第17話 「パンをあげるようにお願いしとくから」
「おい! さっさと出ろお!」
その怒号の発生源はミストに倒された二人のうちの片割れだった。その語気には焦りが色濃く滲んでいる。
木の陰になっているこちらにはまだ気づいていない。熊のような巨体と威圧感が距離を錯覚させ、男の射程に入っているかのような緊張がはしる。
――やっぱり間に合わなかったか。
期待は裏切られたが、想定はしていたので気落ちはしない。
むしろ、まだ大男がここにいることに希望が見い出せる。子供たちが連れていかれた後だったら手遅れだった。
予想が大方当たっていたのだろう。大男は一度村に行き、状況を知ってからここに来た。だからまだ、ここにいる。
あの時、二人を縛っておかなかったから、大男はここにいる。
あの時、二人を圧倒してしまったから、大男は正面から闘わないことを選んだ。
俺たちの行動が、現状に少なからぬ影響を与えたことは否めない。
そして、俺が騙されたことで、ミストは村の賊を一掃した。
これが状況を開始させた。本来ならば、人質の安全が確保できた場合、もしくは、盗賊団全員を一度に無力化できる場合にのみ許される行動。
もちろん、俺たちは何も知らなかったし、その時々に必要な行動をしたし、必要でない行動をしなかった。ひとつひとつの行動が責められるものではないし、恨まれるものでもない。
それでも、もし、子供たちに危害が加わる結果を生んでしまった場合、俺たちは、特にミストは恨まれることになってしまう。
村人たちは必死に、歯を食いしばって耐えてきたのだ。過酷な状況に。悪意による支配に。ただ、子供の身を案じて。終わりが見えない、保証もない希望を胸に。
だからこそ、結果如何によっては状況開始ののろしを上げてしまったミストは、恨まれることになる。彼ら、彼女らが守ってきたものを、これまでの努力を、無下にすることになるから。
ミストの行動は間違っていない。当然に称賛されるべきものだ。盗賊に従っていたとしても、村人たちが望んだ結果を得られたとは到底思えない。搾り取られて何も残らない結果が目に見えている。
それでも恨まれる。論理的ではないと思うが、その気持ちは理解できる。
それに、善人が割を食うなんてことは珍しくもない。日常茶飯事だと言える。
真面目なものは馬鹿をみるし、善人は付け込まれるし、善行は利用される。
まあ今回のケースは少々異なるが。
俺は予想から導かれる結果に対して、ひとつの決意をしてきた。
絶対にミストのこと恨ませない。
俺はこれのために命を懸ける決意をしてきた。
彼女の行動は、俺を助けるためにしてくれたものだ。森の中でのことも。
俺には、彼女が不当な評価を受けないようにする義務がある。
それに、善人が不遇を受けることが、どうしようもなく気に障るのだ。
だから、子供たちは連れて行かせない。殺させない。絶対に。
背負っていた彼女を降ろし、そっと木にもたれさせる。
相変わらず、夢の世界を旅行中のようだ。
「もし死ぬことになるとしても、ミストにパンをあげるようにお願いしとくから」
生存フラグを立て、大男へと歩き出す。
「おい! そこのデガブツ!」
大男の声量には及ばないが、出したことがないほどの罵声をぶつける。
振り返った大男は、熊ならぬ鬼の形相をしていた。
焦りと怒りが混ざった中に、強者の自信が加わっている。アニキを倒してこどで自信を得た大男は、昼よりも大分凶悪さが増していた。
こちらを認識した大男は、一転して気持ち悪い笑顔を浮かべる。
「おう、昼間のカスじゃねえか。お前ら色々とやってくれたみたいだな。そのおかげで俺はアニキを殴れたし、昼間のことは許してやるよ」
大男はニタニタを上機嫌に言う。やはり、村の賊がやられたこともどうでもいいらしい。
大男は続ける。
「今は俺も忙しい。今日は特別に見逃してやるよ。わかったら、目障りだから失せろ」
もう用はないとばかりに、大男は小屋の方に向き直る。
「子供たちをどうするつもりだ」
「ああ? 売りに行くんだよ。お前らがみんな倒しちまったからな、こいつらを全員売って、また別のカモを探す。わかったらどっか行け! 次に口を開いたら見逃す話はなしだ」
予想通りだ。ここに至る経緯も、これからの行動も。
だから俺も、計画通りに動く。
「失せるのはお前だ! 勘違いするなよ! 昼間はまだ本気出してなかっただけで、俺の方がお前なんかより強い!」
「ああん?」
大男が怒りをあらわに振り向く。
「だいたい手負いのアニキを殴って勝ち誇るとか、恥ずかしすぎんだろ。どんだけ小物なんだよ。大きいのは体だけだな」
「そうかそうか、悪かったなあ。そういえばお前のことは殴ってなかったもんなあ。あのチビに助けられて。こっちも急いでるからよお、すぐにぶっ殺してやるよ」
のしのしと巨体を左右に大きく揺らしながら近づいてくる。
子供たちを連れ出す途中だったので、昼間に持っていたこん棒は持っていない。
俺は一歩も動かず、挑発を続ける。
「アニキってやつが言ってただろ、お前は馬鹿だって。俺もそう思うよ。アニキと協力して二人で行動していれば勝算はまだあったかもな。でもお前はくだらない感情に任せてアニキを倒した。お前のような馬鹿が、一人でできることなんて何もない」
ジェスチャーも交えて、ありったけの表現力を総動員して侮蔑する。
「よく動く口だなあ。でももう終わりだ。最後にたくさん動かせてよかったなあ。このクソカスがっ!」
言うが早いか、割れそうなほどに地面を蹴って距離を詰めてくる。
それに合わせてこちらも拳を構える。
大男は走りながら振りかぶった拳を、全身を使って打ち下ろしてくる。
俺はそれを走って避ける。避けるというより移動する。
素人の俺が上体のみで避けたり、最小限の動きでかわしたりするのは無理だ。あまりに成功率が低すぎる。だから移動して逃げる。避けるのではなく逃げる。
大男の拳は物騒な音を立てて空を切る。
恵まれた体格と鍛え上げられた肉体が生み出すそれは、武器など持っていなくても、十分に凶器の役割を果たしている。
ここにいるのがこいつでよかった。スピードはそこまで速くないので、俺でもなんとか目で追って対応できる。耐久力がない俺にとっては、相手の力の強さはあまり関係ない。どんな攻撃でも、当てられた時点で致命傷なのだ。
「よけてんじゃねーぞ! カスがあ!」
俺ごときに当てられなかったことにフラストレーションが爆発している。
勢いで流れた体をこちらに向き直し、今の攻撃を焼き増しする。
こちらも同じように移動し、元の位置に戻ってくる。
逃げることだけを考えれば、単純な攻撃をかわすことはさほど難しくなかった。
「おいいい! よけてんじゃねえって言ってんだろ! ふざけやがって! 絶対ぶっ殺してやる!」
また同じように突進してくる。
こちらも同じように動こうと構えたが、距離が詰まったところで止まる。
そこからはこちらの様子を注視しながらゆっくりと迫ってくる。
先程までの勢いに任せた攻撃であれば、慣性に抗い難い巨体の隙を突くことができたが、これではもう同じ手は使えない。
怒りに任せて拳をふるっていた大男が、確実に仕留めるために頭を使い始めてしまった。
相手の動きが変わっても、俺にできることは変わらない。
なんとか相手の攻撃をかわす以外に道はない。
手が届く距離まで迫った大男は、大きく振り上げて仕留めにくる。
俺は振り上げられた手と逆手側に全力で駆け出す。
ここまで近づかれたら逃げられないかもしれない。
駆け出した俺の腹に丸太が食い込む。
痛みを感じる暇もなく、はじかれたように全身で地面を擦っていく。
「がはっ!」
遅れてきた痛みが腹を襲う。内臓が潰れたかのように酸素を取り込むことができない。
異物を感知した体が、咳を利用して血液を吐き出させる。
到底起き上がることはできない。まるまった体を伸ばすことすら困難だ。
やられた。
あいつが俺をなめていたように、俺も攻撃を二回かわしたことであいつを侮った。
振り上げた拳を餌にして、食いついた俺に対して進行方向から足で薙ぎ払われた。
そりゃそうだ。こいつは下っ端だとしても盗賊だ。暴力で生きてきたやつだ。戦闘の技術が、経験が違う。おまけに体格も。
「おいおい、どうしたんだよ。まだ一発しか入ってないぜ? 見せてくれよお、本気ってやつおよお! こっちはまだまだ気がおさまらねえんだからよお!」
随分と上機嫌になった大男の声が近づいてくる。
向きを変えられない俺にはその姿は確認できない。
これはもう、本当に死ぬかもしれない。
「なあ! なんとか言えよ。さっきまであんなに流暢にしゃべってただろ? つまんねえだろうが。泣きわめいて命乞いでもしてくれよお!」
もう声は真上から聞こえている。
「……もう、……いい。おれの役割は……ちゃんと果たせたから」
「ああ? なんだって? 聞こえねえよ!」
夕日と同じ色の光が、森の中に瞬いている。




