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魔王のすゝめ  作者: ぷにこ
第六章 魔王といにしえの森
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第99話




「な、なんだよこれ……キノコだらけじゃんか」


「どうして、こんなことに……」


 壁によじ登って恐る恐る向こう側を覗き込み、青ざめて顔を見合わせるゴブリンたち。この反応からして、壁の向こうが昔からこの様子であったわけではないらしい。まあ、そうだろうなと思ってはいたが、ひどい有り様だ。木々も地面も、全てが白い苔に覆われ、そこらじゅうにキノコが身を寄せ合って生えている。


 この立ち込める白い煙は、霧ではない。胞子。

 幾億もの群れを成してたゆたう、菌族の子らだ。


 だとすればこれは、ただごとではないぞ。花の一輪がどうとか言ってる場合ではない。


 このまま放っておけば、いずれこの壁すらも蝕まれて朽ち果てる。そうなれば、たちまち森全体が腐る。この森に生きる多くの種族が、住処を追われることになる。花の入手はもちろんだが、それはそうとしてこの惨状を何とかしなければ。


「(…………俺は、この森の民ではないが)」


 だが、それでも。一人の魔王として、今やるべきことはただ一つ。目を逸らさずに、立ち向かう。この現状に。この惨状に。立ち向かわねばなるまい。


「ど、どうしよう。兄ちゃん」


「ボクたち、どうすれば」


 いくつかの無垢な眼が、俺に突き刺さる。引き下がれば、何の罪もないこいつらにも被害が及ぶ。ミゥの村に居た子供たちもだ。俺はひとまず一人一人を撫でてやり、頷く。


「お前たちは村に戻れ。ミゥにこの事を伝えるんだ」


「でも、兄ちゃん。川が」


「それなら心配はいらない。俺が橋を掛けた。その道をずっとまっすぐだ。いいか、ミゥに伝えろ。これは、森の危機だ。エルフの領土は菌族に侵されて腐り果てている。いつ壁から漏れ出すか分からない。一刻も早く避難しろと」


「わ、わかったよ。でも、兄ちゃんはどうするの?」


 白く濁った森を見据え、深く息を吐く。


「……彼女を追う。この壁の向こうに、まだ生き残りが居るのかもしれない」


「か、壁の向こうに行くの!?あ、あの死体が見えないのかよ!兄ちゃんも、あんなふうに」


「――――いいから行けッ!!早くッ!!」


 声を張り上げ、睨み付ける。ゴブリンたちはびくりと怯んで顔を見合わせ、頷く。そうしてすぐさま壁から飛び降り、焦げて倒れた仲間を背負って俺が来た道を駆けてゆく。俺はその背を見送り、やがてその影が見えなくなるのを見届けてから、改めて白い森に目を向ける。


「(まともに吸えば、すぐに倒れちまいそうだ)」


 四方八方。逃げ場はない。空気を埋め尽くす胞子の中、彼女を追おうというのか。全く、ほとほと自分に呆れてしまう。そんなこと、出来るわけがない。それこそ、無茶だ。


「(……だが)」


 出来るわけがない。そんなものは、諦める理由にはならない。


 俺は手のひらに握りしめた青白い花びらをそっと手放し、白い森に放つ。すると、森の中を埋め尽くす胞子の波がざわついて引き返す。まるで、花びらから逃げるかのように。ひらりひらりと舞い落ちる花びらの周りには、胞子の波が近づかない。その動きを、俺は見逃さなかった。


「(やはりか)」


 あれらは、砂埃ではない。その全てが、意思を持つ生物。脅威を、本能的に察知する。やがて、花びらは地面に落ちる。たちまち、白い地面がじゅわと溶けて土の色が顕になった。


「これだ」


 思わず、笑みが溢れる。俺は壁の上で深く息を吸い、ぎゅっと口を結んで白い森に飛び降りる。ふわりと渦巻いて押し寄せる白い津波も、着地と共に俺を出迎える小さな隣人たちも気に留めず、すぐさま拾い上げた花びらを口に放り込んで息を吐く。


 吐き散らしたその息が、白い津波を押し返す。俺は地を蹴った。


「(どこだ……?彼女は、どこに)」


 もはや動かぬ白い彫像を避けて煙を巻き上げ、白い森を走る。そんな俺の視界に、青い輝きが映り込む。ハッとして足を止めると、白い地面を溶かす花びらが数枚、点々と落ちている。純白に覆い尽くされた森の中では、その美しい青色がよく目立つ。


「(こっちか)」


 俺は彼女の行く先を示す花びらを攫いながら地を蹴り、その軌跡を追う。やがて、立ち込める白い煙の向こうに閃光が迸る。轟く森の悲鳴と共に、風に乗った白い津波が押し寄せる。それらは俺を避けて左右に割れ、眩い青色が目に飛び込んでくる。


「……っ」


 それは、地面に散らばったグランの花束。その傍に倒れ伏すエルフの少女と、のたうつ白い腕。赤地に白斑点の傘帽子。そこに居たのは、こくりこくりと頭を揺らす傘を被った女の子。異様なほど長いその腕がエルフの少女を掴み上げると同時に、その足元にボコボコと顔を出したキノコの群れが、たちまちその傘を開いて白い煙を吐き散らす。


「(……この、気配……は)」


 びりびりと、肌が焼け付くような魔力の気配。あらがいようのない、あらがえるはずもない力の奔流に、俺は立ち尽くす。今までにも何度か味わった、この、気配は。間違いない。間違えるはずもない。魔神の気配。つまり、あれは。あの、御方は。



――――魔神ムシュルム。毒と薬を司りし、眠れる姫君だ。



「…………けほ」


 ムシュルム神は小さく咳き込み、深くため息をつく。その真っ白な吐息が、渦を巻いて唸りを上げる。長い腕で傘の下の目を擦り、掴み上げた少女をぶらぶらと揺すって顔を覗き込むその様に、俺は後ずさりそうになる。だが俺は、敢えて一歩を踏み出す。気がつけば、口を開いていた。



「――――その子を、離せ」



 その傘がぴくりと揺れる。白い斑点が無数の眼となって開き、じろりと俺を見た。

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