第11話 「いただきます!」
「これは俺の妹です」
そう言って振り返った場所には何もいなかった。
小さいから俺の視界に存在していなかったのではなく、視界の外にも存在していなかった。何もない空間を見つめたまま、金縛りにあった。
――へっ? なんでいないん? いつからいないん? 確かに村には一緒に入ったはずなんだけど。「一人で頑張ってみて」ってこういうことなん? てっきり、教習所の教官的ポジションで、危なくなったらブレーキを踏んでくれるものかと思ってたんだけど。俺の命を繋ぎ止めるブレーキを。二人だと思っていたから、急に寂しくなってきちゃったんですけど。
心はわなわなと戦慄いていたが、体はお利口に静止していた。
「あのー……」
彼が心配そうな声を出す。反射的に振り返ると、声色とは結び付かない、先程と同様の爽やか笑顔がいた。笑顔をつくり過ぎて、表情筋がつってしまったのかもしれない。ここまでくると、少し怖い
彼が固まっているのをいいことに、思案する。
彼女はきっと、どこかに身を潜めたのだろう。俺が見捨てられた可能性は……、考えると悲しくなるので除外する。そうなると、ここで存在を明らかにしてしまうことは、小さい彼女がさらに小さくなって身を潜めた努力を無駄にすることになる。無駄にしてはならない、彼女の努力を。そのために俺がとるべき行動は……。
ひとつの答えに辿り着いてしまう。とても残酷な答えに。
仕方がない。世界はいつだって残酷なのだから。
心と同様に戦慄いていた瞳の照準を合わせる。
「これは俺の妹です」
彼に負けじと満面の笑みを浮かべる。声のトーンは高くも低くもなく、ごく普通に、当たり前のことのように、空間を紹介する。
「は……、え……」
彼は声を発しようとはしているが、言葉は出てこない。表情は変わらないが、声からは明らかな動揺の色が伺える。ここがチャンスだとばかりに、俺はたたみかける。
「まだ小さくて人見知りなのですが、よろしくお願いします」
そう言いながら空間の肩を抱き寄せる。そこに何かがいるかのように。そこに何かがいると思っているかのように。渾身のパントマイムを披露して見せた。
抱き寄せた手のひらを平気で通り抜ける風が、なぜかいつもより冷たく感じた。
「……なるほど。なるほどなるほど。それではご案内いたします」
まるで水中から酸素を求めるために上昇するかの如く、彼は進行方向へと向き直る。歩き出す彼は、体の使い方を忘れていた。数歩の間、同じ側の手と足を同時に動かしているのを俺は見逃さなかった。
――ふう、イケメンに勝利してしまったぜ。ジャイアントキリングってしまったぜ。
ミストよ、どこかで俺の雄姿を見ていたか? 俺の完全勝利を。
彼は逃げの「なるほど」を使った。「なるほど」は便利だ。理解していなくても一応の返事として、とりあえずそこに置くことで、会話の成立という外形を保てる。脳死状態でも「なるほど」を使えば、それなりの会話の体裁を作ることができる。
「なるほど」は潤滑油と言っても過言ではない。面接において「あなたはどのような人間ですか」と問われた場合に、「私は『なるほど』のような人間です」と答えることがトレンドになる日も遠くない。
ただ、勘違いしてはならない。これは「なるほど」が万能な故に逃げの一手なのである。俺との会話において彼は、そこにはまる適切なピースを探すことができず、どこにでもあてはめることができる凹凸のないピースを選んでしまった。
密室トリックに対して、「犯人はこいつ! トリックは瞬間移動をした!」と言うことと同じだ。密室自体は解決できている。彼も同様に会話自体は成立させた。
残念だったな、イケメン! 普通の人には気づかれなかったかもしれないが、普段から「なるほど」を多用する俺には、すべてお見通しだ!
表立って勝鬨を上げることができない俺は、体育大学の行進のごとく地面を踏み鳴らして歩いた。自分で踏み鳴らす音を喝采の拍手にみたてて酔いしれた。
◇◇◇
イケメンが一軒の家の前で立ち止まる。
「つきましたよ。ここが我が家です。」
なるほど以降は一切振り向かず、一切口を開かなった彼の声と顔を随分と久しぶりに感じる。
示されたその家は、他の家とあまり変わらなかった。丸太で組まれたそれは、オオカミの息では吹き飛びそうもないが、堅牢であるとは言い難い。この世界の普通はわからないが、この村ではこれが普通みたいだ。
「どうぞ、入ってください。今は一人で住んでいるので広くはありませんが」
扉を押さえ、中へと促す彼の様子は、出会った時と変わらない。どうやら、俺のイマジナリー妹のくだりの記憶は抹消されたらしい。
「おじゃまします」
この世界での初の屋内に心は踊るが、行進をはりきったおかげで足は重い。
正面にはテーブルに椅子が四つ。その奥には廊下が続いており、寝室かトイレか風呂か、ここからではわからないが、まだ部屋はあるみたいだ。振り返ると、入ってきた扉の横には調理場がある。外観からの予想を裏切らない中身だった。
「そちらにお掛けになってください。今お水を用意しますので」
彼は調理場の方でなにやら始める。
ああ、ここは水道がないのか。どこかから汲んできて、貯めておくパターンか。この村がそうなのか、この世界がそうなのかは気になるところだ。
お言葉に甘えて、椅子を一つ使わせてもらう。
腰掛けた瞬間に疲労が一気に全身にまわる。足は、ただ付いているだけの飾りのように感覚がない。上体は姿勢を保つことができずに、テーブルに突っ伏す形になる。全身が悲鳴を上げている。内部的な筋繊維もそうだが、投げられた時にうった背中も軋む。二度と椅子から立ち上がることはできないかもしれない。
よくここまで歩いて来れたな。調子に乗って行進なんてするんじゃなかった。
ここに辿り着くまでの間に結構村人がいたな。みんな農作業をしていた。老婆、中年、老婆、翁、マダム、中年、翁……、みんなチラチラとこっちを見ていたな。よそ者が珍しいのか、行進のキレに見惚れていたのか。
異世界転生一日目で張り切り過ぎたのか? どちらかといえば不可抗力だよな。今生きているのも奇跡みたいなものだし。
だめだ。体も心も擦り切れきって、今はほぼ霊体状態だ。考えることすら億劫だ。
今日はこの村に泊めてもらうとして、水を飲んだらミストを探しに行こう。彼女が自分で村民と交渉して泊めてもらう可能性はゼロだ。俺が行かなければ絶対野宿する。
もし彼女が野宿をしたら、どこからともなくオークかゴブリンが来て襲われてしまうだろう。この世界に存在していなかったとしても、別の世界から転移してきてしまう。「勇者に討伐されたオーク(ゴブリン)だけど、異世界転生して金髪童女とムフフしちゃった」という作品が完成してしまう。
それだけは阻止しなければならない。この霊体に鞭を打ってでも。
「大丈夫ですか? 相当お疲れのようですね」
テーブルと一体化していた俺の眼前に、木製のコップが音を出さずに置かれる。
軟体生物だった俺は、途端に骨格を取り戻す。まるで板が入っているかのような美しい背筋を披露し、コップに手をかける。
「いただきます!」
人生「いただきます」ランキングの上位に食い込むほどの「いただきます」が出る。
持った反動で波打つ水面。波による反射の変化が、神々しさを演出している。もちろん、俺が干物状態の今限定の神々しさだが。
心配がないわけじゃない。失礼な話だが、どこで汲んできたかもわからない水だ。耐性がない俺はお腹を壊すかもしれない。
でも、もう汗も出ていない。唇は、飲もうとした水をすべて吸収してしまうのではないかというほど渇いている。おそらく脱水状態になっている。飲むしか選択肢はないのだ。
というか飲みたい!!
勢いよく一気に体へ流し込む。
唇、のど、食堂、胃。渇いた部分に足跡を残しながら、ゴールまで辿り着く。
「ぷはあーーー!」
急に入ってきた水分に体が溺れたのか、息継ぎのような声が出る。
おいしすぎて涙が出そうになるが、補給したばかりの水分を出すわけにはいかないので我慢する。
涙を我慢した瞼が重くなる。
涙は我慢できたが、閉じることは我慢できそうにない。
閉じかけた視界の中で、爽やかではない笑顔の彼がいた。




