第61話
「さあ、殴られたい奴から前に出ろ!順番にぶん殴ってやるっ!」
その拳を握りしめる、小さな勇者アレクサンダー。
あどけなさが残る外見に似合わぬ力強い声と、その身に宿りし神の加護。揺らめく力の気配に、黒服たちは顔を見合わせて後ずさる。それと同時に雑踏の向こうから鋭い矢が飛んでくるも、アレキサンダーはひょいと首を傾げて躱す。雑踏にどよめきが走った。
「飛び道具、ってのは―――」
その小さな手が、瓦礫の木材を掴む。家屋の屋根を支えていた巨大なそれが高く掲げられ、黒服たちが息を飲む。
「――こうやってェ、使う、ん、だよぉッッ!!」
投擲。その手から放たれた巨大な瓦礫が、低く弧を描いて黒服たちを吹き飛ばす。衝撃と共に響き渡る阿鼻叫喚と、押し潰される雑踏。身動きの取れない有象無象を目掛けて次々と投げ込まれる瓦礫の雨が、悲鳴の嵐を巻き起こす。あっという間に、広場は大混乱の渦に飲み込まれた。
「(……派手にやるじゃないか)」
思わず、笑みが溢れる。
あの時殺さなくてよかった。こんな形で再び出会うことになるとは思ってもみなかったが、やはり俺の見立ては間違っては居なかった。あの時あの場所で、殺さずにおいた俺の判断は正しかった。彼は、とんだ逸材だ。
あれだけの大人数を前に怯むこともなく、それどころか怯ませてみせるとは。若さゆえの火力か、それとも。
「(俺も、負けてはいられないな)」
身を隠していた瓦礫を押し退けて立ち上がり、混乱の渦中に木材を蹴飛ばす。また新たな悲鳴が上がり、倒壊した家屋の柱を振りかぶっていた少年がハッとして振り返る。
「手を貸すぞ。少年」
「……その声。あなたは、まさか。あのときの」
「話は後だ。あいつらをブン殴りたいんだろう?ちょうど、俺も同じ気持ちでな。手伝わせてくれないか。勇者殿?」
「…………はいっ!」
小さな勇者と並び立ち、共に拳を構える。まさか、勇者と並び立つ日が来ようとは。しかし今の俺は、魔王であり、名もなき旅人でもある。眼の前の悪党を放って置けない、ただの腕自慢だ。
「こ、この野郎……ふざけやがって」
「なめるなよ。ガキが」
「囲め!囲んじまえ!」
その表情に苛立ちの炎を燃やす黒服たちが、ぞろぞろと辺りを取り囲む。アレクサンダーに背を預け、静かに拳を握りしめて睨みつけると、雑踏の向こうから三つ首の犬が首輪を引かれてのそりとその足を踏み出す。背後、アレクサンダーの正面には、巨大な鳥の化け物がばさりと舞い降りた。
「グルル……」
鋭い眼をぎらりと光らせ、牙を剥くツギハギの魔獣。美しかったであろう毛並みはボサボサと跳ね、節々に痛々しい縫い跡が剥き出しになっている。全く、哀れな獣だ。捕らえられ、切り裂かれ、異なる存在として望まぬ姿に生まれ変わるなど。もはや、救いようもない。
「……」
「ウゥ」
静かに睨みつけると、獣は喉を鳴らして後ずさる。俺が一歩を踏み出そうとすると、獣はギリリと再び牙を剥く。
「ガルルァ」
しかし、威嚇はすれども食いついては来ない。威嚇は、「それ以上近づくな」という合図。戦いを避けようとする、獣の意思表示。
利口な獣だ。この獣は、自分の力が俺に及ばぬことを本能的に理解している。利口な獣は、勝てない相手には挑まない。勝敗は目に見えている。挑んだところで怪我を負うだけ。故に、引く。生き続けるために。自然の世界においては、少しの傷も命取りになるからだ。
歪な化け物に成り果ててもなお、獣の本能は健在か。
「どうしたケルベロス!何をしている」
「そいつを食い殺せ!その自慢の顎で噛み砕くんだよ!」
「さっさと殺せよ。この役立たずが――――ッ」
喧しい野次と共に、黒服の一人がムチで獣を叩いたその瞬間。勢いよく振り返った三つ首の一つが黒服に牙を剥く。その巨大な牙が、愚かな主を噛み砕いた。
「ガルルァ……ォォォオオッッ!!」
「ひッ……ひぃいい」
「うわああぁ、ああっ!逃げろ!逃げろぉっ!!」
乱れる雑踏。飛び散る悲鳴と鮮血。怒れる獣が黒服を踏み潰し、三つ首が肉を貪り、吼える。再び巻き起こる混沌と阿鼻叫喚。アレクサンダーを覗き込んでいた鳥の化け物もその大騒ぎに興奮して暴れ始め、雑踏を蹴飛ばし、がむしゃらに逃げ惑う黒服を啄む。発狂して殴りかかってくる黒服を殴り返し、俺はアレクサンダーの腕を掴む。
「アレクサンダー!ここは危険だ。少し離れるぞ」
「は、はい!」
小さな勇者の手を引き、混乱の渦中を走る。顔を合わせた黒服を殴り倒し、蹴飛ばし、瓦礫の合間を縫って里の入り口を目指す。その瞬間、黒い針のような脚が俺の行く先を塞ぐように突き刺さった。
「!」
はっとして顔を上げる。そこに居たのは、蜘蛛脚の化け物。その姿とは裏腹にあどけない顔をした少女がにこりと笑い、首を傾げた。
「みんなで、かけっこ?」
「あぁそうさ。お前さんのゴールは向こうだぜ」
広場のほうを指し示し、化け物の視線が広場のほうへと向いたスキをついてその股下をくぐり抜ける。そうしていくつもの瓦礫を飛び越えていくと、すぐに崩れた門の残骸が見えてくる。そのすぐ傍には、見覚えのある人影が佇んでいた。
「ガーランド!エリザベス!」
「あっ、ギルバート!一体全体何の騒ぎ!?ってかその子誰よ!」
「迷子だ。とにかく里を出るぞ!」
「……何なのよ。もう……」
響き渡る阿鼻叫喚を背に、俺は里を飛び出した。




