第13話 「お嬢さん、パンをお食べなさい」
「なんでパン食べてんの?」
数ある選択肢の中から、俺はこの質問を選んだ。
最初からずっと気になっていた。というか、真剣な話をしようとしても、彼女の手に保留されたままのパンが常に視界に入る。視線を彼女に向けるたびにパンが……、パンが思考の邪魔をする。俺も空腹だった。飢えた獣だった。
彼女は自分の手中にあるそれに視線を落とし、答える。
「……お腹が空いてたから?」
小さい彼女が小首を傾げる。
なんで疑問形! 俺に聞かれても困るのだが。お腹の持ち主は俺ではないのだから。
しかし、小動物然とした仕草がかわいかったので、つっこみは自重する。あわせて、パンを半分いただく提案も自重した。そのかわいさに免じて。
「この村は、今は大丈夫、のんびり話していても」
かわいさを見るためだけの返答の後に、建設的な返答も出してきた。
「あと、パンはあなたの分もあるから大丈夫」
パンに吸い寄せられる俺の視線にも、しっかりと気付かれていた。
妙に淡泊な返答で要領を得ない。理由は明白だ。彼女は食べかけたパンに気がいきすぎて、頭が働いていない。全身から腹ペコオーラがだだ漏れていて、俺の脳では彼女がよだれを垂らしている姿に変換されている。あおむしもびっくりの腹ペコキャラだった。
「お嬢さん、パンをお食べなさい」
俺は施しを与える神父になった。このままでは埒が明かないからだ。
「待て」を受けていた彼女に、「よし」の合図で号砲を鳴らす。食べなくても硬さが想像できる音を奏でながら、パンはフードの陰へと吸い込まれていく。全身を用いて食べる姿から、その空腹度が伺えた。
彼女が「大丈夫」だと言ったので、一生懸命に食べる様子に癒されながら、その終わりを待つ。欲を言えば、コーヒーを片手に観察したかった。
全身運動が止み、彼女の両手が自由になったことを確認し、話を再開する。
「さっきの話の続きなんだけど、大丈夫ってい――
ガタっと椅子を鳴らして、彼女が立ち上がる。
無言のまま、トタトタと可愛らしいリズムで調理場の方へ向かった。
――何か気配を察知したのか? 森の時も、男たちと大分距離がある段階から気付いていたし。俺とは違う感覚を持っているのだろう。
一応俺も、動く努力はしてみる。だが、動かそうとした分だけ、各部位への血流がか細くなるだけだった。そもそも、なんで彼女は俺のことを解放してくれていないんだ? きっとそこには深海よりも深く、地球の中心部まで達してしまうほどの深い考えがあるのだろう。
決して、パンに脳を支配されたからではないはずだ。決して!
「何かあった? 状況が変わったの?」
体は動かないので、声帯を全力で動かす。
部屋の広さに似つかわしくない声量を上げたおかげで、小走りで帰ってきてくれた。今の俺の唯一のテリトリーである、テーブルまで。
戻ってきた彼女の姿を見て、俺は言葉を失う。
いや、まさか……。
見間違いではないのかと、目をしばたたかせる。
何度眼球に水分を補充しても、現実の光景は変化しなかった。
彼女の手には、新しいパンが握られていた。
――嘘、だろ。こんなことって……。
俺の失った言葉はまだ帰ってこない。
彼女もまた言葉を失っているのか、口が動かない。それでも体は動いていた。
無造作に掴まれたそれを、ゆっくりと、俺のテリトリーの俺の眼前へと配置する。パンを置くならここしかないという完璧なポジショニングだ。
ごめん。俺は君を疑ってしまった。話の途中でいきなり立ち上がって、わざわざ自分のパンを取りに行ったのかと考えてしまった。くそっ、不甲斐ない。胡散臭いイケメンは信じてしまうくせに、君のような優しく美しい女神を疑うなんて。
手のひらに爪が食い込む。そのわずかな痛みだけが、俺の勘違いに対するささやかな罰であった。
「ごめん! 俺はてっきり君が――
首のみで下げた頭が戻る途中、その頭が描く弧の途中で、世界がスローモーションに切り替わる。
彼女が椅子に腰かけようとする動きに連動して、俺にくれたパンを持っていた手と逆の手が上昇する。先程までは体の陰に隠れていた手。
その手には、パンがあった。
無造作に持たれていた俺のパンとは対照的に、まるで壊れやすい小動物を愛でるかの如く、優しく、ひっそりと包まれていた。椅子に腰かけ終わると同時に、パンは欠け始めた。
あー、これはあれだ。絶対にあれだ。自分のパンのおかわりのついでに、俺の分も持って来てくれたやつだ。だって、もう、夢中で食べてるし。
よくいる、小さいけどたくさん食べますよキャラだ。それで、「お前そんなに食べてるのに全然大きくならないな」ってからかわれるやつだ。
だが真のジェントルマンである俺はそんなことはしない。むしろ何もしないで見守る。そう、椅子と一体化している俺には、見守る以外に選択肢などないのだから。
◇◇◇
俺は待った。彼女の胃が満足するのを。
結局彼女は、同じ行動を4回も繰り返した。食べては取りに行き、食べては取りに行き。
彼女は優しい子だ。自分のパンを取りに行く時、必ず俺の分も持って来てくれた。そして俺の前にはパンが5つ積まれた。なぜ、4回なのに5つあるのか。もちろん、最後の1回は2つずつ持って来たからだ。
そして彼女は気付いていない。いくらパンを持って来てもらっても、俺は食べられないことに。俺の体がまだ椅子であることに。
その彼女はというと、椅子の背もたれを存分に使って虚空を見つめ、お腹をさすっている。満腹の表現のテンプレートを実践している。
「あのさ、お腹いっぱいで動きたくないかもしれないけど、とりあえず俺の拘束だけ解いてもらっていい? もう、ほんとに、それだけ、まず、お願いします!」
今できる限りの最下限まで頭を下げて懇願した。最初からこうしておけばよかった。まさか彼女がパンに憑りつかれるとは思ってもみなかった。
今度は本当にスローモーションになって、彼女の視線が虚空から俺に移動してくる。俺はジェントルマンとして、その視線を最高の笑顔で迎える。
時が止まる。訪れる静寂。彼女に憑りついたパンの精は帰っていった。
「あ、あ、あ」
置き場所がわからなくなった彼女の手が宙で震える。
「あ、あ、あわあわ」
あわあわって言ってる。
ガタンと椅子を倒しながら立ち上がった彼女は、立ち上がるやいなやテーブルに沿って駆け出す。
テーブルの角にぶつかる。うずくまる。駆け出す。
そして俺に、しばらくぶりの自由を与えてくれた。
「ありがとう。助かったよ」
最高のフツメンスマイルで言う。もちろん、心から感謝している。紆余曲折あったとはいえ、彼女がいなければ未だ不自由のままだった。
彼女はというと、歩き方を覚えたばかりの子供のようにヨチヨチと調理場まで行って、水差しを持ってくる。
「あの、違うの。確かにわたしはよく食べる方だし、お腹が減ると力が出ないし、食べてもすぐにお腹が空くの。でもこれは種族的なものというか……、仕方ないの。あと、パンって知ってはいたけど食べたことなくて、おいしくて……」
水差しから出る水が暴れている。なかなかこのコップは避けるのがうまいみたいだ。
……コップ? このコップ見覚えが――
「ちょっと待って! そのコップは――
腹がふくれた彼女は、お昼寝タイムに入ってしまった。




