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魔王のすゝめ  作者: ぷにこ
第二十一章 魔王と大魔王
375/376

第375話



「ッ」



 開戦の言葉は、もはや必要なかった。


 その場に集まった歴戦の魔王たちが、ずらりと並んだ白銀の兵隊が、一斉にその武器を構え、『正義』に襲いかかる。無数の衝撃に部屋が揺らぎ、しかし次の瞬間には、いくつもの影が宙を舞っていた。


「軽いな。魔族の精鋭といえど、所詮はこの程度か」


 宙を舞う巨体。吹き飛ばされる四肢。飛び散り、叩きつけられる肉片。振り下ろされたいくつもの武器はその純白の鎧に傷一つ付けることは出来ず、銀の兵隊がゴミのように蹴散らされる。俺達は咄嗟に飛び込んだ瓦礫の影に身を寄せ合い、ただ歯を食いしばることしか出来ない。空っぽの鎧が舞い踊り、撒き散らされる中、ハーキュリーズは小さなぬいぐるみのような魔王の頭を掴んだ。


「ホエ?」


「そんな小さな羽では飛べまい?そら、手を貸してやろう」


 小さな魔王を掴んで身を翻し、大きく振りかぶるハーキュリーズ。遥か天井に向けて放たれたそれは高い天井も屋根も盛大にブチ抜いて、赤く燃え盛る空に吸い込まれてゆく。悲鳴のような鳴き声が尾を引いて響き渡り、遥か彼方へと消えた。


「ははは、はーっはっは!楽しいなあ。弱い奴らを叩き潰すのは気分がいいな。次はどいつだ?貴様か?貴様か?それとも……?」


 ハーキュリーズは光り輝く刃を振り回し、怯んで後ずさる魔王たちを指し示す。魔王たちは皆牙を剥き、唸り、わなわなとその肩を震わせる。恨み、怒り、そして怯えの感情が渦巻く玉座の間。だが意外にも、バロールとヴァルハザードは慌てる素振りもなく、苛立ちを露わにすることもなく、じっとハーキュリーズを見つめている。


「なんだ、貴様ら。まるで、卑怯だとでも言いたげな顔だな。だが、文句は言わせない。お前たちが、散々やってきたことだろう?どうした?ほら、貴様らの自慢の力を見せてみろ」


 キンと鋭い音を立てて、床に突き立てられる刃。ハーキュリーズはその両手を大きく広げ、その兜の下に黄金の眼を光らせる。ふうむと白い息が兜から溢れ、その指がバロールと、そしてヴァルハザードを指差した。


「……気に入らんな。貴様ら。他の雑魚どもとは比べ物にならぬ力を持っておきながら、何故真っ先に挑んでこない?同胞が殺される様を、ただ眺めているつもりか?」


「……」


 ヴァルハザードとバロールは顔を見合わせ、肩をすくめ合う。ヴァルハザードは瓦礫の山を椅子代わりに悠々と腰掛けた。


「……どうやら、私達に向かって話し掛けているようだな。バル。翻訳できるか?」


「無理だな。ニンゲン(・・・・)の言葉は聞き取れん」


 つらつらと言葉を重ねるその様子に、まるで緊張している様子はない。それどころか、正義の名を冠する魔神ハーキュリーズを心底バカにしているかのような、そんな口ぶりだ。どうしてわざわざ、挑発するような真似を……。


「!」


 ハッとして気づく。雰囲気が変わった。膨大な魔力が、さらに大きく、爆発するかのように膨れ上がる。ハーキュリーズは黙って剣を握り、何度か振って肩に担ぐ。その体はみるみるうちに一回りも二回りも大きくなり、やがて床が凹む。軽く振り抜かれた刃が、荘厳な壁に風穴を開けた。


「――命乞いは、聞かない。我こそが『正義』だ」


 死の宣告。地を蹴ると同時にその姿が視界から消え、輝く刃の軌跡だけが俺の視界を駆け回る。


「ッ」


 虚空に尾を引く光。瞬く間に刻まれる光の線は、触れた全てを二つに切り裂いてゆく。立ち尽くす魔王たちに逃げ場は無く、その強靭な肌が、鎧が、全てが切り刻まれてゆく。舞い踊る刃と鮮血。渦巻く悲鳴と、乱れ飛ぶ肉片。形を失ってゆく玉座の間。血の海に踊りながら、なおも白く輝く正義の刃。瓦礫の影に身を隠した俺達は、互いを抱き合って顔を伏せることしか出来ない。


「(俺は、何も出来ないのか。何をしに来たんだ、俺は……!)」


 何度も自分に問いかける。だが、その答えは見えない。瓦礫の向こうが静かになるまで、そう時間は掛からなかった。



「――馬鹿な」



 静寂の中、そんな呟きをかき消すように、風が舞い込んでくる。ガラガラと瓦礫の崩れる音。そして、笑い声。押し殺すようなその笑い声は、やがて豪快に笑い飛ばす声へと変わる。その声は、母上の笑い声とよく似た……ヴァルハザードの笑い声であった。


「何故、笑う。何故、笑える。貴様ら……!」


 瓦礫の向こうに、目を向ける。もはや動くものも居なくなったその場所に、なお佇む影が三つ。一つは、輝く宝剣を携えた白の騎士。一つは、仮面の男。そしてもう一つは、黒翼の麗人。俺はただ、息を呑む。


 バロールは何事も無かったかのようにそこに佇んでおり、ヴァルハザードの方は服がズタズタになってはいるが、その肌に傷はない。無事である。二人共。無傷だ。


「……何故私達が無事なのか、と?おやおや。どうやら、人間の守護神サマは知能まで人間と同程度らしい。く、くく。これが笑わずにいられるか?所詮は、ニンゲンよな」


「……ッ!!」


 一閃。輝く刃は床と壁を縦に引き裂き、部屋を割る。その斬撃は城の外、遥か彼方まで続く平野すら切り裂き、大地に深い傷を残す。音も無く振り抜かれたその一閃は、ヴァルハザードの体を左右二つに切り裂いたかに思えた。


――だが、しかし。


「く、くくく……無駄だというのが、まだ分からないのか」


 なおも、健在。ヴァルハザードはその斬撃を真正面から受け止めて、なおも健在である。その顔から胸に掛けて大きくその皮膚を裂いた傷が、消える。流れた血はすぐさまその皮膚に染み込み、そこにはただ滑らかな白い肌が残る。ハーキュリーズが見るからに困惑し、驚きに言葉を詰まらせるのも無理はない。


 ヴァルハザードは笑いを堪えながら、言葉を繋げる。


「私がこれまで、どれほどの勇者を相手にしてきたと思う?どれほどの刃を、槍を、斧を、矢をこの身に受けてきたと思う?そんな私の体に古傷の一つもないのは、何故だと思う?」


「……何だと……?」


「おかしいと思わないのか?さっきから何度も、私を切りつけている手応えはあったはずだ。私を切ってみて、何も思い出さないのか?魔神ハーキュリーズよ。お前は、この手応えを知っているはずだがな」


「っ」


 ハーキュリーズが後ずさる。まさかと呟き、大きく息を吐く。


「……母上が、ディアボロス様がどのようにして私達を作り出したか、知っているか?母上はまず、自分から剥ぎ取った皮で一匹目を作った。次に腕をちぎって二匹目を。脚をちぎって三匹目。そして四つある目玉のうちの一つを抜き取って、四匹目を作った。その四体こそが、最古の魔王。そう、私たちだ」


「なら、貴様は……」


「あぁそうだ。私は母上と同じ皮膚を持っている。あらゆる物理的衝撃に強く、生半可な武器では傷すら付かない魔神の皮膚だ。たとえ切り裂かれようとも、一秒と掛からずに元通りになる……『正義』の刃は、この皮膚を断ち切れるほど鋭くはない。母上と何度も切りあったお前は、よく知っているはずだ。――私の首を跳ねたければ、『勝利』の剣でも借りてくるべきだったな」


 堂々と言い放つその声に、その凛とした姿に、母上の面影が重なる。ハーキュリーズはその身を苛立ちに震わせながら、バロールのほうに目を向けた。バロールはただ静かにため息をつき、その仮面を外す。


 片目を隠した、端正な顔立ち。黒い髪の合間に覗く真紅の眼は、リリアのそれとよく似ている。いや、あれは……母上の眼だ。


「……俺は、ただ避けているだけだぞ。俺の、いや……この母上の眼を以てすれば、貴様の太刀筋を見切ることなど容易い。俺にはヴァルスのような皮膚も、ビスコのような脚もないが、代わりに貴様の動きはよく見える……あくびしながらでも避けられそうだ。魔神ともなれば楽しませてくれるかと思ったが……この程度か。所詮は、ニンゲンよな」


「……ッ」


 ハーキュリーズが呻くような唸るような声を上げ、行き場のない苛立ちをただ膨らませる。


「いつまで死んだふりをしているつもりだ?ビスコ。さっさと起きろ」


「なっ……!?」


 ハッとして振り返る。遥か後方、もはや瓦礫の山と化した玉座の近くに、むくりと身を起こす影。瓦礫を蹴って宙に舞い上がり、二転三転して軽やかに着地する白金色の姫君。ビスコッティが、腰に手を当てて頬を膨らませた。


「ちょっとお!どうしてバラしちゃうのよ。せっかく楽できると思ったのに」


「お前が吹き飛ばされていないことくらい、魔神サマは始めから分かっていただろうさ。お前は衝撃波に巻き込まれたふりをして、自分から背後に飛び退いていたろう。……おや?どうやら魔神サマも驚いている様子……まさか、あれで大魔王を仕留めたつもりだったのか?」


「…………!」


 その焦り、その混乱が、見て取れる。行き場のない怒りと苛立ちにわなわなとその身を震わせ、ハーキュリーズは後ずさる。しかし正義の化身は力強く「だが」と呟いてその手を払い、空気を塗り替えた。


「――だが貴様らは!所詮はディアボロスの欠片でしかない!そうだ、私はディアボロスを殺せない。だがディアボロスも、私を殺すことは出来ない。あぁ、そうだとも!何度殴り合っても決着は付かなかった!だから眷属同士を戦わせたのだ。……あの女の欠片すら殺せないというのは屈辱だが……だが、お前たちも、私を止めることなど出来ないはずだ」


「おっと、痛いところを突かれてしまった。その通りだ。私たちはお前の攻撃を凌ぐことが出来る……だが、お前の鎧を破る力はない。あぁ、その通りだよ。そもそも『腕』がこのザマじゃ、殴り合うことも出来ない。ただいたずらに時間だけが過ぎていくだろうな」


「そうだ。決着は付かない……この戦いは、引き分けだ。……気が失せた。全く、つまらん。時間の無駄だ。今回ばかりは身を引いてやる。だが、次は……次こそは……」


 そんなことを言いながら、ハーキュリーズは踵を返し、巨大な風穴の空いた壁に手を掛ける。だがその瞬間。ばさりと大きな羽音が響き、巨大な影が舞い降りる。


「!」


 それは、燃え盛る真紅の巨竜。百剣を携えし、勝利の化身。業火の吐息がハーキュリーズを室内に押し返し、鋭い眼が光を放つ。クロノス神が、牙を剥いた。




「――――次などない。ここで、終わらせてやる」



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