第64話
「(さて、と)」
俺は氷の街灯に背を預け、改めて広場を見渡す。
支給されたものであろう布を抱いて座る者。簡易的な寝床に横たわり、静かに眠る者。ただすすり泣く者。同胞と身を寄せ合い、散った命に思いを馳せる者。多種多様な大勢の獣人が集められた広場はざわざわと賑やかではあれど、どこかどんよりとした重苦しい雰囲気に包まれている。
ぼーっとしている者も多く、皆、どうすれば良いのか分からないといった様子だ。
「(まあ、無理もないか)」
なにせ、平穏な日常がある日唐突に崩れ去ったのだ。
当たり前のように存在していたものが、突然失われたとなれば、誰でも呆然としてしまう。俺とて、例外ではない。しかし俺にはやるべきことがある。ク族の里の者たちを救うことは出来なかったが、助けを必要とする獣人はまだいるはず。何よりもまずは、あの可愛らしい恩人の安否を確認しておきたい。のだが……
「(……いない)」
広場をぐるりと見渡し、人混みの中に目を凝らすも、モニカやベルさんの姿は見当たらない。まさか、と、不安が脳裏をよぎる。俺は足早に通路を横切った。
「すみません。ヒトを探しているのですが」
目についた犬の獣人、ク族の女性たちが身を寄せ合う寝床に歩み寄り、膝を折る。心ここにあらずといった様子で干し肉を齧っていたク族の女性たちは、どこかぼんやりとした眼で俺を一瞥した。
「はあ。人探しですか……」
「騎士さまも、大切な方と逸れてしまったのですね」
「ああ、どうしてこんなにもつらいことばかり……どうぞ。一番の肉厚です」
おずおずと差し出されたそれを受け取り、頭を下げる。
「ありがとうございます。それで、あなた方は……ク族の里の方、ですよね?里の入り口を入って右の突き当りの家に住んでいた、ベルという名の女性と、モニカという名の女の子を知りませんか?少しふくよかな、赤毛の女性と、頭に大きな角を持つハーフの女の子なのですが」
俺がそう尋ねると、女性たちは顔を見合わせた。
「モニカって、あの、大きな鞄で私達の大切な荷物を運んでくれた子よね?」
「そうそう、ギ族のハーフの子。里に置いていけないもの、色々運び出してくれたわ。そういえばあの子、ベルが世話をしてたわね」
「あぁ、もしかしてあなた。モニカちゃんと一緒に里に来たっていう……」
「はい。それで一夜のうちに逸れてしまって……二人がどこに居るか、知りませんか?」
女性たちはそれぞれ辺りを見渡し、再び顔を見合わせる。
「あら?ベルなら、さっきまで近くに居たんだけど……」
「モニカちゃんと一緒に居たわよね。何処行っちゃったのかしら」
「あぁ、そういえばさっき、モニカちゃんの荷物がどうとかって、ネ族の衛兵さんと何か話しながら向こうの方に歩いていくのを見たわ。私達の荷物とか、かさばるものは向こうの空き地にまとめてあったはずだから……多分、まだ向こうに居るんじゃないかしら」
「向こう、ですか」
女性が指し示す方に目を向ける。ちょうど、俺たちが入ってきたところからまっすぐ奥へ道なりに進んでいけば良さそうだ。
「分かりました。行ってみます」
俺は立ち上がって一礼し、受け取った干し肉を兜の中に押し込んで齧るような素振りを見せつつ踵を返す。
ひとまず、二人が無事であることは分かった。
まだ顔を合わせたわけではないが、ここは何処よりも安全であると評判の国。楽園とまで言われるこの街に無事辿り着くことが出来たのならば、もはや身の安全は保証されたようなもの。モニカは里の人々の荷物を肩代わりしていたようだし、恐らくは荷物の整理でもしているのだろう。
「……」
帰るべき場所を失った獣人たちは、未だショックから立ち直れていない者が大半である。せっかく配られた食事にも手をつけず、ただ膝を抱いている者もいる。
モニカのそれと似た、大きな角を持つ獣人。恐らくはギ族と呼ばれる者たちも、見た限りでは女性や子供ばかりが生き延びている。時を同じくして襲撃を受けたであろうギ族の里でも、同じような出来事があったはず。ギ族の男たちもまた、女子供を逃がすために懸命に戦ったのだろう。そう思うと、こみ上げるものがある。
「(種を保つための本能か。あるいは……)」
落ち着いたら、かの勇敢な戦士たちにも挨拶をしなければ。無駄では無かったと。その勇気のおかげで、多くの子供が生き延びたと。伝えてやらねばなるまい。
「っと」
ふと、家屋の影から飛び出してきた子供が俺の足に躓いて盛大に転ぶ。見るからにボロボロな古いローブに身を包み、三角の耳を縫い付けたフードを被ったその子は、愛らしい顔をした女の子。猫のそれではなく、ヒトとよく似たあどけない顔だ。
恐らくは、モニカと同じ獣人と人間のハーフであろう。俺は膝を折って屈み、手を差し伸べる。
「すまない。怪我はないか?お嬢ちゃ――――」
「――――ぎにゃああぁぁぁあぁぁ~っ!!」
驚くほど大きな、悲鳴。すぐさま身を丸めて蹲るその様に、思わずぎょっとして思考が凍りつく。よく響くその声に、近くに居た獣人たちの視線が俺に突き刺さる。
「う、うぐ……ひっく……ぁ……」
苦しげにうめき声を上げ、蹲ってすすり泣く少女。確かに盛大に転びはしたが、そこまでの大怪我をするような勢いではなかったぞ。と、そんなことを考えているうちに、突き刺さる視線が冷ややかなものへと変わってゆく。
「……お、お嬢ちゃん……?」
「ふぇ……ぁぁぁ……あう、う、ぁぁぁあああんっっ!!にゃああぁあ~~~!!」
どうすることも出来ぬまま、ついに少女は大泣きし始める。その声は、遠くまでよく響く。
「……っ」
気がつけば俺は、顔をしかめた猫の衛兵たちに囲まれていた。




