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魔王のすゝめ  作者: ぷにこ
第六章 魔王といにしえの森
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第92話




「どいてくれ、すまない。通してくれ」


 村の一角。どよめきと共にある一点を見つめるオークたちの合間をすり抜け、その巨体を押しのけ、人だかりの最前列へと割り込む。それと同時に、視界に飛び込んできたその姿にハッとして目を見開く。



「リリア!」



 ばさりと羽ばたく翼と、流れる黒髪。寝床を守るように立ちはだかるケルベロスと睨み合っていたその肩がぴくりと動き、リリアがふらりと振り返る。振り返ったその眼は、どこか虚ろであった。


「リリア……?」


「……」


 返事はない。しかし何か言葉を繋ぐようにその口を動かし、こちらに向かってその手を伸ばす。様子が変だ。だが、リリアが目を覚ました。今はそれだけで、十分だ。俺がその手を取ろうと一歩を踏み出すと、ゴルバが俺の肩を掴んで首を振る。スゥが手綱を握るケルベロスが彼女の合図に牙を剥き、リリアを背後から踏み潰した。


「おい、やめろ!何のつもりだ!離せ、ゴルバッ!!」


「落ち着け、ギルベド。ありゃ、駄目だ。近づいちゃなんねえ」


「くそッ、離せ!おい、ケルベロスッ!!その足をどけろ。てめえ、誰を足蹴に―――ッ!!」


 ケルベロスは弱々しく喉を鳴らし、その足を退けて後ずさる。俺はすぐさまゴルバの手を振り払って人だかりを抜け、むくりと身を起こすリリアを強く抱きしめる。


「リリア。大丈夫か?俺のことが分かるか?」


「よせギルベド!離れろ!今のソイツは、オメの知るソイツじゃねえ!」


「何だと?一体、何を――――」


 リリアの肩をしっかりと抱いたまま、ゴルバのほうへと振り返った、その瞬間。ぶつりと、首に鋭い痛みが走った。



「…………ッ!!」



 声も出ぬほどの、激痛。俺の首に食らいついたそれがリリアの牙であることは、すぐに分かった。分かったが、理解が追いつかない。何故、どうして、そんな言葉と共に理解を拒んだ俺の意識は、しかし溢れる鮮血と痛みによって現実へと引き戻される。吹き出したそれが頬に跳ねた。


「ぁ、ぐ…………う、っ……!」


「ギルバート!」


 周囲を取り囲む人だかりの中から、俺を呼ぶ声が響く。雑踏に紛れて佇むハルが、泣きそうな顔で俺を見ている。そんな顔で俺を見るなと、大丈夫だと、たったそれだけの言葉を吐き出すことも出来ず、膝から崩れ落ちる。リリアの鋭い牙がより深く食い込む。その口が俺の血を啜り、じゅると音を立てるたびに、力が抜けてゆく。


「……どうした、リリア。腹が、減っ、たのか……?」


 血と共に意識を削り取られながらも、俺はリリアの頭を抱く。しかし返事らしい返事はなく、食いしん坊な相棒はただ一心不乱に俺の血を吸い上げる。やがて霞み始める意識の中、巨大な影が動いた。


 それは、三つ首の獣。一度は後ずさったケルベロスが再び牙を剥く。


「ガルルォッ!!」


 リリアは動かない。俺から離れない。唸りを上げたケルベロスはその無防備なリリアの襟首に噛みつき、その巨体を以て強引にリリアを引き剥がす。


「……ッ」


 長い牙が抜ける感覚。無理矢理に俺から剥がされたリリアの口からは血と唾液の糸が引き、その眼はなおも俺の首を見つめ続ける。そうしてケルベロスの口元に吊り下げられたリリアは暴れる様子もなく四肢を投げ出し、やがて大きく首を振ったケルベロスによって泥沼へと放り込まれた。


「……リリア……」


「ギルバート!」


「こんの、バカ野郎!だからよせって言ったんだ」


 倒れ伏す俺の肩をハルが抱き、駆け寄ってきたゴルバが布を俺の首にあてがう。


「血止めだ!はやく持ってこい!」


「オラの布も使ってけろ」


 他のオークたちの手も借りつつ、俺はひとまず屋根のある場所、寝床のひとつへと運び込まれる。だが、まだ騒動は終わっていない。沼に投げ込んだ程度では、リリアは止まらない。止まるはずもない。沼のほうに渦巻く魔力と、地面の揺らぎに、オークたちはたじろぐ。やがて、泥沼から黒い影が這い上がる。


「……」


 泥を弾き飛ばす翼。地面に付くほどに長く伸びた髪の合間に、爛々と光る眼。すらりとした長くしなやかな足が土を踏む。先程までの小さく愛らしい姿とは違う、傍目にも豊満な美女が、その拳を握りしめる。その髪の一部には、白い根のようなものが広がりつつあるのが見えた。


「(なんだ、あれは)」


 しなやかな影が、一歩を踏み出す。オークたちはその眼に気圧され、後ずさる。しかし、ただ一人。まるで怖気づく様子もなく、布きれのような服を着直しながらため息をつく。小さなその背に、オークたちの視線が集まった。


「やれやれ、退屈せんのう」


「……」


 一歩。二歩。向かい合ったその一瞬。族長が地を蹴ったその瞬間。大きく膨れ上がった影が、その場の全てを闇に包み込む。しかしいくつもの悲鳴が上がると同時に弾け飛んだそれは、泥沼のふちにリリアとなって倒れ込んだ。



「……また此奴か。まったく。忌々しい」



 ふんとため息をつく族長。頭上に高く掲げたその手には、白い根のようなものが絡まっていた。

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