第42話
「……」
雪の上に点々と残された、銀色の液体。それを辿って歩きながら、息を吐く。
それが一体何なのかはわからないが、ひとまず手掛かりとなりそうなものはこれしかない。だが、深追いは危険である。なにせ、あれだけの数を一息に蹴散らすような奴だ。きっと計り知れない力を秘めた化け物であろう。
この足跡から察するにそれほど大柄なわけではない、むしろかなり小さい……恐らくは子供のような姿をしているのだろうが、油断は出来ない。
まず間違いなく、霊魂を捕らえるすべを持った存在だ。今の俺にどうにか出来る相手ではない。もし相対してしまえば、すぐさま捕らえられてしまうだろう。それだけは、避けておきたい。
「(……このまま無闇に追うのは危険だ。引き返すか?)」
ちらりと、脳裏にそんな言葉が浮かぶ。ふと足を止めれば、そこは既に木々もまばらな広い雪原。なだらかな丘陵が混じりけのない白に染まり、降り注ぐ光を浴びてきらきらと輝いている。きらめく雪と共に流れ行く銀色の風はまさしく、大地の息吹。その光景に、しばし見惚れてしまう。
俺の知らない景色ばかりだ。こんなことなら、リリアを連れてもっと早くに来ておけば良かった。この景色を、一緒に……。
「(と、今はそれどころじゃなかったな)」
ふうと息を吐いて再び足元を見やり、足跡の続く方へと視線を移す。
深追いは危険だと分かってはいるのだが、この足跡がどこへ続いているのかは気になる。ちょうど木々も少なくなってきて、随分と見晴らしも良くなってきた。目を凝らせば奴の影が見えるかもしれない。せめてどんな姿なのか分かれば……。
「(…………見えない、か)」
足跡の続く方向へ目を凝らしてみても、それらしき影は見えない。少し残念な気持ちと共に、どこか安堵している自分もいる。
こちらから見えるということは、恐らくは向こうからも見えるということ。俺が奴の姿を視界に捉えると同時に、奴もまた俺を見ている可能性があったからだ。
この辺りは、エレオノールの墓場のように魔力が濃い場所ではない。普通の動物や人間などに死霊たる俺の姿は見えず、声も聞こえない。だが、あの獣人たちを襲った何者かは違う。やつは霊魂を捕らえるすべを持っている。つまり、この場所においても俺の姿を見ることが出来るはず。
「(……天気が良くて幸いだったな)」
見上げた空は晴れ渡り、辺り一面は眩しいほどの銀世界。これがもし、彼方を往く女神がソラール神ではなくルナール神であれば、ぼんやりと光る俺の姿はきっと何よりも目立ってしまうだろう。それこそ、身の隠しようがない。
こうしてある程度自由に動き回ることも、出来なかっただろう。
「(それは、そうと)」
どうしたものか。
深追いは危険だと分かってはいるが、このままぼうっと突っ立っていてもしょうがない。軽くひとっ飛びして、上空から様子を伺ってみるか。その後どうする。ダメだ。思考がまとまらない。やるべきことと今出来ることが噛み合わない。手に入れた情報と知りたい情報が噛み合わない。
まずい。これはまずいぞ。何も出来ず、何も分からないまま、時間だけが過ぎていく。
「……?」
ふと、『それ』に目が留まる。積み重なった雪が崩れて生まれた白い崖の中に、何か黒いものがきらりと光る。すぐさま駆け寄って見ると、それはどうやら木の枝や石の類ではない。
「(…………剣だ)」
恐らくは、磨き抜かれた剣。雪の中から顔を出したそれは、黒い宝石のような刃の切っ先。曇りも歪みも一切見られない、幅広の美しい刃である。
「(どうにかして、掘り出せやしないか?見事な剣だ。放って置くには惜しいぞ)」
ひとまず周囲を警戒。見渡す限りに何も居ないことを確認し、その刃に手を伸ばしてみるが、俺の指先はその刃をすり抜ける。勢いよく掴んでも、ゆっくりそうっと触れてみても、やはり触れない。ダメか。ならばと俺は一旦手を引っ込めて深く息を吐き、指先に意識を集中させる。すると、俺の指先に宿る青白い光が、白く眩い光に変わった。
「!」
そっと伸ばした俺の手が、その刃に触れる。しかし、その感触にハッとすると同時に白い光は消え、すぐに触れなくなってしまった。
「……」
集中を切らすな。俺はもう一度同じように指先に全神経を集中させ、今度は雪の壁に触れる。再び白い光を纏う俺の指先はその冷たい壁に阻まれる。やはり触れる。肉体が無くとも、何かに触れることは出来る。思わず感動してしまいそうになる気持ちをぐっとこらえつつ、俺は硬い氷のようなその壁に大きく振りかぶった拳を叩き込んだ。
「(――よし)」
確かな手応え。雪の壁にくっきりと残る拳の跡を中心にビシビシと音を立てて亀裂が広がり、やがて崩れ始める。そして溢れかえる雪の塊を押しのけ、さらに掘り込んでゆくと、やがて雪の中に埋もれた漆黒の剣が見えてくる。思わず頬が緩んだ。
「おお」
俺の身の丈ほどもある、幅広の大剣。漆黒の刃の中心には金色の紋様が光を反射して輝き、澄み切った刃はまるで鏡のようだ。
剣の見立てに自信はないが、決してありふれた剣ではないだろう。
「?」
その刃を掴んで拾い上げてみると同時に、何かに引っかかるような感触。多少強引に引き抜いてみると、柄を握りしめたまま凍りついた手甲が付いてきた。
錆の一つも浮いていない艷やかな黒い鋼に、金の紋様。剣の刃に刻まれたそれと同じものである。まさかと顔をしかめて剣を手放し、その柄の方をがむしゃらに掘り返してみると、右手の肘から先を失った漆黒の騎士がその姿を現した。
「(……これは、これは)」
自らが掘り起こしたそれを目の当たりにした俺は、思わず立ち尽くす。
剣の持ち主であろう黒騎士の鎧と共に出てきたのは、いくつもの錆びついた鎧。恐る恐る雪をかき分けるごとに、剣や、槍、弓の残骸も出てくる。
それぞれの鎧の中には、耳の長い人間の死体が静かに眠っていた。




