第91話
案内されたその場所は、村の中でもひときわ大きな家の前。
他の家のそれよりも立派な丸太によって支えられた屋根には竜族のものと思わしき立派な頭骨が飾られ、よく磨かれた無数の頭蓋骨が並ぶその階段を上がってゆくと、やがて見えてきたその奥にはあまりに大きな骨剣と、巨大な玉座。巨体のオークが二人並び座ることも出来そうなその玉座には、しかし小さな女の子が腰掛けていた。
薄い灰色の肌に、銀の髪。金の瞳。魔術的な白と黒の紋様を彫り込んだその肌を恥ずかしげもなく晒し、手にした骨の杖を退屈げに揺らすその少女は、ちらりと俺を一瞥してその動きを止める。横に並び立つゴルバがさっと跪いた。
「族長。よそモンが、挨拶をしてえと」
ぺこりと、俺はひとまず頭を下げる。屈強なオークの族長というからにはどんな大男が出てくるかと思えば、随分と可愛らしい族長様だ。しかしながら、髪や肌の色が他のオークとは違う。特別な血筋の者か、ただ珍しい肌色なのか、どちらにせよ、失礼のないようにせねば。
「……」
オークの小さな族長は骨杖をその指先にくるりと回し、玉座のふちをぽこんと叩く。ゴルバは「へえ」と頷いて一礼し、俺の背をぽんと叩く。
「族長だ。ちっこいが、村の誰よりもつええ。……頑張れよ」
「……頑張る。って」
ゴルバは頷き、もう一度俺の肩を叩いて踵を返し、のそのそと階段を降りてゆく。その背を横目で見送り、改めて玉座の方へと振り返ると同時に、俺の胸にぺたりとくっついた小さな族長がにまりと笑った。
「……強そうじゃの。お主」
くっと爪先で立って俺の顔に触れ、その灰色の指を俺の顎に滑らせる。その指が俺の鎧の襟元を掴んだかと思うと、俺の腹周りに添えられたもう片方の手が俺の体を持ち上げる。ぎょっとして身構える間もなく、俺の足が浮く。たちまち、俺は宙に浮き上がった。
「……っ」
「うん。よい筋肉じゃの。ずっしりと重く、詰まっておる。良い種を作りそうじゃ」
ぐおん、ぐおんと、俺の体はまるで小枝のように虚空を飛び跳ねる。そのたびに細い腕によって軽々と抱きとめられ、また投げられ、抵抗らしい抵抗も出来ぬまま、俺はただ弄ばれることしか出来ない。
「な、なにを!くっ……」
子供らしい無邪気な笑い声と共に、俺は床へと叩きつけられる。たったそれだけでも凄まじい衝撃が全身を打ち付け、無様にも床を転がって頭を打ち付ける。その衝撃に意識が揺らぎ、吐き気を催し、なおも休ませては貰えない。俺は腕を捕まれ、半ば無理矢理身を起こされる。
「ほれ、立たぬか。妾を楽しませてみよ」
「……う、ぐ」
促されるまま、立ち上がる。とんだ歓迎だ。これじゃあ身が保たない。
何故俺が、こんな目に。そんなことを考えている暇もなく、ちかちかと瞬く視界に金の眼光が尾を引いて迫る。伸ばされるその手を咄嗟に打ち払うも、振り払ったはずのその手が俺の手を掴んで捻じ曲げる。肩に電撃が走り、全身が強張ったその瞬間、白い歯が覗く。身を翻して俺の懐に潜り込んだその拳が、俺の顎を撃ち抜いた。
「が……ッ、ぁ……」
頭蓋ごと貫くようなその衝撃に意識が吹き飛び、後頭部を打ち付けるその痛みに吹き飛んだ意識が舞い戻る。ハッとして息を吐いた俺の顔に、小さな足が勢いよくめり込む。少女特有の丸みを帯びたその足の感触も、むちりとした柔肌が重なるその景色も、痛みの対価にはなり得ない。
「……っ」
「どうした。童には手を上げられぬか?青いのう」
ちろりと覗く青い舌がぷっくりとしたその唇を舐め、にんまりと細められたその眼が俺を見下ろす。その挑発的な表情に、俺の中の何かが燃える。俺は、頬を踏みつけるその足首を、掴んだ。
「んお?――――ぉ」
掴んだその足を、外側に向かって勢いよく引っ張る。その小さな体がずるりと滑ったその瞬間。俺は跳ね起きてその無防備な腹に頭突きを叩き込む。頭上に零れ出た嗚咽もお構いなしに握りしめた足ごとその体を振り回し、ブン投げる。小さな体が床を跳ねた。
「――――え"ぅ」
何度か床を跳ねて転がった小さな族長は、飾られた巨大な剣に背を打ち付ける。
「はあ」
膝に手を付き、深く息を吐く。全く、温厚なオークたちに比べて、族長は随分とやんちゃじゃないか。ゴルバめ。頑張れとは、こういうことか。それならそうと、もっと早く言ってくれれば良いものを。おかげで無駄な体力を使ってしまった。
「――すまない、族長どの。怪我は」
「ミゥ、だ」
そう呟いた族長は腹を押さえながらのそりと立ち上がり、その足を微かに震わせて顔を上げる。流石に魔族。この程度では何てことはないようだ。
「妾はこの地に領を持つ魔王、ミゥ=レムリアじゃ。ミゥと呼べ。お主。名は」
「……ギルバート。領無き魔王だ。しばらく、この村の世話になる」
「そうか。ギルバート。うむ。うむ。ようやっと、妾に釣り合うオスが来たか。あぁ、待ちわびておったぞ。この日をどれだけ待ったか。はあ、腹が疼く……」
息も絶え絶えに言葉を紡ぐその瞳は熱っぽく濡れて光り、その擦れる内腿には透明なものが伝っている。俺の頬に冷や汗が伝った。
「のう、ギルバート……もう少し、楽しませておくれ」
「待て。待て待て。俺は――」
その肌に絡む布きれを脱ぎ去り、歩み寄る族長ミゥ。俺は咄嗟に後ずさるも、するりと腕を抱かれてしまう。そうしてミゥが唇を舐めたその時、何者かがドタバタと階段を駆け上がってくる。その足音に振り返ると、やがて階段を登ってきたゴルバが床に膝をついた。
「すまねえ族長。ギルベド!てえへんだ。オメのツレが――――!」




