったじゃないですか! 俺はめちゃくちゃ強いから大丈夫だって!」
親指を立てて、笑って言った。
彼女が泣きそうだったから。
「馬鹿かっ! 全然強くなんてなかったじゃないか。ボロボロになって、死んでないのが不思議なくらいさ……」
一度俯いた彼女は、勢いよく顔を上げて言う。
「それでもあんたは英雄さ。小さい村の、小さな英雄さ。失うはずだったものを、失わずに済んだ。あんたのおかげで助かった命は確かにあった」
彼女は一度、深呼吸をする。丁寧に言葉を選んでいるように見える。
「多くのものを失った。連れていかれた子供たち全員を助けることはできなかったし、今日までに死んだ人間もいる。今日を乗り越えたとしても、明日から元気にとはいかなかっただろう。だからこそ、あんたの行動は大きかった。今日だけ見れば、あんた以外けが人ひとり出さずに完全勝利だ。それが……、唯一の抗った経験が、この村を再興へと向かわせてくれる」
「ありがとう」
そう言って微笑んだ彼女の頬を、一粒の雫がつたった。




