第14話 「お礼なんて、言われる資格はない」
糸の切れた操り人形が椅子に座っている。
二次災害が起きてしまった。
俺が睡眠薬を盛られた時に使ったコップを流用したことで、その残滓を摂取したようだ。たぶん。一応、糖質の多量摂取による血糖値の急速な上昇に伴う意識障害、通称ドカ食い気絶部の可能性も残しておこう。
こうなってみると、拘束を解いてもらっていてよかった胸をなでおろす。十分に彼女の食事風景を観察させてもらったので、眺める行為はお腹いっぱいだ。睡眠状態の観察も入るほど俺の胃は大きくない。
「さてと」
随分と長い間運命をともにしていた椅子に別れを告げる。正常な高さに戻った視点が、心理的にも俯瞰を助長してくれる。
彼女から得られた情報は、「この村は盗賊団に襲われた」けど「今は大丈夫」だ。「今は」というのが、一時的にという意味か、過去に対しての「今はもう」の意味なのかがわからない。
他にもわからないことがたくさんある。いや、今の状況についてほぼ何もわからない。何がわかっていないのかもわからない。情報ではなく、小動物の食事風景という癒ししか与えられていないのだから。
彼女はしばらく目を覚まさないだろう。
もしかしたら俺の口づけで目を覚ますかもしれないが、意識がない無抵抗の女性に口づけをするなんて犯罪行為は、俺にはできない。
それに起こす必要はない。彼女はきっと頑張ってくれたはずだ。俺が寝ている間に。そうでなければこの場にはいないはずだ。拘束されて目が覚めた時に、目の前にいてくれた。それだけでも十分すぎる功績だ。
彼女は彼女ができることをやってくれた。俺も俺にできることをやる。
彼女にできなくて、俺にできることといえば、村人に話を聞くことくらいしかない。彼女にとっては情報など不必要かもしれないが、それでも村人とコミュニケーションをとれば、おいしいものを食べさせてあげられるかもしれないからな。
柔軟運動で関節に油を注いでいく。思ったよりも体は軽かった。
意図的ではなかったにしろ、睡眠をとれたことが効いたようだ。
体は問題ないが、ここで別の問題がひとつ。
彼女をどうするかだ。
ゆっくりと膨らんだり、縮んだりを繰り返す彼女を見て、自然と腕を組む。
さすがに、寝ている女の子を残していくのは危険だろう。イケメンもとい盗賊団の団長が戻ってくる可能性がある。そうでなくとも、無防備な女の子を一人にすることは駄目だろう。
たとえこの村に、善良な人間しか存在しないとしても、目が覚めた時に知らない人に囲まれていたら震え上がるだろう。コミュ症なら、なおのことだ。だから彼女は置いていけない。となると――
「仕方がないな」
◇◇◇
久しぶりに見る空は、朱色に染まっていた。
風景全体に朱が上塗りされていて、重ね塗りされた影は深みを増している。
来た時とは別の村であるかと錯覚するほどに変化していた。遮蔽物が少なく、風が音や空気を難なく運んでくるのでわかる。色味による様相の変遷もあるが、それ以上に空気が違う。
思い返すと、来た時は静か過ぎた。働いている人はいても、話をしている人がいなかったのだ。それが今はざわめき立っている。とても歓喜という感じではない。密かに期待していたハッピーエンドはまだ遠いようだ。
あまり広くはない村なので、発生源にはすぐに辿り着けた。
何かを中心に人だかりができている。2,30人ほどだろうか。一人一人が大きな声を発しているわけではないが、各々の声が集合体となってざわめきとなっていた。
そのうちの一人が俺の存在に気付く。
「あんた無事だったのか!」
上下ひとつなぎの服を着た女性がこちらに近づいてくる。腰で細く絞られ、他の部分は余裕がありすぎる。サイズが合っていないというよりは、体型の方が合っていない。要するにひどく痩せているのだ。
群衆の他の人も同様だった。農作業をしているところを遠目で眺めた時には気にも留めなかったが、みんな一様にやせ細っている。着ているものも、服と呼ぶより布と呼ぶ方が適切に感じてしまう。
「あんた無事だったのか。よかったよ、本当に」
手が届く距離まで来た彼女は同じことを言った。見た目は50代くらいに見えるが、実年齢はもう少し若いのかもしれない。こけた頬と目に見える疲労が印象をぶれさす。
見た目に反して、声は太く強かった。その目には、心からの心配と安堵の証拠が溜まっていた。
「あの……、なんとか無事です。ありがとうございます」
初対面の人にこんなに心配されたことがないので言葉に詰まってしまった。人類は、人情を犠牲に文明を発展させたのだろうか。唐突な優しさに壮大なスケールの疑問が生じてしまった。
「お礼なんて、よしてよ。私らだってあいつらの片棒を担いでしまってるんだ。お礼なんて、言われる資格はない」
目線が俺から外される。
「お恥ずかしながら、先程まで小一時間ほど居眠りをしてまして、今の状況もまったく理解できてないのですが。申し訳ないのですが教えてもらえますか?」
「その子から聞いてないのかい?」
「その子」とは、俺の背中で眠っているミストのことだ。
置いていくわけにはいかなかったので、おんぶして連れてきた。女の子の体に勝手に触れることには抵抗があった。地球なら逮捕案件だ。俺なんて、電車に乗ったら極力女性から距離をとる。意図せずぶつかってしまって痴漢にされたら終わりだから。それだけ、女性に触れるということは怖いのだ。
それでも連れてきた。彼女がそうしてくれたように、俺も、彼女が目覚めた時にそばにいようと思ったから。
「あいにくこの子は寝てしまって、話はほとんど聞けてません。俺が騙されたってことぐらいですかね、わかってるのは」
自嘲気味に笑ってみせる。少しでも空気が、彼女がやわらげばと。
「そうかい。まあ、あんだけ大立ち回りを演じたんだから、疲れて当然だ。」
彼女も笑顔で返してくる。
「その子には感謝してるよ。本当に。まだ終わっちゃいないけど、契機をくれた。……ちなみに、その子は話せないのかい?」
「あー、うーん……、話せないわけではないんです。すごーーーく人見知りなんです」
何があった? もうコミュ症だってばれてんじゃん!
「そういうことね。いやあ、お礼をしたかったんだけど、距離を取られちまうし、全然しゃべらないし。まあ、お礼といっても、見ての通り貧しい村でさ。すぐに用意できるものはなくて、とりあえずパンを渡したんだ。そうしたら2、3度頭を下げて行っちまったんだ」
なるほど、なるほど。パンの入手経路が判明した。
これも謎だったんだよなあ。人の物を勝手に取ったりはしないだろうし、かといって交渉して貰うのも無理そうだし。
一人でうんうんと頷く。
「少し話が逸れちまったね。それじゃあ一通り説明させてもらうよ」
パンの精の妨害にはあったが、ようやく、俺はこの村で起きたことを知ることができそうだ。




