第55話
「ああ、あ、会いたかったよ。エリザベス。会いたかったんだ。会いたいよ。君に」
ツギハギの化け物は何度か同じ言葉を繰り返し、咳き込んで床を汚す。小人たちは怪我人を連れて光り輝く風となり、ざあと音を立ててその姿を消す。エリザベスはその愛らしい顔を嫌悪に歪め、微かに首を振りながら後ずさった。
「エリザベス。僕はね。嬉しいんだよ。ようやく、ようやく僕を癒やしてくれる気になったんだね。なったんだよね。なあ、そうなんだろう?ああ、夢のようだ。エリザベス。君が、こんなにも、近くで、僕は、君を、近く。近くで。ああ、嬉しいよ。痛い、ああ、ぐぇあ、げほっ、げほ」
「……こないで」
「エリザベス。君を見ていると胸が痛むんだ。まるでぱっくり裂けてしまったみたいに。あぁ、今も痛むよ。痛いよ。痛い。痛い痛い痛い!助けて!誰か、誰か助けて!ああぁ!あああああっ!」
化け物は突然倒れ込んだかと思うとその場でのたうち回り、綺麗な床に真っ赤な鮮血を撒き散らす。
「うるさい……うるさいうるさい!騒ぐな。ああ、エリザベス。ごめんよ。静かに……静かにしろ……痛い、痛い……黙れって言ってるんだよ。黙れよォッ!!あああッ、ああああぁ!!」
「……っ」
ぶつぶつと支離滅裂な言葉を繋ぎながら身を起こし、その鋭い爪で床を引っ掻く化け物。エリザベスは微かにその肩を震わせながら、両手で口を覆っている。そんな両者の様子が視界に収まるその位置で、俺は身動きが取れずにいた。
「(何なんだ、あいつは)」
獣の脚と、歪な両腕。肌の鱗と、異なる形の翼。見るからにチグハグな、異形の化け物。その全身からにじむ気配は人間とよく似ていて、しかし魔族のようでもあり、獣人のそれとも似ている気がする。
まるで、いくつもの生物を強引に繋ぎ合わせて形作ったかのような、不気味な姿。あんなものは、見たことがない。
「はー……はー……」
大きく裂けた口から白い息を吐き散らし、大きさの違う眼をギョロギョロと蠢かせるその様子からは、理性の色は見えない。とうに正気を失っているであろうことだけは、誰の目にも明らかであった。
「エリザベス。頼みがあるんだ。見ておくれよ。こ、この傷……ひどいだろう?猫の奴らにやられたんだ。ひどいよな。あいつら。こんなに、こんなにざっくり切りやがってよお。僕はただ、あいつらを殺したかっただけなのに」
「……」
「違う。違う違う。殺すつもりなんか無かったんだ。信じてくれよ。エリザベス。痛いんだ。胸が痛いんだ。助けてくれよ。君の、その手で、僕を抱きしめておくれよ」
口早にそう言った化け物は歪な両腕をぎこちなく広げ、エリザベスに歩み寄る。後ずさるエリザベスを追うようにして、俺の眼の前を横切る。その瞬間、ふとこっちを向いた化け物と目が合った。合ってしまった。化け物がぐねりとその首をねじり、その口を緩めた。
「やあガストール。いたのか。久しぶりだね。僕のこと覚えてるかい?エドだよ。覚えてるだろう?どうしたんだよ、ぐったりしちゃってさ」
太く強靭な獣の脚が一歩を踏み出し、俺の頭に触れようとした。その瞬間。
「っ」
俺の顔のすぐ隣。床の一部が鋭い氷柱へとその形を変え、歪に膨れ上がった化け物の手のひらを刺し貫き、たちまち氷に包み込む。俺の顔を覗き込んだツギハギの顔が、ぐねりと首をねじって振り返る。俺も同じ方へと目を向けると、エリザベスが静かにその手をこちらに向けていた。
「……触らないで」
静かな。しかし確かな、拒絶の言葉。化け物は何事も無かったかのように氷を砕いてその手を握り、その鋭い刃のような爪で床を掻く。
「あぁ、ごめんよエリザベス。そうだね。そうだよね。ガストールは遠征帰りで疲れてるんだ。そうなんだろう?」
「…………」
エリザベスは、きゅっと唇を噛む。その頬に、涙が伝ってきらりと光る。ぴんと張り詰めたその指先を払うと同時に、放たれた光が虚空を貫いて化け物の胸に弾けた。
「お?おお!」
肩口から脇腹まで一撫でしたかのように刻まれたその傷が光に包まれ、みるみる塞がってゆく。どばどばと溢れ出していた血もその全てが体の中へと帰ってゆき、やがてその傷は跡形もなく綺麗に消え去った。
「おお、おおお!すごいよ。エリザベス。ありがとう。ありがとう。ありが――――」
繰り返される言葉が、ぴたりと止まる。歪ながらも晴れやかな笑顔が凍りつき、その眼が別々の方を睨んだかと思うと、そのチグハグな肉体がボコンと音を立てて膨れ上がる。その大きな腕が、傷の塞がったその胸が、その腹がもこもこと膨れ上がり――――
「ァ」
――――そして、弾けた。
「……っ」
飛び散る肉片。降り注ぐ血の雨。エリザベスが顔を逸らしてへたり込むと同時に、化け物だったものが膝をついて血の海に沈む。弾け飛んだ腕が勢いよく床を跳ねて転がり、何度か痙攣してそのまま動かなくなった。
「…………ごめん、なさい……エド……」
床にぺたりと座り込み、啜り泣き始めるエリザベス。その姿は、魔王と呼ぶにはあまりに小さく、弱々しい、いたいけな少女そのもの。しかし俺は、そんな彼女を慰めてやることは出来ない。声を殺して泣く少女の肩を、抱いてやることが出来ない。
今の俺は、どうしようもなく無力だ。
「!」
そんな俺の視界の端に、うごめく影。血の海に身を起こす、肉の塊。よろめきながらも立ち上がったその影に、エリザベスは気づいていない。咄嗟に声を上げようとした俺の喉が、ぎゅっと詰まる。いや、しかし。このままでは。
「――――ッ」
『それ』が床を蹴ろうとしたその瞬間。俺の体は無意識のうちに動いていた。
「!」
ばしゃと血を踏み、拳を叩き込む。肉が潰れて弾け、骨らしきものを砕く感触が拳を通じて鎧に響く。化け物だったものが嗚咽と鮮血を吐き散らし、透き通る壁にめり込むと同時に、エリザベスがはっとして顔を上げた。
「おにぃ、さま…………?」
涙に濡れた、透き通る瞳。俺はその美しい眼を一瞥し、黙って背を向ける。
「…………」
静寂。輝く壁を血で汚した肉の塊が、ぎろりとその眼を覗かせた。




